第23話七つの大罪〜septem peccata moralia
永禄12年9月初旬 堺
軍団を編成し終えた俺は、鉄砲隊を神子田長門守・弓隊を大島甚八・槍隊を堀太郎左衛門に、各種授業は侍女長たちと菊千代・仙千代たちに講師を任せれるように育てた。
俺は今、今井宗久殿に呼ばれて堺に来ている。
俺が宗久殿に人探しを頼んでいた人を見つけ、その人物を堺に呼び寄せたので、会ってほしいとのことだった。
その前に、火薬の原料となる硝石を安く手に入れる方法を思いついたのでポルトガルの商人と会う。
(俺がポルトガル人の宣教師であることの自覚がなかったので、思いつくのに時間がかかったけど)
カトリックの宣教師だからこそ、できることがあるっ!!
♠️ 堺港に停泊中のポルトガル商船
季節は9月の中旬。新暦では10月の中頃か。黄金色の稲穂が涼風にたなびく実りの秋。
今年は豊作らしく農民たちが喜んで働いている中、俺たちは戦争の材料を値切りに行く。
共は、山内伊右衛門とその妻・千代。そして、新規に召抱えた家臣である前田慶次である。
俺たちは、ポルトガル商人と硝石の値段の交渉をするべく待っている。
「どうもどうも。…宣教師様がポルトガル商人に用というと…いいカモ…いや、この国のいいお客さんでも紹介しに来てくださいましたかな?げへへへへ」
ポルトガル語である。
ウーゴ・ボッタクリーニと名乗ったこの商人は全身毛むくじゃらで図体がでかく筋肉質なのだが、腹がでており、顔には下卑た笑みがはりついている。
(ボッタクリゴリラのような名前で、容姿は海賊のようなやつだ)
俺は、そう思った。
商人と言いながら、海賊まがいのこともやってるだろうな。
(…それにこいつ、日本人のことをカモっていいやがった)
まあ、そのカモを紹介するのも宣教師の役割の一つだったりするが…
「織田家の軍師兼鉄砲奉行、ルイス・フロイスだ。今日は硝石の買い付けに来た。よろしくお願いする」
ポルトガル語で返して握手を求める。
「あなたが買われるのか?…鉄砲奉行…日本の領主に仕えていると…神の
握手に応じながら、意外そうにウーゴが言った。
「その通り。して…硝石の値段は、一樽いくらくらいだ?」
だいたいの相場は知った上で、あえて聞く。名前のとおり、無茶苦茶ボッタくっている筈だ。
「金の延べ板なら二枚。奴隷なら50人ですな。あー、あなたが連れてきた従者?の嬢ちゃんなら、一人で一樽と交換してもいいですぜ??…げっへへ」
ボッタクーリニは油ぎった下品な笑い方をした。
(千代を自分の愛妾にでもするつもりか? ふざけるな!)
奴隷の値段もふざけてやがる。
10万円相当の金の延べ板が二枚。こいつら、硝石一樽を20万円で売っている。
しかも、奴隷が50人で20万円てことは、奴隷1人を4000円と換算している。――人1人の値段が4000円……だと⁉︎
(論外にも、程があるっ!!)
…
バンっ!!!
俺は腹が立って、机をおもいっきり叩いた。
(こいつら、この国の人間をなんだと思ってやがる!?)
すると…
ウーゴだけでなく、俺の後ろで聞いてる千代や伊右衛門までビクッとなる。
もう一人の従者である慶次はポルトガル語がわからないながらも楽しそうにみてる。
(喧嘩になるかも知れぬ)とワクワクしてうずうずしているといったところか。喧嘩が好きなのか?
「な…なんだァ? いきなり!!」
ウーゴはびっくりしたような声を上げる。
ウーゴは知らないだろうが、ルイス・フロイスたる俺はれっきとした貴族の出であり、平素ならば机を叩くなんて野蛮な真似はしない。紳士なのである。
それと、俺の見かけはポルトガル人だが、魂は日本人である。俺が日本人をこけにされて激怒していることなど、目の前のぼったくりゴリラには想像もできないだろう。
「お前が胸につけているのはなんだ?」
「えっ?」
ウーゴは髭だらけの下卑た面に戸惑いの色を浮かべる。
「お前が首から下げているものはなんだ?と聞いている」
…
「…十字架だが?」
「ほう……では、私が広めているキリスト教の信者。しかもポルトガル人だからカトリックだな?」
「ああ。そうだ。本国にかえった時はミサにもいくぞ?」
…その割にはいろいろと戒律を破ってそうだ。
「では、7つの大罪は知ってるか?」
「当然だ。」
七つの大罪はラテン語でseptem peccata moraliaという。つまりは〝7つの死に至る罪〟ということ。その内容は、【虚栄】【嫉妬】【怠惰】【憤怒】【貪食】【淫蕩】そして【強欲】である。聖書には書かれていないが、主にカトリック派で唱えられている重要な概念の一つ。
「ほほう…。では、お前の良心に聞こう。お前がこの私に提示した硝石の値段は、7つの大罪に一つも触れていないのだな?」
「あ?」
なんのいいがかりだ?とばかりにウーゴは凄んだ。
「硝石なら、おれ達も作っている途上だ。あれがそんなに高いはずがないというのが一つ。わらやヨモギを敷き詰め、土をかけて、糞便や小便をかけて何年か置いといたらできるもの。一樽金二枚どころか、四分の一枚でお釣りが来るはずだ」
お釣りの部分は運搬費でいいけど。
「…は、はあ」
ウーゴは曖昧な笑みを浮かべた。
「もう一つは奴隷の値段だ。50人で金二枚だと? お前らは、それをどこに、いくらで、売るんだ??」
「そ、それは…」
…
ウーゴはいい淀んで、黙りこくった。
…
「言えぬのか? その奴隷、ポルトガル本国では買値の100倍で売れるであろう? つまりっ、この国の金貨に換算すると、金200枚に相当する額だっ。奴隷を安く買い叩きすぎ。そして高く売りすぎだ。強欲は大罪ではないのか?神に仕える身であるこの私がその大罪を見逃すと思うか?」
この国の奴隷がポルトガルでいくらで売られているかなど、ポルトガル出身の宣教師、ルイス・フロイスの知識の範疇である。
(知らないとでも思ったの?)
