第32話養生論

 ♠️元亀元年(1570年)5月初旬


 俺達は、佐々殿、徳川殿、明智殿の援軍のおかげで九死に一生を得ることができた。


 徳川三河守殿は、安全圏までひいてから、わざわざ1500の兵を割いて援軍として送ってくださった。それを徳川殿の案内役を務めていた明智十兵衛殿が織田軍1300の兵とともに率いてきてくれたのだ。


 三河守殿は「(援軍は)忍びによる道案内の礼でござる」と俺に伝えて欲しいと十兵衛殿に伝言を頼んだそうだ。


 三河守殿の振舞いは律儀というかなんというか…感動してしまう。いぶし銀のかっこよさだぜ。


 あの援軍は本当に助かった。地獄に仏とは、あのことだろう。



(明智殿、三河守殿、佐々殿、この御礼はいずれ必ずいたします)



 まぁ、撤退戦は金ヶ崎だけで終わったわけではなく、そのあとも朝倉と浅井の兵がしつこく追い縋ってきて辟易したのだが。


 俺が罠を使ったの、そんなに腹が立ったのか?みんなが罠を使いたがらないわけだ。よーくわかった。


 そうして、浅井・朝倉勢を追払いつつ山城国をとおり大原をぬけ、京の二条城へ帰りついたのだった。


 信長様からは〝今回の敦賀におけるフロイス師の働き、比類なし〟との感状と金100両を賜った。


 まぁ、援軍が来てくれないと危ないところだったのだが…


 なので、褒賞金に自費をたして、今回協力してくれたもの達や援軍に来てくれた将達にお礼状と兵達に十分に行き渡る量の酒と乾物を買って送ろうと考えている。

 徳川殿、佐々殿、明智殿、木下殿、前田殿など主だった将には天照女神の銅像も送りたい。


 とりあえず、今は俺の直属兵達の治療が先だ。

 俺の兵団の数は300人いたのが、この度の撤退戦で210人ほどになっている。


 その生き残った210人も長時間にわたる撤退戦で槍に刺されたり、刀に斬られたりとなんらかの傷を負っている。その治療にはあらかじめ美濃から俺の侍女たちを集めて従事させている。

 この一年、俺の侍女達には傷を手当てするための知識と技術を教えておいたのだ。


 今回はみんなに無茶をさせてしまったので無償で治療しているが、次回からはそれなりの金をとる。


(こっぴどくやられたな)



 倍の兵力を相手に戦って、必死に突破してきたのだ。ただで済んだはずはない。



(浅井家の処遇に影響力を持つためとはいえ…寡兵で大軍に立ち向かう。愚かな所業だ。なるべくならこのような戦い方は二度としたくないな。手塩にかけて育てた兵を消耗するのもつらい)



 そんなことを考えていると…。なんか視線を感じた。じとっとまとわりつくような視線だ。


 そちらの方に目をむける。


 …


 そこにいたのは、2人の超絶美女だった。


 恭と綾である。


 俺にむけられていた視線は、綾からのものだ。


 綾は涙ぐみながら俺を睨んでる。恭はそんな綾を慰めるように肩を抱いてる。


 その恭の目にも涙が…。



(俺は綾達になにか悪いことをしたっけ?)


 そんなことを考えていると…。


 恭と綾がこっちに来た。


 そして綾が俺の右腕にしがみついて口を開く。


「なんて…なんて無茶なことをなさるのですっ。死んでしまったらどうするのですかっ!!」



「え?」


「え?ではありませぬ。絶対絶命の死地でしんがりを買って出られたとか。私達一同、とても心配しておりました。無事のお帰り何よりでございますが…」


 恭も俺の左腕にしがみついてそう言った。



「行き場のない私達と子供達の面倒を見てくださるのではなかったのですか?」


 そう言って右側から俺を責めたのは綾だ。


 心配してくれるのは嬉しいのだが…俺の腕に胸を押し付けながら左右から交互に俺を責めるのやめてほしい。死戦で疲れ果てた脳に女の声が直接響いてくるようでクラクラする。両手に花といえば…まぁ、その通りなのだけど。



