第20話 四年越しの吉報

「どーどーどー。落ち着けって、なぁ? 姫さん」


「お姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん……」


 べそべそと泣きわめくローレライをなだめるのは、燃えるような赤い髪を緩く一本に編み込んだ幼女のごとき女性――小夜香。彼女はあずさと同様、四年前と何ら変わらぬ容姿を保っていた。


 棚の上に丁重に飾られている鹿のぬいぐるみを手に取って、ローレライの鼻先にソレを近付けるのだ。


「ほーら。も姫さんが泣いてりゃ悲しむってさ。あたしだって笑顔の姫さんが最高に可愛いって思ってるぜ」


「つーちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん……」


 小さな姉と大きな妹。二人のやり取りや関係性に微笑ましさを覚えつつ、あずさは鹿のぬいぐるみを複雑な心境で見やった。


 乙葉月都が残した、置土産の一つを。


「あらあら、まぁまぁ」


 と、そこで。楚々とした足取りで三人の元へにじり寄る人影が。


「久方ぶりにこちらへ参りましたが、何やらローレライちゃんが悲しげなご様子。如何なされましたか?」


「何でもないんだよ! 私は滅茶苦茶元気なんだよ!」


 合鍵を用いてあずさとローレライ、小夜香が住まう家に上がり込んだ和服姿の目の死んだ女は、かの変態大和撫子――蛍子である。


「そう仰らずに。お困り事がございましたら、是非とも一糸纏わぬ素肌になるがごとく、この愚かなる雌豚に対して大胆に打ち明けてくださいませ」


 彼女はニコニコとたおやかに微笑んで、ローレライの背後に回り込み、胸を鷲掴みにした。


「人の! おっぱいを! 出会い頭に! 揉まないで!」


「ローレライちゃんのさらなる成長には必要なことでございましょう」


「やーめーてーなんだよー!!」


「蛍子ぉぉぉっ! 姫さんになーにしてくれとるんじゃーい!」


 ヤダヤダと激しく抵抗の意思を示すローレライを救出すべく小夜香が動いた。


「ぐふっ――」


 次の瞬間には小夜香の繰り出したパンチはとっくに蛍子の腹にめり込んでいたのだ。


「……あら、あら、あら、あら。いつもながら一切の情け容赦無き腹パンチ。これこそが小夜香先輩の愛ということでよろしいでしょうか?」


 パンチの高過ぎる威力によって派手に吹っ飛びながら、その痛みすら愛おしそうに受け入れる辺り、相変わらずの変態さである。


「久しぶりですねー、蛍ちゃん」


「あらあら、あずさちゃん。ご無沙汰しております」


 あずさやローレライ、小夜香のような例外を除き、魔人の最盛期は俗に言う高校生程度の年代に限られていた。


 ゆえに二十代に差し掛かった蛍子は以前のように魔人としての力を十全に振るえないものの、タフネスを完全になくしたわけではないため、さしたるダメージもなく先程まで倒れていたはずの彼女は即座に立ち上がった。


「まだ若いからってあんまり無理するんじゃねぇぞ」


「頑丈だけが取り柄でございますので早々に倒れやしませんよ」


 ローレライと比較すると扱いがとことん雑ではある。


「計画はどうにも上手く行ってないって聞いてたんだが。そのわりに元気そうで良かったぜ」


 されど小夜香が妹分としての蛍子を思いやる心は確かに存在していたのだ。


「えぇ、そうですね。わたくしは紫子さんを一ノ宮家当主の座から迅速に引きずり下ろすことが出来ず、桜子お嬢様と揃って苦慮しておりますが」


 現在、蛍子は実家の一ノ宮家に帰り、異父妹である桜子の補佐として仕事に励んでいた。


 姉妹は紫子を蹴落とすべく奮闘しているのだが、当の本人は『まだまだウチは現役やで! アンタらは若いんやからウチの目の黒い内に好き勝手遊んできぃや!』――と言い張り、未だ一ノ宮家のトップに君臨していた。


「わたくし達がめげることは断じてありません。まずはこれまでたくさん苦労なされた紫子さんの重荷を無くすべく、彼女を当主の座から追い落として隠居生活を送って頂き、月都様をお迎えするに値する裏の世界の構築のための布石を、桜子お嬢様を御旗により一層強く激しく刻んでいきましょうとも!」