ウーゴはポルトガル人のほとんどがそうしているように、十字架を首から下げている。
俺は、ウーゴを睨めつけ詰りながらその十字架をひとさし指でトントンとついてやった。
「うっ!?ぐっ」
そして、
「まけろ!!」
ウーゴの十字架の鎖をつかんでおれの方へ引き寄せ、顔芸をかましながらわめき散らす。
どこかの歌舞伎役者のような銀行員の部長が元部下に対して「詫びろ」と喚き散らしているが如く。
「ぐっ…」
ウーゴは真っ青な顔をしている。
(…なかなか頑張るな)
俺がそう思っていると…
「お2人ともっ…なにをしているのでございますっ。」
甲高い女の声。千代だ。
というか、声も容姿も仲◯由紀恵。
「「えっ?!」」
「えっ…ではありませぬっ。あなたたちもフロイス様と同じようにpreco!(まけろ!)と威勢良く連呼するのですっ!!」
…
千代と一緒に俺の後ろに控えていた伊右衛門と慶次は何がなんだかわからない感じで…一瞬固まってから…
とりあえずと言った感じながらも千代に言われたとおり威勢良く
「「preco!」」
と連呼する。
「もっと大きな声で」
(ナイス!千代。)
「「Preco―――!!!」」
俺の配下の中でも強い部類にはいる、いや、織田家中の中でも指おりの強さの2人による絶叫である。
(ウーゴも圧倒されているな。ふむ。この勢いでおしとおしてやろう。俺の論理を)
「この2人は日本の侍という。まあ…騎士階級の者たちだ。私の部下なのだが…
街の治安を守る役割もある。この街の秩序を乱すものがあれば捕縛し、私の主の元へ連行することもできる」
「…はぁ」
「私が仕えている織田信長様は、この堺を治める領主なのだ。なかなか話のわかるお方だが…矛盾や道理の通らぬ行いには大変お厳しい。お前が信奉しているカトリックの教えに基づいて大罪人として処罰してくれるだろうよ。強欲という大罪を犯したとして!死に至る罪を犯したのだから、死刑だ」
この話になんの偽りもない。規律や戒律に厳しいお方なのだ。信長様は。
七つの大罪を犯した罪人を裁くのは本来はキリスト教の神であろう。それを信長様が裁くのは魔女裁判並みに理不尽かも?
しかし、まぁ…ヨーロッパでは魔女裁判なんてものがちゃんとまかり通っているのだから別に大丈夫か。
信長公記にも信長様が家臣にたいして魔女裁判顔負けの裁定をしてる場面があった筈だし。
ぼったくりとわかっている価格で、お人好しみたいに買ってやる義理もない。
「うっ。ぐっ」
ウーゴは俺が本気で言っているということを肌で感じとったようだ。
……
「この国の刑罰に照らし合わせれば、お前はさしずめ生きたまま窯でぐつぐつと煮殺されるといったところだ。釜茹でされる豚の気持ちが味わえるぞ?いや、カモだったか??まけないとネギと一緒にじっくりコトコト煮込んでやるっつつ!!そのあとは神に仕える宣教師を不当にたかろうとした罪で地獄行きだな。煮殺されたあとも地獄の業火で焼かれ続けるがいい」
豚肉…いや、カモを軽く湯煎してからカリカリに焼く感じ。カモローストって奴だ。豚肉ならば、ローストポーク。どっちにしろ、秘伝のタレが味の決め手だな。
もっとも、じっくりコトコト煮込んでから地獄の業火で丸焼きだと…激コゲ、パサパサで微塵も美味しくないだろうが。
「そ、そんな……」
ウーゴは真っ青な顔をして絶句する。
(ほう…世界中で散々、悪どいことをしているだろうに、地獄に落ちるのは嫌らしい。こいつ、神を…地獄を信じているのか)
……
その様子を見て、
「もう一度だけ言う。ま・け・ろ!!」
おれは、ここぞとばかりにとどめの一言を発した。
「わかった…わかりました…まけまする。まければいいのでしょう?」
涙目で宣教師たるこの俺に縋り付くぼったくりゴリラは…微塵も可愛くない!
