第10話張り子の虎とは、紙でできたハリボテです


永禄12年4月18日 本能寺



 ピチュビチュピチュ…。雀がさえずっている。今日も暖かく、天気の良い穏やかな朝である。


 昨夜の喧騒が嘘のようだ。昨夜は接待の相談役として、目の回るようないそがしさだった。まだ、昨夜の疲れが残っていて気怠い。


 これから、信長様と一緒に朝餉をとるところだ。


「おはようございます」


「ふむ、昨夜は大義であった。みな、心より楽しそうであったの」


 信長様は朝から上機嫌だ。ここ何日か、食事を共にしているが、信長様の機嫌、不機嫌の差は日によって顕著に違う。


 この機嫌の良さは、昨日の宴会が上々の出来だったと見て良いかもしれない。



「は。それもみな、弾正忠様と丹羽殿のご差配の賜物でございます」


 別に媚びへつらっている訳では無い。


 宴会を盛り上げたのは、信長様の小姓たちであり、功は、その小姓たちを指導した信長様と丹羽殿にあると思ったからそう言ったまで。新参者の俺にはあの差配は出来ない。



「ふふ…謙遜しておるわ。確かに主な接待役は幼き時から儂と共に育ち、儂や織田家中のことを知り尽くしておる五郎左に任せたが、お主が考えた膳も細やかな気配りと工夫で客の心を捉えておった。そなたは、南蛮の知識をことさらにひけらかすでもなく、二日続きの宴会で客の臓腑が疲れていることを見越した膳を用意してみせた。見事じゃ。それに比べて十兵衛め...。お主は十兵衛の働きをどう見た?」



 明智殿の働きか...俺は、二条城で行われた祝宴には出ていない。出てもいないものをどう見たかと聞かれてもな...。



「は。...それがしは、二条城の祝宴には出ておりませんのでなんとも...浅井様がおっしゃられていた、〝張り子の虎〟〝王侯、将相いずくんぞ種あらんや〟という言葉が気になった程度でしょうか?」


 張り子の虎―見掛け倒しってことか?


 〝王侯、将相いずくんぞ種あらんや〟とは、王や将軍といった高い地位は、実力によってその地位につくべきで血筋によってつくべきではないという〝史記〟に出てくる言葉だそうだ。


 浅井長政殿も信長様も〝史記〟をサラッと引用するあたり、教養が深い。


 てか、信長様って岐阜とか天下布武とか、中国かぶれよな。朱子学を元に中央集権制を目指そうとした説があるのも頷ける。



「そこが気になったか...。十兵衛の狙い―おそらくは華美な祝宴に客を酔いしれさせ将軍家の権威を高めることにあったのじゃろう。将軍家の権威を高める...狙いはよい。じゃが...あの祝宴で将軍家の権威は高まったのかの?張り子の虎と揶揄されておるが…」



「その言われようからすると…何というか…馬鹿に?されておりますな…」



「で、あろう?将軍の権威を高める...。お主ならどうする?」



(俺にその策を聞きますか?まあ、信長様の軍師を名乗っているのですから…冴えた策を述べないといけませんね...)


 …。


 張り子の虎か。

 考えるに...。今は戦国の世。将軍という地位だけではさしたる権威にならないだろう。

 争いを止めるなら争っているものみなを圧倒できるだけの武力―武威を見せつけなければ。


 今の将軍家にはそれだけの武力がない。財力もない。そこら辺が張り子の虎と侮られる要因か。

 権威を示そうと考えたら、張り子の虎ではなく、本物の虎であることを証明するべき。



「今は戦国の世。血筋や地位では天下を平定できませぬ。諸大名に張り子ではなく本物の虎であることを証明するべく、武威を示すべきかと」


 俺がそう言うと、信長様ははたと膝を打った。



「ふむ。それよ!儂は、来年の今頃に越前を攻めるぞ!!」



 ………………。

 …………。

 ...。


 この話の飛びようが信長様か。将軍家ひいては、織田弾正忠信長の武威を示すために再三、上洛を促しているにも関わらず来ない朝倉氏を攻める。この歴史を知っていても、一瞬なんの事か分からなかった。信長様の頭の回転が早すぎるのだ。



「は」



「十兵衛に同じ質問をしたら、どう答えるやら…。朝倉は十兵衛の旧主。武威をしめす…ましてや、越前を攻める。という答えは返ってこぬであろうな…。くくっ…お主は今、将軍家と織田家の両方の重臣である明智十兵衛を超える見識を示したぞ。そなたはこの織田の家中で十分にやっていけるであろう。うん。褒美をやる」



「ありがとうございます」


 ふむ…。十兵衛殿こと、明智光秀殿に信長様が本当に求めていたのは、がんとして上京しようとしない朝倉氏への対応か?


