第18話 対魔神戦 閉幕

 あずさの体を張った静止。否応なしに魔神は絡め取られてしまう。


 膨大な魔力を纏わせた月都の右手が、瀕死に程近い兎の向こう側で掲げられている。


 先程あずさが発動させかけた術程の効力は望めないにせよ、これだけの密着だ。魔神の権能は現在大部分を制限されている。


 無論、メイドの力が魔神に遠く及ばない以上、この均衡はいつかは崩れ去る類のもの。


 けれども、掲げた右手を月都が振り下ろすには充分過ぎる時間でもあった。


「よくやってくれた」


 魔神を縦に叩き割った月都が――と、囁いた。


 すると確実に死の淵へと誘われつつあったあずさが、深手などなかったかのような姿へと、たちまち元通りとなるのだ。


 災厄を撒き散らすだけではない。


 ローレライの一件を契機に、人を救う道を得たからこそ出来たことである。


「それでも、ボクは死ねないんだね」


「安心しろ。今すぐ殺してやるから」


 先の一撃で魔神は力の半分を月都に持っていかれた。


 姿こそプラチナブロンドの髪をまとめ上げ、装飾過多なドレスに身を包んだ、少女のような幼女のような可憐なる女。


 しかし今、魔神の姿はおぼろげでかすみがかっていた。


「嬉しい言葉を言ってくれるじゃあないか」


 いつの間にか、魔神の表情には人を食ったかのごとくヘラヘラとした笑みが取り戻されていた。


 どちらが本当の姿なのか。ふと疑問に思うが、そもそも彼女が本心を晒したことなど一度もなかったはずだ。ならば最早手遅れでしかないのだと、敢えて月都は思考を閉ざした。


 この場に立っている以上、月都が魔神を救い出すことは不可能。


 殺して踏み台にする道だけが、先には広がるのみ。


 魔神のことが憎いわけではなくとも、月都の無謀な夢が優先順位の第一から引きずり降ろされることは決してないのだから。


「これで最後だからさ。恨みっこなし、真っ向から、拳で勝負ってのはどうだい?」


 双剣を虚空に消し去った魔神が、おもむろにそんな提案をなす。


「いいぜ」


 神妙な面持ちをもってして、二つ返事で月都は頷いた。


「ご主人様……」


 不安に満ちた眼差しが月都の背中を刺した。


「おまえのお陰で好機を掴めた。大丈夫だよ、絶対に」


「っ、はい! あずさは! ご主人様のことを信じて信じて! たーくさんっ信じるのです!!」


 根拠のない声援こそ、月都は拠り所として求める。


 幼子が無邪気に夢を追い求めるような純粋さを、何よりもの癒やしとしたのだ。


「――」


 月都は魔力を練り上げる。


 最後の最後に練り上げた魔力の質は、帰りたい場所に帰る意志、会いたい人達の元に会いに行く意志で満ち溢れていた。


「――」


 魔神は魔力を練り上げる。


 最後の最後に練り上げた魔力の質は、ようやく終われることに対する安堵、死にたかった女が死ねることへの歓喜で満ち溢れていた。


 彗星が二つ、裏の世界の上空を彩った。


 同種のようでいて本質は異なる黒と黒。


 漆黒の光の軌跡を描き、真正面の衝突を果たす。


 永遠にも思える数秒が過ぎ去って、砕け散った彗星は女の形をしていた。











「……そういうことだったのか」


 腑に落ちたかのような態度で、月都は堕ちていく彗星を上空より眺め続ける。


「天才的な才能、世界の災厄になり得る力を、生まれながらに持ってしまった」


 魔神の全てを奪い取ったからこそ、彼の脳内で彼女の記憶は渦を巻く。


「ゆえに神として祭り上げられる。おまえは他者とは異なる自身が他者と共にあるためには、偶像になるしかないとその大役を嫌嫌ながらも引き受けて――結果、おまえは何もせずとも、力を恐れた人間側が先んじて裏切る」


 そして裏切りの末、失意と絶望で満たされた彼女は神ならぬ災厄を振りまく魔神と化し、かつていた世界の意思そのものから弾かれることになったのだ。


「おまえを地球という鳥籠に追いやった形無き奴らでさえ、強大に過ぎる存在になってしまったおまえを殺すことは出来ない」


 魔神には生きる希望も、喜びも、原動力も、ここに来た段階で欠片すら残ってはいなかった。


 唯一、零人の名を持つ元魔人の男には気を許していた部分が散見されたものの、彼とて真の希望にはなり得なかった。


 魔人の夢は死ぬことで、彼女を終わらせられるのがとびっきりの愚者であったのならば、夢を叶えるため屍のように生き足掻いた逆襲者の踏み台にされるこの結末は、そう悪いものではないのだろうと月都は追憶を打ち切った。


「面倒なものは全部俺が引き受けた」


 災厄を司る次代の神として、月都は傲慢に宣告する。


「じゃあな、


 記憶が流れ込んで来たということは、魔神の――すなわちどこか別の世界から追放された女の名は、当然のごとく既知に他ならない。


 目を伏せて、別れの言葉はなめらかに紡がれる。


『――ボクになり代わるということは、呪いすら受け継ぐということ』


 声が聞こえた気がする。あの女の呟きが。


 しかしこれは幻聴のはずだ。


 地に堕ち行く女の形をした彗星は、ほとんど原型を保ってはいない。


『だけど、キミはボクと違って、そんな者達がいるんだ。持ち合わせている女への憎悪も、受け継ぐ呪いも、案外何とかなるのかもしれないね。ふふふっ』


 いよいよ彗星が誰もいない草地の片隅に堕ちかけた寸前に、


『さよなら、月都。キミの人生に幸あれ』


 優しげな声音が耳朶じだを打つと同時、彗星が大破した轟音が、裏の世界にて勝利を告げる鐘のように響き渡った。

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