第21話 告白

 今でこそ落ち着いた精神状態を維持するあずさではあるものの、月都と音信不通になり、裏の世界の内紛が終わった直後、彼女は思わずローレライの前でこぼしてしまったのだ。


 


 正気の沙汰ではない発言だと今なら斬って捨てられるのだが、当時かなり追い詰められていたあずさにとっては、まごうことなき本音でしかなかった。



 罪と罰で始まった感情が、親愛と恋に昇華された。


 あまり幸福な人生を送って来なかったとかつての魔神にすら揶揄やゆされた女。その哀れな兎の妄想の具現が、月都という存在であったのではないかと一時期抱いた妄執もうしゅうは、他ならぬローレライから食らわされた正論パンチを受け、粉微塵こなみじんと化したのだ。


『月都お兄ちゃんは確かに存在している。私は私が健康体で何事もなく生きているという望外の幸福が、彼の存在した第一の証であることを掲げるの』


 可憐な容貌に似つかわしくない、憤怒の宿った瞳。


『忘れてないよね? 私とあずさお姉ちゃんが月都お兄ちゃんを通して散々いがみ合っていたことを』


『いえ……あれは。正直あずさはローレライちゃんのこと嫌いではありませんでしたし、どちらかというとあなたが一方的に突っかかって来た印象が強いのですがー……』


 その双眸に射竦められたあずさは、目を泳がせながらも、正気を取り戻す実感は伴いつつあった。


『ほら! それ! 覚えてるんだよ! きっちり覚えてるのに! 覚えている癖に! 辛いからって忘れたフリをするな!』


『――ローレライ、ちゃん』


 一見するまでもなく怒り狂っているローレライではあるのだが、


『あずさお姉ちゃんは月都お兄ちゃんの恋人なんだから、自分自身を卑下するようなことを言っちゃ駄目なんだよ。そんなんじゃあ、月都お兄ちゃんが悲しむんだよ』


 怒りを上回るあずさに向けた心配心が、何とか正気を取り戻した彼女の脆い部分に入り込む。


『一人で抱え込まないで欲しいんだよ……月都お兄ちゃんの代わりになれずとも、私達はいるじゃない』


 あずさを抱き寄せるために伸ばされた人魚姫の手は、とても――とても温かかった。










(みなさんに支えられて今のあずさがある……なんて、暗殺者でしかなかったかつての私では、思い浮かべもしなかった類の思考ではないかと)


 今、あずさが小夜香・ローレライの姉妹と共に居を構えているのは、裏の世界ではなく表の世界。とある地方都市の片隅に佇む住宅街の中だ。


(猫……あなたの焦がれたであろう冷酷な道具は最早どこにもいません。私は、あずさは、ちょっと戦闘能力に秀でただけの、どこにでもいるありふれた女になってしまいました)