 昔、仕えていたというコネがあるのだから、なんとかしてみせろってところ。


 十兵衛殿が考えた接待の質にも、ご立腹のようだが…。


(朝倉を引っ張り出させたかったのなら、そう説明すればいいのに)


 〝言われなくてもやれ〟ってのは、難しいぞ?



「そうじゃな…さしあたって、先刻そなたが申していた鉄砲と火薬の改良を任す。そのための研究設備と研究費用と人員も要求しておったな...。そのためには、それなりの土地と人員が必要であろう。

……。

刀鍛冶で有名な美濃の関に3000貫の所領を与える。研究費用としては即金で3000貫(約1億5千万円)を与える。金に関しては足りなかったら遠慮なく追加を要求せよ。それで…来年までにそうじゃな…新型鉄砲を500丁と相応の火薬と弾丸を準備せよ」



 .........。



「…は?」


 織田信長が反問を嫌う事を知りつつ、思わず呆けたような反応を返してしまった!


 呆けるのも無理はあるまい。


 まず、400貫から3000貫への大幅な加増。ヒラ取りからいきなり専務になったようなもの。それも給料制ではなく所領を与えられた。大きい支社の支社長みたいなものか?どこの馬の骨ともしれない外国人である俺が領地を経営するためには人並み以上の苦労と工夫がいるだろうが…。


(信長様に使えると見込まれたものはどんどん出世する。そして、その恩に報いるのが当然とばかりに、ぶっ倒れるまでこき使われる。これが信長様が率いている織田家か)


 それから、「新型銃を一年で開発し、500丁揃えよ」という要求のタイトさよ!!

鉄砲はこの時代、一丁ずつ職人が手作りしている。一年で500丁は、従来の鉄砲を作るのでも相当の手間と人員がいるのではないだろうか?それを開発からだと?結構な無茶振りである。


 とくに銃身にライフリングを刻む作業がネックだろう。工作機械を用いないライフリングは熟練の職人でも困難な作業なのだ。ライフリングを刻むのがどれだけ大変かわからないだろうに、勘だけでまじ、できるかできないかギリギリの量をオーダーしやがった。まぁ、ギリギリっていっても部隊の編成や訓練の期間を差し引いてギリギリってことなのだが。


(この直感力、信長様は天才か?それとも鬼?…あー、超絶ブラック総合商社だったな…)



「〝は?〟とはなんじゃ…出来ぬのか?」


 信長様はちょっと不機嫌になった感じでそう言った。



「いえ…やってみせます!!」



「ふむ。期待しておるぞ。まずは3000貫の所領と投資で、存分に神に見込まれたそなたの力を見せてみよ」



「ははーっ!!」


 上司に圧をかけられると無茶な仕事でも引き受けてしまうのは社畜の癖だろうか…


(領地経営と鉄砲を開発するための準備...これから、忙しくなるだろうな)


 そして、朝倉攻めにも懸念がある。


 信長様に将軍家の権威を高めるにはどうすれば良いか?と聞かれた時に、武威を示すべきとは言ったが、朝倉を攻めると言わなかったのには理由があるのだ。


 この戦、史実の通りなら越前を攻め滅ぼす直前で浅井長政が裏切り、よもやの逆境というか絶対絶命の危機にさらされることになる。


 ...。


 だが、今はそれを言うまい。京から美濃に帰る際に近江に招かれている。今それを言ったら、角が立つであろう。


 それに、史実にない私的な宴会を開いたことで歴史は変わりつつある。返礼として近江に招かれたのもおそらく歴史になかったこと。これによりどう歴史が変わるのかを慎重に見極めなければ…



♠️


「うーん...」

 俺は自室にもどって信長様から受けた人事と命令について考える。


 信長様に圧をかけられて、手拍子で命令を受けてしまった。だが…この命令は何かが引っかかる。なんだろう?


 …。


 どこの馬の骨とも知らぬ南蛮人の俺にいきなり3000貫という膨大な所領を与えられた点か?