むさいっ!!
「硝石の値段は、一樽、四分の一金だ。いいな?」
勝負あったとみて、おれはウーゴを引き剥がす。
「はい」
ウーゴはがっくりとうなだれた。
「これからも当家にはその値段でうるのだぞ? だからといって粗悪な物を売ったりしたらお前を釜茹でにする前に、馬にくくりつけて街中を引きずり回してやるからな!!」
「ひ、酷い…」
ウーゴの顔は青ざめている。
「でも…」
「なんだ?」
「いえ…取り締まられるのは私だけ…なのでしょうか?」
「そんな不公平なことはせぬよ。他の者達も取締るさ。あまりに悪徳な商人は等しくな。それに…」
「それに?」
「ゆったであろう? 我々も硝石を作っているところだと」
「それが何か?」
「わからぬか? 国産の硝石が出回れば、近いうちに硝石の値段は暴落するということ。そうなったら、どうせ、お前らはこんなぼろ儲けを出来なくなる。次の商売を考えておいたほうがいい」
「そんな…」
「この情報はお主だけが知りえたこと。我らが硝石を買い付けにきたからな。それに…お前が悔い改めるならこの国の情勢もいち早く教えてやろう。有力者である織田様につけば、この国の商機をいち早く掴むこともできるはず。でも良心的な商売を心がけろよ?悪どいことをしてたら、本気で取り締まるからな?」
「は、はあ」
「……あ、そうそう。早速、ひとつ新しい商売を提案しよう」
「な、なんでございましょう??」
さっきまでの脅しが効いているのか、ウーゴはおそるおそると言った感じで尋ねる。
「我々にコルクを売って欲しい。コルクならヨーロッパでの流通価格のそうだな…倍の値段で買おう。なんなら、3倍でもいい。この国で今、コルクをこの値段で買う者は他にいまい」
コルクは、今作っている新式銃の弾――ミニエー弾に必要不可欠な素材。
ワインの栓などに使われているあれだ。
銃弾内に敷き詰められているコルクが銃身の中で発射時に膨張することで銃身に食い込み、銃弾と銃身の隙間をなくしてガス圧の分散を防ぐ。銃身にライフリングを刻むことや、弾の形を流線型に近ずけること以上に、この原理こそがミニエー弾における革新性の肝だ。
コルクの原木であるコルクガシはポルトガルを中心とした地中海沿岸部が原産地で日本に生えていない。まぁ、日本にはその代用となるアベマキがふんだんに生えているのだが…。アベマキでコルクのような物を作ると品質が少しばかり落ちる。
弾力性が足りないというか。
「は…はぁ。コルク、でございますか?」
「うむ。私が進めている新しい事業に必要なのだ。融通してもらえぬだろうか?もし融通してもらえるなら、この取引はそなたらとだけするが…」
俺がそう言うと…
ウーゴはおずおずと指を五本たてて見せた。
強欲は罪と脅されているのに…逞しいことだ。
「コルクの値段は本国の流通価格の5倍なら売る…と?いちおう値段を聞いておこう。ワインのボトルに使うコルク一個分の5倍にあたる値段だといかほどだ?」
「えーと…この国の銅貨5枚ほどでいかがです?」
銅貨5枚というと…5文か。250円?
「5枚は高すぎる。この国の銅貨1枚でどうだろう?ワインボトル一本分のコルクの流通価格がこの国の銅貨1枚ってことはあるまい?せいぜい銅貨の五分の一枚(10円)くらいの値なのではあるまいか?だとすると、銅貨1枚(50円)でちょうど本国の流通価格の5倍くらいな値段のはずだ。宣教師の中には、商人上がりのものもおる。その者にコルクの値段を確認してみようか?」
「ぐ…申し訳ございません」
なにが、「ぐ…」だ。25倍の値を提示しやがって。
(本気で煮殺すぞ⁉︎)
俺は、ウーゴをきっと睨んだ。
ウーゴは俺がそんな事を考えているとはつゆ知らぬ様子で
「うん。商売に対する確かな嗅覚と頭脳をお待ちだ。あなた様のおっしゃる通り、この街の権力者との繋がりも良い話のように思えてきましたわ。これも神のお導きでしょうかな?げへへ」
と下卑た笑いを浮かべながら、ウーゴは手を差し出す。
(商談成立か)
俺も手を差し出して握手をする。
「Nihil autem opertum est,quod non reveletur.Neque absconditum,quod non sciatur.(隠されたもので、暴かれないものはない。秘されたものは、必ず知られるのだ)
念をおすようだが…今後とも、良心的な取引を頼むぞ!」
俺は宣教師らしくポルトガル語で聖書の言葉を引用して、悪徳な取引を戒めた。
「Sim(はい).」
こうして、市場価格の8分の1の価格で1000樽分の硝石を金・250両(500貫文分)で手に入れたのとコルクも銅貨10万枚分、すなわち100貫文分購入したのだった。
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