「心配をかけたようで、すまぬ」


 俺は2人の美女に左右から責められるという状況で、素直に詫びた。美女に心労をかけたらいかんよな。ごめんなさい。


「「ええ。本当に心配しました」」


「万全の準備をしていったつもりだったのだが…。寡兵で2倍以上の敵と戦うのは、少しばかり骨が折れたよ。いや…苦労したって意味で俺は無傷だけど。周りのものが倒れていくのも辛かった。こんな無茶はできれば二度としたくないな」


 そう言って、俺は肩を落とす。



「是非ともそうしてくださいませ。殿がしんがりを引き受けられたと聞いた時は、寿命が縮む思いでした」


 これは恭。


 そして、美女2人は左右から先程よりももっと力を込めてぎゅうっと抱きついてきた。


(よっぽど、不安だったんだな)


 まぁ、この2人も岐阜で待ってる澤や里も俺がいなくなったら、子供を抱えて路頭に迷うからなぁ。


 しかし、死線をくぐり抜けたあとにこうも密着されると……


 暖かくて、柔らかいだけでなく、化粧と香と女の甘い体臭が混じった異なる2つの香り。


 それが俺の鼻腔を強く刺激する。


(だ、駄目だ!)


 初陣で死線をくぐりぬけて心身がまいった状態。


 女のやわらかさや温もりが身に染みる。


 このまま、本能というか…獣欲に身を任せたのちに、2人に寄り添われ、柔らかさと温もりを感じながら安眠を貪りたい!



(だが、しかし…信長様に焼き討ちされるのは嫌だ!)


 おれは、その誘惑を必死な思いで退ける。


(戦の後に、雑兵どもがサカるのもわからないではない!)


 まぁ、一般市民への乱暴・狼藉は許さないが。


 …。


 今日は風呂係をこの子らに任せず、自分で洗おうかな?


「その話は、後でじっくりしよう。今は兵士達の治療を頼む。俺は無傷なので他の者達の治療を」



「「はいっ」」


 俺は岐阜の館に帰ってから同じようなやりとりを澤と里を相手にすることになるとは、まだ知るよしもない。




 ♠️


 俺の侍女たち(信長様好みの子持ちで美巨乳な癒し系)が行っているのは治療のはずなのだが……


「消毒いたしますね」


「……ぐぁーっ」


「止血しますね」


「……」


「ぬいぬいしましょうね」


「……ぐぁーっつつつ!!」


 患者達の苦痛に耐えかねたような絶叫が部屋に満ちるのだった。


 ♠️


 さて、せっかくだから戦国時代の傷の手当てについての科学を検証し、俺が改善した点、これから改善しようとしている点などについても記しておこう。


 まず驚いたことは、折れてささった槍先や矢を抜くのに、止血帯をまかないことである。

 止血帯をまかないと槍や矢が動脈に刺さっていた場合、それらを抜いたら血が吹き出して出血死しかねないと思うのだが…。


 ということで、侍女達には手足の槍や矢を抜く時には、その上部を縄などで強く縛ってから抜くことを推奨した。



 次に驚いたのは…というか…もっともありえないのは止血薬や消毒薬である。

 止血したり、消毒したりするのに接着剤であるにかわや塩を塗り込むのはまだいい。

 だが……膠や塩を待ち合わせていないものが馬や自分の糞尿を用いているのはどうしたことだろうか?


 血が止まらない時は傷口に馬や自分の糞尿を塗り付けたり、飲食すると良いと信じられているらしい。


 これは考えただけで吐き気がする。俺に誰かがそれを勧めてきたら、人間を辞めてやる!!(フツヌシノオオカミ様に自分の体を預けて大暴れするという意味)。


 糞尿を塗られたり、飲食させられたりするのは、生理的に無理だし、衛生面や健康面でも問題がある。


 傷口から細菌感染をおこしたりして、お亡くなりになりたいのだろうか?


