第21話転生した社畜は小谷で星を占う
永禄12年5月10日・浅井長政館
「ようこそおこしくださいました。兄上」
浅井長政殿が自ら案内した先へ向かうと、はっと息を呑むような華やかな美女が出迎えた。長政殿の正室であり信長様の妹であらせられる所のお市さまであろう。そのお腹は妊娠中のようで大きい。
(この美女、どこかで会ったことがあるような気がする。初めて会った筈だけど……。なんでそんな気がするんだろう??)
どこか、懐かしいような不思議な感覚を覚えながらその夫人を眺めていると…
「ふむ。息災そうで何よりじゃ。新九郎殿とも仲良くやっておるようじゃの。京でわら天神のお守りを買ってきたわ。安産にご利益のある、お守りじゃ」
信長様は、そう言ってお守りを渡す。
「まぁっ!!…お気遣いありがとうございます。」
お市さまは、嬉しそうにお守りを受け取った。
兄妹仲もとてもいいようだ。
(京で懐妊中の妹のために安産祈願のお守りを買ってくる信長様、優しいな)
それからお市様は俺のことをじっとみている。なにか、驚いて凝視している感じなのだが…嫌な感じはしない。南蛮人が珍しいから…というわけでもなさそうだ。
お互いそうすることが心地良いから見つめあってるというか。
…
数瞬見つめ合っただろうか…信長様が呆れたように口を開いた。
「兄と夫の前でいつまでみつめあっておるのか…。初対面のはずなのに、おかしな奴らじゃな…。紹介するから2人の世界から戻って来よ」
…
「はっ…こちらの方は…」
先に我にかえったのはお市様の方だった。
俺が戦国1の美女たるお市様に見惚れるのはわかるが…
お市様が俺に見惚れることなどある?
しかしながらお市様のほおはほんのりと赤くなってるし、目も潤んでるようにみえる
「紹介しよう。ポルトガルから来た宣教師であり、儂の軍師でもあるルイス・フロイス師じゃ」
「市にございます。以後お見知り置きを…しかし、異国の方…。あったことなどあろうはずも無いのに初めて会った気がしませぬ。なぜかとても懐かしいような…」
とお市様が挨拶する。
「お初にお目にかかります、ルイス・フロイスと申します。その感覚なら私も持っておりました。私もお市様と初めて会った気がしませぬ」
…
初対面で通じあってしまった…。
そしてまた2人で見つめあう。
「あっはっはっ」
その雰囲気を壊したのは長政どのの苦笑まじりとも取れる大笑であった。
「義兄上が仰られている通り、義兄上と私の前でそんな雰囲気になられては困りますな」
「「いえいえ」」
俺とお市様の声が仲良く揃う。
…そして、また見つめ合う
「まったく…大概にせよ」
信長様も苦笑まじりに呆れた。
だが…お互いに初めて会った気がしないからなんだというのか。
目の前にいる人は人妻であり妊娠中なのである。今、この場でどうなるというわけでもあるまい。
不思議な懐かしさを覚えるだけで奪いたいとか自分のものにしたいとかは全然思わない。それは、お市様も同様であろう。
(この感覚はなんだろう?前世でなんらかの縁でもあったのだろうか??)
そう思いつつ、自分の席に案内されて座る。
目の前には近江の山・湖の酒肴が並んでいる。
同席しているのは、信長様、長政どの、お市さま。長政どのとお市様の子供たち。
近侍しているのは、伊右衛門、仙千代、菊千代、遠藤喜右衛門、磯野喜兵衛である。
ふすまの両側にはそれぞれの親衛隊が武器を持って控えているであろう。
内輪だけの小規模な会食とはいえ、警備はものものしい。
が、とりあえず、お市様と俺がいじられたことで場は和んだ(?)のだった
♠️
まず、浅井家の子供たちが紹介された。
長男と二人の姉妹。お腹の中にいるのは男児だったはずだ。
それから、俺が持ってきた土産を献上した。地球儀やマント、西洋式の精巧な船の模型などである。
「この丸いのはなんですか?」
長政殿が質問する。
「この世界を縮図にしたもの。地球儀というものだそうじゃ」
信長様が答える。
「えっつつ?世界が丸い?!」
お市さまは驚く、そしてさらに
「世界が丸いなら、横とか底の方に住むひと達は世界から落っこちてしまうではないですかっ??」
と可愛い疑問を呈した。
「あはは」
信長様は笑い、笑われたお市様は膨れっ面になる。
それからお市様は(何で人が落っこちないのか教えてくださいっ)って感じのキラキラとした好奇心に満ちた顔でこちらをみる。
(可愛いなぁ。もう…)
そう思いながら俺はお市様の質問に答えるべく口を開いた。
「その疑問に答えを見出したのは、アイザック・ニュートンという男です」
(ん?)そう言ってしまってから、俺は首を傾げる。ニュートンって、もっと後の時代の人じゃなかったっけ??
