第19話 虐げられた少年の、逆襲

 魔神は死んだ。


 月都は彼女の権能のことごとくを奪い去った。


 人類の、魔人の――そして何より乙葉月都の勝利である。


「終わっ、た……?」


 呆然とした風に堕ちた彗星の残骸を眺めていたものの、ようやく我に返ったあずさは空を浮遊しながら、最愛の主の元に駆け寄った。


「ご主人様! 流石です! ついに! 悲願が! 叶ったというのですね!」


 これまでにないくらい銀色の兎耳を躍動させて、たまらずといった調子で声を張り上げる。


「あぁ、本当に良かった。あずさ……みんなには、感謝してもし切れないくらいの恩がある」


 落ち着きのないその様を、月都は愛おしげな眼差しで見つめていた。



 けれども、まだやり残しがあるのだと表情を真摯なモノに切り替え、声に魔力を載せた月都は語り始めるのだ。


「俺は、歴史上二番目に魔人になった男だ」


 逆襲劇の幕を下ろすべく。


「男というだけで疎まれ、排され、虐げられるべき存在に堕とされた。俺の才能をおまえらが勝手に恐れ、いなかったはずの怪物を作り上げた。俺の――」


 ――ただ一人の家族を、母を奪った。


 この言葉にだけは魔力が載せられておらず、聞き届けたのは側にいたあずさのみ。残りは風に吹かれて霧散する。


「女が憎い。


傲慢に男を排除するところが。


感情的で直情的な物言いしか出来ないところが。


己の価値観を世界全ての正義であると恥知らずにも喧伝するところが。


無闇に群れ集い、個を攻撃するところが。


悪徳をなしておきながら自分だけは正しいと平気で思い込めるところが。


何もかもが憎悪に値する。おまえらなんか大っ嫌いだ。俺は女が憎い。憎くて憎くてたまらない」


 息を吸って吐くよりも自然な心地で、女への憎悪を吐き出す。


「だけど俺は母性愛を信じ、父性愛を信じない男だからな。男は男で大嫌いなんだよ」


 その上で男も嫌いだと乾いた笑顔で断言した。男親に愛しい母共々裏切られた月都が、父性愛の存在に対して懐疑的になるのは仕方のないことなのだ。


「それでも、許してやるさ。おまえらという矮小な存在を一切の例外なく」


 これらの憎悪を抱え、屍のように生きながらも、魔神になり代わることで自分自身の人生を始めたいと無謀な夢を追い求めていたのが、今までの月都。


「全魔人の頂点に立ち、魔神に成り代わった俺を止められる者は、裏にも表にもいやしないだろう。だからこそ、生まれて初めてこんなにも、心の余裕があるんだ」


 しかし今の月都は、誰からも愚かだとそしられるような無茶を自らの手で実現させていたのである。


 乙葉月都が本当の意味で救済される条件は、これにて整った。


。俺は魔神のように世界を滅ぼしたりしない。裏と表――人類に対して可能な限り優しくしようじゃないか。手始めに使い魔の殺意を消してやったのも判断材料の一つにしてくれ」


 彼の言葉通り、再び裏の世界に降り立った使い魔は皆戦意を喪失し、使い魔の発生源であった暗雲の間に空いた穴も、それどころか巻き起こっていた異常気象の全てが終息していた。


「かつて虐げた男が魔神として君臨する。災厄を司る存在になった俺から慈悲を向けられる屈辱を永遠に噛み締めろよ女共。今日から揃って生き恥を晒せ」


 ニヤリと、余裕たっぷりの不敵さで笑ってのけ、宣言は終わったとばかりに優雅な一礼をなす。


「俺、頑張ったよ」


 やはり魔力を載せていない声音が届く相手はあずさだけ。


 だがしかし、この時ばかりは風に攫われるのみならず、ここにはいない別の愛しい人に向けたことはあずさにも理解出来た。


「あずさ」


 風に髪をなびかせて、月都は傍らのあずさに目をやった。


「はい、ご主人様」


 穏やかな漆黒の双眸をしっかりと見返すのだ。


「全部終わったから、その。あの時の告白を……さ。予告を本番にしたい――」


 あずさから見詰められたことで照れたとでもいうのだろうか。


 困ったような微笑みを浮かべ、頬をかいた次の瞬間。


「――え、」


 そこに一秒前まで存在していたはずの月都の姿は、どこにも見当たらない。


「ご主人……様?」


 事態をまるで呑み込めていないあずさの空虚な呟きが、空の上を通り過ぎて行く。








「なんでぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 ある春の日の真っ昼間。


 とある家のリビングで、怒りと悲しみの叫びが轟いた。


「あずさお姉ちゃん! これはズルってものなんだよ! そうだ! アレだ! 最近お姉ちゃんから教わったの! チートって言うんだよチートチート!」


 水色の長い髪を振り乱した女は丁度二十歳になるかならないかくらいの年頃。


 黙っていれば楚々とした美人、どこかの良家に育った令嬢ではないかと思わせる風貌ではあるものの、ゲームのコントローラーを投げ飛ばして地団駄を踏む姿からは、あまり品性を感じ取ることが出来ない。


「あずさは普通にプレイしてるだけですってばー。何をもってしてそういう風に判断するのです?」


 彼女に対するのは、ロリータドレスに身を包む兎耳の少女。こちらは残念美人――ローレライと違ってかつてより成長することなく、十代半ば程度の齢の外見を維持していた。


「五十回もレースしたのに! 一度だって私はあずさお姉ちゃんに勝てないんだもん!」


「いいですか、ローレライちゃん。現実は残酷です。しっかりと受け止めてください」


 兎耳の少女――あずさは努めて引き締めた面持ちを保ったまま、憤慨するローレライの肩へ優しさを感じさせる程慎重に手を置いた。


「機械音痴の極まったあなたが弱過ぎるだけなのですよー」


「むきーーーーーーぃぃ!!」


 暫くは幼子のような癇癪かんしゃくを撒き散らしていたローレライ。


「……そっか。そうまでしてこの人魚姫を愚弄し、嘲笑し、虚仮こけにするというのならば、私にだって考えがある」


 されど彼女は途端に表情を絶対零度へと固めてのけ、何らかの覚悟を感じさせる所作で立ち上がったのだ。


「表に出るんだよ! さぁ、魔導兵装を展開して! いざ尋常に勝負なんだよ!」


「絶対あずさが死ぬやつじゃないですか!? 小夜香さーん!! あなたのとこのお姫様が暴走しておりますのでお助けくださーい!!」


 今日も今日とて日常が回る。


 乙葉月都の帰って来ない世界はいつも通りの平常運転であった。

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