 そこから最も近場の商業施設で食料調達を済ませ、彼女は女性一人では本来重過ぎるであろう量の荷物を苦もなく運んでいた。


「ご主人様、いつになったらお会い出来るのでしょうね」


 澄み渡る蒼穹そうきゅうを仰いで、一人呟く。


 何度目になるか分からない程に繰り返された問いかけ。やはり返って来る声はない。


 幾らかの寂しさを心の内に織り交ぜ、それでもいつものことだと割り切り、また一歩足を前へ踏み出そうとしたところで――、


「お気持ちは有り難い上に滅茶苦茶嬉しいんだが」


 道端で黒髪の少年が数人の女性に囲まれている。


「生憎と俺は恋人を少し待たせてしまっていてな。まだ正式ではないが、ここは敢えて言い切ってしまおう」


 されど囲まれている少年も囲んでいる女性達の間にも、さりとて剣呑な空気は見当たらない。


 どうやら少年はその見た目の良さからナンパをされたようだが、彼の方は恋人が存在することから乗り気ではなく、至極穏便に断りをいれていたようだ。


「だから食事の誘いは申し訳ないが断らさせてもらうぜ。あ、いたいた」


 そこで少年は実にタイミング良く、あずさの方を振り返った。


 十代半ばから後半辺り――丁度高校生くらいの年代に差し掛かる、黒髪黒眼の美人。


「この娘が俺の彼女」


 少年は気負った風もなくあずさを指し示し、彼女こそが己の恋人であるのだと言い切った。


「………………………………………………………………………………………ん?」


「可愛いだろ?」


「……………………………………………………………………………………………えぇ?」


 ドサリ、ドサリと。音がした。


 それが買い物袋を立て続けに道端へ落とした音だとあずさが気付いたのは、既に少年――乙葉月都をナンパしようとしていた女性達が和やかに立ち去った後のことである。










「ごーーーーーしゅじーーーーーーーんさまーーーーーーーーーーーーー!?」


 我に返ったあずさ。いつの間にか道端のベンチに座っていたことさえ気づけぬ程の放心状態であったようだ。


「ただいま」


「おかえりなさいませ……じゃなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」


 ぶわわわわっ――と、頭のてっぺんから生えた兎耳の毛を逆立たせ、まんまるの目からは涙をとめどなく流し、あずさは隣に腰掛ける月都に詰め寄った。


「遅過ぎます! 今が一体いつだと思っていらっしゃられるので!?」


「桜咲いてるから――春だ」


 持っていたハンカチであずさの涙を拭いてやる月都の様子は、そのほとんどが四年前のままである。


「言うて数カ月振りだろ? その程度なら誤差ってことでこの通り」


 だがしかし、身に纏う魔力のおどろおどろしいまでの凶悪さが、天才的な魔人のさらに先へと彼が足を踏み入れたことを如実に証明していた。


「西暦二千二十二年、今日は四月の二十日です。四年越しのおかえりなさいませなのですが」


「え、嘘だよな?」


「誰が原因か敢えて語りはしませんが、事前に食い止めはしたものの、地球全てが海に沈みかけてもいましたよ」


「えーと、うん、あー、その……まぁ、今が良いならそれで終わり! 細かいことは気にすんな!」


「神になったことで随分と適当な性格に変わられたようですね」


 力や存在が強大になったのは当然として、かなり神経質であったはずの月都が、あろうことか先代の魔神のごとく大雑把でおおらかな部分も備えるようになっていたこと。こちらもあずさには大きな驚きを覚えさせた。


「ご主人様はやはり、魔神になったということでよろしいのでしょうか?」


 当初は思い悩み、苦しみながらも月都を待ち続けたあずさ達と乖離かいりする彼の能天気さを受け、若干の不満を爆発。


「その認識で構わないぜ。俺の肉体は魔人の範疇にすら収まっていない。けど味覚はそのままっぽい。良かった良かった」


 けれど、やはり月都が帰って来てくれたことの喜びに代えられる感情はこの世界のどこにもないのだと、ジュースを飲む横顔を眺め、あずさはしみじみと考えていた。


「みんな、どうしてる? 俺の存在を魔神として馴染ませている間は動けなくて、心配も迷惑も存分にかけたのは分かってるけど」


 飲み終えた缶ジュースを近くにあったゴミ箱に投げ捨てた勢いのまま、月都はあずさに向き直る。


「姉ちゃんは先に連絡を入れたから何となく分かる。学園の理事長になったんだよな」


「そうですね。ご主人様が帰って来やすい環境を整えるため、極東魔導女学園を極東魔導学園に改めるところから始まり、次代に繋げる魔人の教育に熱意を注いでおります」


「ルコは?」


「蛍ちゃんは桜子ちゃんの補佐として一ノ宮家に務めています。変態なのは相も変わらずかと」


「呆れたような安心したような……ローレライとサヤさんは?」


「お二人は先に挙げたソフィアさんや蛍ちゃんとは異なり、例外的に力が衰えてはいませんからね。今も新たな脅威に立ち向かうべく、魔人として最前線に立ち続けています。及ばずながら、このあずさもサポートさせて頂いています」