 本気でやめろォっつつつ!!


 信長様にお願いして半年ほど前から傷口に糞尿を塗ったり、糞尿を飲食するのは禁止してもらっている。糞尿に血止めの効果も消毒の効果もないのだ。――断じて。


 まあ、ただ禁止しても反発を買うだけなので代替案も出したのだけど。


 ようは、血止めの薬を無料で提供したらいい。



 どうしたらそんなことができるかって?


 ……


 自然界にはちゃんとそれ用の植物が存在するのである。


 血止め草というウコギ科の植物やよもぎなど。

 それらを足軽長屋や侍屋敷の芝生や庭などに植えることを推奨した。


 血止め草には、その名のとおり止血作用と抗炎症作用がある。よもぎにも、止血作用や抗炎症作用、さらに抗菌作用もある。


 余談だが…血止め草もよもぎも食用になる。血止め草は草感の強いモヤシみたいな味だ。よもぎは天ぷらにしたりご飯にまぜたり、ヨモギ茶にしたりなど。ヨモギは風呂にいれたりしても良い。よもぎ餅やよもぎ団子の材料にもなるな。


 ともかく、血止め草やヨモギは多年草であり年中その葉を茂らせているし、繁殖力も強く、放っておくと一面その草だらけになる。庭や芝生に植えたら食用にしても余るだろう。それらを寄付させて軟膏にして戦地にもっていって各部隊に配る。


 止血作用があるとされているのは他にもドクダミやイタドリなんて植物もある。イタドリには文字通り、鎮痛作用もあるのだが…繁殖力がありすぎて駆除に困るほどになるだろうなので、家で栽培するのはあまりお勧めしない。


 これらも民間療法レベルなのだが…応急処置として糞尿を塗ったり飲食したりよりはよほど有効で害もない。

 薬が足りなくなっても血止め草、よもぎ、ドクダミ、イタドリなどは雑草レベルの繁殖力でどこにでも生えているし現地調達できる。



 本処置としては、傷口を縫う技術も広めた。これは我が祖国、ポルトガルから伝来した技法である。麻酔は存在しないから、無茶苦茶、痛いらしいが…。


 じゃあ、麻酔を開発しろよって話だが…。その時間がなかった。いずれ開発しよう。



 傷口を洗うための生理食塩水も、傷口に吹きかけるための消毒用の高アルコール焼酎も開発し、傷口にまく清潔な晒しも大量に用意してある。


 傷口に焼酎を吹きかけるのもしみるのだか…。



 俺はフツヌシノオオカミ様の加護で傷ひとつおわなくてよかった。



 金銭に余裕があるもの達が元から使っていた軟膏としてはケイヒ・シャクヤク・ダイオウ・ジオウ・ソウハクヒ・トウヒ・カンボウイの7つの生薬からなる金創膏というものがある。


 現在でも傷に有用とされているのは、ダイオウの止血作用・ジオウの抗菌作用・シャクヤクの鎮痛作用であり、金創膏は傷にたいしてある程度の効果が見込めるが、材料が漢方で高額であり薄給の足軽たちには手が出せない代物だったようだ。



 感染症や怪我の治療は国内外に天照教を広める助けにもなる。安くて安全で効果的な薬を開発したいものだ。さしあたっては広範囲の菌に効果を示す抗生剤を開発することが急務か。軟膏としてはアミノグリコシド系。飲み薬としてはテトラサイクリン系の抗生剤がいい。アミノグリコシド系もテトラサイクリン系もたしか、放線菌という微生物の一種から採れるはず。


 抗生剤を作ろうと思ったら、その微生物たちから発見しないといけないのか…

 顕微鏡も作らないとね。細菌を培養するための培地も必要。うーん難しい……できるかな?その可否はいずれ考えるとして…最初はやっぱ、見つけやすい青カビからβラクタム系のペニシリンを作るのが正解なのかも。


 あとは、牛痘を応用した予防接種も広めないと…

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