 確かに新兵器の開発には、開発者の自由にできる資源―土地と金、人員、研究に必要な材料、設備などが必要だ。


 鉄砲をつくるのは刀鍛冶の応用的な要素が強いので、刀鍛冶で有名な関を与えられたのもそうおかしなことでは無い。


 しかしながら…美濃を攻略した直後ならばともかく、今、新たに美濃の地に所領をもらっていいのかという疑問が残る。


 信長様の直轄地ならば無問題だろう。

信長様本人の直轄地が減るだけのことだから。


 だが、関…誰か別の人の所領だった気がする。誰の所領だったか…



(オモイカネ様…)


 俺はうろ覚えの記憶に頼ることなく、アマテラス様につけてもらった知恵と知識と技術の神たるオモイカネ様を頼ることにした。



〔関の今の領主じゃな。...。齋藤道三の八男、齋藤利治じゃ〕


 …。

 

 あーあ。だめだこりゃ。まず、信長様の直轄地じゃない時点でアウト。所領を取り上げられたらもちろんのこと、国替えでも相当恨まれそう。



 しかも、齋藤家って言ったら実質的に美濃を支配していた家で信長様の正室帰蝶様も美濃の齋藤家出身。


(斎藤家の八男て、そりゃないでしょう!)


齋藤利治殿に恨まれるだけでなく、帰蝶様にも睨まれるだろうし、関の領民からも恨まれるかもしれない。一揆を起こされたり?


 武士っていうのは、与えられた所領を守るために命をかけるものであるはず。一所懸命ていう言葉があるくらいだし。


 そんな簡単に所領を移したり奪ったりしては武士の面目が立つまい。


 

 御恩と奉公という形、いずれは変えていかないといけないものだろうが…。今は配慮しておくべきだろう。



(違和感の正体はこれか。この話、絶対受けたらダメじゃん)



 俺が恨まれて仕事がものすごくやりにくくなりそう。400貫から3000貫への急激な出世だけでも周囲の妬みを買うだろうに...。


 俺がやったのって今のところ宴会の相談役だけだぜ?

それで年収2千万円から1億5千万円に昇給っておかしくね?


 俺のプレゼン力の勝利というか、俺への期待の表れだろうが…贔屓ととられてもしかたない。


 その上、この命令は正室の帰蝶殿や齋藤家の人間を敵に回し兼ねない行為。

信長様も恨まれるはずだ。


 以上の点から俺が新たに所領を貰うのはNGである。給料制のままで昇給していただきたい。




 仕事場だけど…信長様の直轄地で鉄砲の生産に適した地は他になかったかな?


 ...。


(そうだ、堺があるじゃないか!)


 堺ならば、鉄砲の大産地。刀鍛冶から転職させなくてもわずかな指導だけで新型鉄砲を生産できる。

そして、堺はまさしく信長様の直轄地なのである。



 鉄砲の大生産地である堺を候補に挙げなかった理由はなにかあるのか?よっぽど俺に所領を与えたかったとか??


 …。


 いやいや。茶器を勲章のように扱って家臣になかなか所領を与えなかったというドけちな信長様かそんな発想で所領をくれるとは思えない。



 当時の情勢を思い浮かべてみる。


 鉄砲をつかう集団で有名なのは...。まず、織田信長。

他には...傭兵として有名な、雑賀衆とか根来衆あたりか?



(あ)


 堺だと、その辺の勢力に情報が漏れるかもしれないと踏んたのでは無いか?


 雑賀衆や根来衆が基盤としている紀州は独立心の旺盛な地であるという。堺もそれは同様であり、雑賀衆とも根来衆とも強い結び付きがあったはず。


 いつ敵になるか分からない傭兵集団に、新式鉄砲の情報が漏れるのは危険だということか?

 実際、雑賀衆は後に敵になるしな...。ふむ。たしかに堺で新式鉄砲を作るのはなしかもな。


 それでも国替えはありえない。

関の地で新型鉄砲を作ることを考えるならば…斎藤利治殿と共存する方法を考えなければ。



 うーん…。


 例えば…俺が織田家の鉄砲奉行となって齋藤利治殿に協力を仰ぐとかはどうだろうか?帰蝶様に口利きをお願いしても良い。


 ふむ。これなら信長様の正室にして齋藤家出身の帰蝶様に恨みを買うどころか、恩を売れて関心も買える。


 我ながらいい感じの策なのではないだろうか?


 斎藤道三の愛娘であった帰蝶様がどんな美女なのか?との興味だけで会いに行こうとしているわけではない。断じて。



 こうしておれは所領を得るのを辞退し、給料制で年収3000貫と新式鉄砲の手付金3000貫を貰って、鉄砲奉行に就任したのだった。


……………………………………………………………

ルイス・フロイス


主君:織田弾正忠信長


所領:なし


禄高:400貫→3000貫


役職:軍師兼鉄砲奉行


官位:無し


直臣:無し


養える兵数:300名ほど


協力者:丹羽五郎左長秀、今井宗久など

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