「揃って元気そうで何よりだ」


 矢継ぎ早にも程がある質問の連鎖は、あずさのみならず、最愛の姉や極東魔導女学園で出会った仲間を月都が大事に想っているからこそなのだ。


「早くみんなの元に戻りましょう」


「おう、そうしようぜ。俺は


 月都に続いて飲み終わったペットボトルをゴミ箱に投げ入れ、あずさは立ち上がる。


「……ただその前に一つ、やっておきたいことがある」


 再度食料品の入った袋を手に取ろうとしたあずさの右腕を、唐突に月都が掴む。


「どうされました?」


 首を傾げるあずさ。彼女を上から覗き込むようにしながら、月都は言葉を重ねた。


を」


「――っ!!」


 血族審判の直後はあくまで告白の予告。


 最終決戦の直後は本番の告白が紡がれかけたものの、月都が魔神となった影響で安定性を保てず、別の空間に本人が望まずとも引っ込んでしまった。


「あずさ、聞いてくれ」


「聞き届けますとも――ご主人様」


 待ち続けていた告白の続きが今まさに始まろうとしていて――、


「あ、やっぱりちょっと待ってもらってもいい?」


 されど真剣そのものの表情から一転。作り上げたシリアスムードをぶち壊しかねない勢いで、月都がシュタッと手を上げた。


「大丈夫ですよ。四年以内であれば、あずさはいくらだって待ちます」


 やれやれと肩を竦めて笑いながらも、あずさは冗談めかした風に答える余裕を示す。


「流石にそこまではもう待たせねぇよ」


 安心してくれ――と前置き、月都は告白の前にどうしても言っておきたかったことを口にする。


「ご主人様ってのはもう、やめにしないか?」


「やめにする……とは?」


 抽象的過ぎる物言いに、まだあずさの理解が追いついていない。


「俺は女を無理矢理縛り付けなくてもやってける精神状態になった。いい加減、主従だけの関係は終わりにしようぜ。この恋を先へ繋げるためにも」


 だが、ここまで説明を受ければ、頭の足りないことに定評のある兎耳メイドだって、主の言わんとしていることを察することが出来た。


「承知致しました、ご主人様――否、。あの日の続きをどうか、あずさに聞かせてください」


 断る理由は一つもない。そもそもメイド服をとっくの昔に脱いでいた時点で、漠然とではあれどあずさの側もそういった覚悟は終えていたのだから。


「――分かった」


 今までとは異なる好きな女子からの呼び方に、一瞬思春期の少年らしく胸をときめかせていた月都。


 しかしすぐ様真摯で切実な態度に切り替え、告白を始めた。


「あずさ、俺はおまえのことが好きだ。白兎あずさという女性に対して、強い恋愛感情を抱いている」


 その時、風が吹いた。


 冷たくない。激しくない。


 柔らかで温かい風が、ヒラヒラと桜の花弁を、祝福のごとく二人の上に舞い散らせた。


「俺の恋人になってはくれないだろうか?」


 どこまでも優しい薄桃色の世界の狭間で、メイド服を捨てた兎耳の少女は、穏やかにそして幸福そうに微笑んだ。


「はい、喜んで」














 復讐は何も生まない。だとしたところで許せないことの一つや二つ、この残酷な世界では吐いて捨てる程に転がっている。


 かつて復讐を遂げた虐げられし少年は、魔神を踏み台に女への――ひいては世界への逆襲を終えた。彼はその先でようやく、人として真っ当な幸福と人生。そう呼べるだけのモノを得ることが出来たのだ。








虐げられた最強の少年はヤンデレ美少女達を固有魔法で奴隷にして、まずは魔導女学園の頂点の座を奪います(完結)

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虐げられた最強の少年はヤンデレ美少女達を固有魔法で奴隷にして、まずは魔導女学園の頂点の座を奪います 三矢梨花 @three-arrows558

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