…
(やってしまったかもしれない)
まあ、このまま続けよう。うん。
「ニュートンはリンゴが木から落ちるのをみて、この世界、つまり地球にはものを引っ張る力が働いているのでは無いかと考えたそうです。つまりこの球体の反対側の人が落っこちないのはこの地球という大きな球体から引っ張られてくっついているからではないかと」
「ほう、で?」
信長様が先を促す。
先?
この説が何の役に立つのかってことか?
うーん??
将来的には物が動いたり、加速したり、止まったりするのにどのくらいの力が必要となるのか計算したり、地球の重力から脱出するのにどのくらいの力が必要なのか計算したりするのに役に立つのだろうが…、それが今の技術力でなんの役にたつのだろう??
「地球に限らずあらゆるものにはその重量に応じてものを引っ張る力があり…〝万有引力〟と言うのですが…。これが分かったからと言って何の役に立つのかと言われると……何の役に立つのでしょうね?…まあ、地球の底に住んでいる人がはなぜ落っこちないのか、説明できるようになったくらいですか」
「ふむ?」
「何の役にたつのか?という視点だけでなく研究者が自分の好奇心を満たすためだけに研究できる環境を用意する…ギリシャ語でいうところの〝スコレー〟というか…社会のそういう余暇とか余力が科学を発展させる鍵なのです。……つまりは、それがしにも自由に好きな研究ができるだけの時間と人員と支援を下さい。という意味なのですが…」
「「「くくくっ」」」
みんな笑う。
それから、社会の余暇とか余力とかは西洋のほうが日本より優れており、科学力の差は開いていく一方であることを説明した。
日本にもそのように学びたいことを学び、一見無駄に思えるような研究にも援助を出すような余力や余暇が必要だと。
数多くの役に立つかどうかわからない研究の積み重ねが結局、文明や軍事力の発展に寄与する。
このままだと西洋と日本は軍事力で圧倒的な差ができてしまい、そのうち日本は西洋に武力で制圧されてしまうかもしれない。
ここは内緒だが…江戸時代に鎖国なんかして海外からの知識や技術や情報の流入が途絶えがちになったから、追いつくのに余程無理することが必要になり、第二次世界大戦で苦敗させられることになった。
江戸時代末期からの革新では遅い。
ヨーロッパに追いつき追い越すための革新は今のうちから始めなければ。
まぁ、今から革新を進めるためにヨーロッパを仮想敵にして不安をあおっているわけだが。
「ほう…。無駄だと思えることも研究させる余力ですか…興味深いですな。いや、よくわかりませぬが…フロイス殿がその手のことに深い知見をお待ちじゃということはなんとなくわかりました。では、この浅井は今後どのようなことをすれば良いのですかな?」
と長政殿は俺に問うた。
「うーん…。地方領主が民にそういった余力や余暇を与えようと思ったら…まず、それだけの財力を蓄えることや、領民が安心して研究に没頭できるよう安全を保証することでしょうか? そのためには他国から侵略されないだけの武力も持たなくてはなりますまい。端的に申しますと、【富国強兵策】です。
この地をみますに…米作りが盛んであり、中山道と北陸道の交わる交通の要衝にあり、琵琶湖を使った水運業も盛んです。通行や水運に税をかすと同時に米を使った産業…酒や酢、みりんなどを作ることを推奨し、それにも税金をかけたらそれなりに儲かるかもしれませんね」
そう言って、ふと、横を見てみると…。
信長様が苦笑いをしている。
…なんで?