 月都と出会う前の蛍子であれば、こうも和やかな権力闘争は巻き起こっていなかったはずだ。


 そのことに思いを馳せ、人知れず口元を緩めていたあずさの視界に――、


「随分と賑やかじゃない。私も混ぜてもらえるかしら」


 ヒラヒラと手を振りながら喧騒の中に入って来るのは、金髪碧眼が目を引く華やかな風貌の女性――スーツ姿のソフィアであった。


「蛍ちゃんのみならずソフィアさんまで。全員が揃うのは珍しいですねー」


「どうせだし何かこしらえるか……あっちゃ、五人分となると流石に食材が足りねぇな」


 懐かしい顔ぶれが勢揃いしたことで驚きに目を丸くさせるあずさと、冷蔵庫の中身を確かめる小夜香。


「あずさが買ってきますよ」


「ん、そりゃあ助かるが、いいのか?」


「構いませんとも」


 その傍らでは尚もじゃれ合うべくうざ絡みを続ける蛍子と、未だ若干の苦手意識を彼女に対して覚えているローレライが戯れていた。


 そんな二人の横を抜けて、あずさは玄関へ向かった。







「――あずさ」


「ソフィアさん、どうしました?」


 しかしリビングの喧騒から離れたかと思いきや、ソフィアがあずさの後を颯爽と追ってきていたのだ。


「いえ……急を要する用事というわけではないのだけれど」


 四年前から微塵も成長していないあずさとは対照的に、ソフィアは大人の女性として相応しく成熟していた。


「調子はどう?」


「あずさはいつでも元気なのです。蛍ちゃん程ではありませんが、あずさとてそこそこに頑丈かと」


 勿論胸部に限ってしまえば昔の通りなのだが、敢えてその事実を告げる蛮勇を、仲間の誰もが持ち合わせてはいない。


「……アナタ相手にまどろっこしいのはよくないわね。無礼を承知の上で単刀直入に行きましょう」


 最初は核心に触れぬよう慎重な姿勢であった、ソフィア。


「つー君がいなくなって四年が経つわ。色々と大丈夫なの? 変に背負い込んでない?」


 されど察しの悪いあずさ相手に持って回った言い方では、いつまで立っても話が先に進まないことを今更ながらに思い出したらしい。


「――ご主人様は死んだわけではありません。いつか帰ってくるという希望があるだけあずさは全然大丈夫ですし、全然待てます」


 あずさの言葉は決して強がりだけではなかった。


 


 四年前の最終決戦、魔神と化したのを最後に彼は姿を消した。しかし乙葉月都は先代の魔神が住処にしていた空間で眠り続けている。この事実は裏の世界の魔人達にとって観測済の現象かつ常識であった。


「どちらかというとご主人様不在によってブチ切れたローレライちゃんが、あの時の宣言に従って世界を滅ぼさないかどうかの方が普通に恐怖でした」


「それは……まぁ、結果的につー君は生きていると理解してくれたけど、恐怖を感じるのは無理もないわ。つー君が不在の今、裏の世界の最強は未だローレライであることに変わりはないのだし」


 あの空間は魔神側が招かない限り、たとえ魔人であろうと人間には侵入不可能。


 乙葉月都は生きているものの、彼が一切の音沙汰無しに帰って来ないのもまた真実ではあったのだ。


「ご主人様は乙葉家から逃亡して以来、ずっと走り続けていましたから。英気を養うべく少しくらい休んだって仕方のないことなのです」


 だが、あずさは心を強く保ったまま、主の帰りを待ち続けていた。


 あの時の彼の告白。予告ではない本番の続きをずっと――死線をくぐり抜け、月都への想いを同じとする仲間と共に。


「心配はむしろ甚だしい無礼だったかしら」


 あずさに宿る覚悟を間近に受け、思わずソフィアは肩を竦めるのだ。


「あずさがこうも悠長に構えていられるのは、ソフィアさんを含めたみなさんのお陰です。一人取り残されていたら、こうはならなかった」


 そのことに深い感謝を滲ませて、ソフィアの碧眼を真っ向から見据える。


「私はつー君のお姉ちゃんよ。あの子の帰りを待つことも、あの子の居場所を守ることだって、姉として当然の役割」


 虐げられた男が魔神の座にたどり着いた。


 月都の失踪後、男を下に置くことが当たり前であった裏の世界で内乱が勃発したのは記憶に新しいことだ。


 けれど、月都側に立つグラーティア家と一ノ宮家の勝利によって内乱は鎮圧。


 さらには地球からではなく、先代の魔神の故郷と思しき異界から送り込まれるようになった、これまでの使い魔と非常に類似した人類に害をなす存在との戦いが幕を開けたことで、裏の世界は男も女も関係のない、人類を陰ながら守護するためだけの場へと徐々にではあるものの生まれ変わりつつあった。


 アリシア・グラーティアに代わるの新理事長として、九割の女子生徒と一割の男子生徒を抱えるソフィアは、日々裏の世界を弟の暮らしやすい場所にするべく、蛍子とはまた異なる形で奮闘していた。


「ただ敢えて不躾に希望を述べるのならば、早くアナタには私の正式な義妹となって欲しいわ」


「ソフィアさん……」


 冗談めかして言ったその言葉は、あずさの心を上向ける励ましに他ならない。


「長々と引き止めて悪かったわね。行ってらっしゃい」


 気恥しそうに頬をかくソフィア。彼女の血の繋がらない弟の面影をそこに重ね、意気揚々とあずさは自宅の玄関を飛び出した。


「はい! 手早く済ませるので待っていてください!」


 一度振り返って手をぶんぶんと回し、すぐにあずさの背中は見えなくなる。


 それでも彼女の出て行った玄関に佇んだままのソフィアの仕事用の携帯端末に、突然連絡が入ったのだ。


「――嘘、これって……まさか」


 画面に表示されたテキストに目を通したソフィアの表情は驚愕に満ちていたものの、やはりそれは歓喜の二文字で表現するのが最も相応しい。

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