(…あー!信長様は関所を取り除いて、楽市楽座を開いていたな)
あれ、なかなか難しい政策じゃないか?と思うのですけど…
「…。通行税に関しましては、手っ取り早く税収を上げる策です。逆に…将来を見据えるならば、関所や座を取り払って商人を呼びこみ、そこで儲けた商人達からの税収を増やすやり方もあります。こちらの政策は、関所や座を取り払うとなると既得権益の関係上、寺社仏閣などから反発を受ける恐れがあるので覚悟が必要ですが」
(うむ)というふうに信長様がうなずく。
「なるほど。富国強兵策でござるか…酒や酢、みりんを作ることを奨励し、水運にも税金をかける…良い案とは思いますが…それだけで浅井は生き残れるでしょうか…」
長政殿は納得しておらぬ様子だ。
まぁ、気持ちはわかる。浅井家は織田、朝倉、六角にかこまれており、織田と朝倉の仲が怪しい状態。このまま織田と朝倉が戦をすることになれば長政殿はどちらに味方すれば良いのか重大な選択を強いられらこととなる。
これは浅井家を担う長政殿にとっては悩みの種であろうな。
この問いにどう答えるか?昨日、信長様と相談した。
結論としては、織田と朝倉のどちらにつくかは浅井家が決めることとして、絶対に織田に着くべきという説得の仕方はしないということとなった。
今、強引に誘ってもいざというときにどう判断するかはわからないしな。
♠️
フツヌシノオオカミ様に浅井家のいく末を占ってもらったことがあったな。その占いの話しでもするか…
「それがしは、最近占いに凝っておりまして…浅井家のいく末も占ったことがございます。その結果をこの場の余興として聞いてみられますか?」
俺は軽い調子で長政殿に尋ねる。
「余興ですか?占い…まあ、織田家の軍師としてのフロイス殿の立場もありましょうしな…伺いましょう」
この国の軍師と占いは無縁ではない。古来から軍師は彼我の軍の吉凶を占うのも仕事のうちだったりする。
「陰陽道を用いた星占いにございまする。浅井の星はその煌めきが不安定となっておりますな。それを見るに…ここ数年のうちに大きな決断を迫られましょう。二つのうち一つを選ぶような決断。そして、そのどちらを選んでも苦難の道となりましょう」
「っ!!…どちらも苦難とな」
「その選択いかんによっては、浅井の星は煌めきを失い、消滅することになります」
「ふむっ?」
「まあ、それだけ聞いても困りますよね…そうならないためにはどうすれば良いかですが…浅井の星を盛り立てる周りの星々…浅井の家臣や妻子、小谷の領民たちを思いやることが肝要かと…もっと言えば、この日本全体のことも考えるべきですが。あと…決断したなら、極端な行動をとるといいようですね。極端に行動し、断固としてその行動と決意をつらぬかれませ」
漠然としているが…俺が言えるのはここまでかな?
俺の難しい立場で精一杯、浅井のためになるように助言したつもりだ。
「家族と家臣と領民のことを考えて決断せよ…か。漠然としていてよくわからないが…浅井にとって存亡にかかわる重要な二択。極端な行動をせよ。断固としてその行動と決意をつらぬけか…ご忠告いたみいる。北近江のことは、ともかく…この日の本のことは、義兄上にお任せしようか…。義兄上はこの国をどうするおつもりです?」
今度は信長様に問うた。
「…。大きな国にする。何者にも脅かされぬ、強く、大きな国に! フロイスの言う、【富国強兵策】よ!!」
「日の本全体で【富国強兵策】……さすがは義兄上!気宇壮大ですな!」
「…で、あるか」
この会見では、浅井の立場を明確にすることをしなかったが…俺達からすれば、浅井家は織田についたほうが得だとも言い切れないし、説明は抽象的にならざるを得ない。
強引な勧誘はしないと信長様とも話あったし。
だが…小谷の地をみて、浅井長政の家族や家臣と会って一緒に食事をした今、浅井と戦うのが忍びないという心情もわいてきた。
(すべては長政殿の決断次第だ。)
長政殿は、俺を酒のさかなにして信長様の器を測ると言った。
俺や信長様の話は、信長様の器を測る参考になっただろうか?
近々、器を試されるのはむしろ長政殿のほうである気もする。
織田家の軍師である俺に素直に浅井の今後について聞くという長政殿の姿勢。おれは、嫌いではない。
頼られた以上、浅井氏滅亡の未来をなんとか変えたいという気持ちもある。
だが今後どんな戦略をたてるかは織田家の将来、俺の使命に関わる問題であり手心を加えることもできまい。
(問題は〝近江を制するものは天下を制す〟と言われている、近江の位置。この北近江の地に長政殿がこだわり、織田と浅井の関係を対等だと考え続けている限り、織田と浅井の衝突は避けられまい。将軍家を擁立した信長様は、実質的な天下人なのだ。信長様に臣従を誓って積極的に朝倉を攻める姿勢を見せるくらいのことをすれば話は別だが…難しいだろうな)
だからこそ、どちらの道を選んでも苦難と言ってるわけで、どちらの道を選ぶかの選択を本人に委ねているわけだし。
こうして、長政殿に謎かけというか、どういう決断をするのか課題が残された。
それからは、お市さまや長政殿、信長様までもが世界の歴史や風俗などを熱心に聞きたがった。
俺が話たのは、ギリシャ時代のこと、キリスト教のこと、などだ。
話は尽きなかったが、
昼過ぎには、近江を立たなくてはならない。
続きはまた、今度と約束して、その日の宴会はお開きとなった。
最後に、朝倉を攻める時には浅井に絶対に事前に相談してほしいと、長政殿から信長様に念を押されたことも記しておく。
この念押しで織田と浅井の対立は決定的になったことも。
どちらにつくかわからない浅井に、織田の戦略を事前に漏らす? そんなこと、出来るわけがなかろう。
信長様も不義理な約束をするものだ。
とにかく、浅井が裏切らないなんて甘い考えは持たない。裏切ったらどうするか?考えておこう。
その場合でも、浅井一家を助命したいと考えている俺はやっぱり甘いのだろうか?
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