第16話 対魔神戦 失恋
「ようやく、全力だ」
心持ち身軽になった肉体を携え、月都は拍手喝采を続ける魔神を見返した。
「待たせたな、今から本気で俺はおまえを踏み台にさせてもらうぜ」
単に固有魔法に割いていた魔力が戻っただけとは思えない力強さで戦闘の体勢をとった。
魔導兵器すら展開させず、月都のそれは徒手空拳の構えだ。
「そうかい。ならばボクも本気で行かねば、無作法というものさ」
装飾過多な魔神の日傘が双剣へと変じる。
それだけではない。常人であれば視界に入れるだけで自死を選びかねない威圧を振りまき、さらには――。
「まだ使い魔がっ!?」
あずさの驚きの通り、ソフィアや蛍子の奮闘によって一旦閉じたかと思われた暗雲の隙間から、再び使い魔の群れが雨水と等しく降り注ぐ。
先刻の蛇の頭を持つ異形、双頭の番人を形作るかのように、使い魔は互いの脆弱性を埋めるべく寄り集まり、終いには大地に巨大な亀が降り立った。
「下にはたくさんの人間がいるはずだろう?」
そう言って魔神は嗤った。
彼女が意図するところは明白。ここに残った三名の魔人は否応なしに戦力の分散を強いられる。
「私がアレを止める。あずさお姉ちゃんは月都お兄ちゃんのサポートをお願いするね」
「あずさがですか……?」
思わずあずさが瞠目した。
ここまでやって来たからには、月都への執着が特に強いローレライが彼の側で戦う権利を、自ら放棄するとは思ってもみなかったのだ。
「適材適所。私は近接戦闘には不向きなんだよ」
ポン、と。あくまで自然体に、ローレライはあずさの背中を前に押した。
「月都お兄ちゃんを、お願いするね」
囁くような声音。だが、こめられた想いの強さは計り知れない。
「承知しました」
ローレライに信頼されている。その事実が彼女の意識を引き締め、あずさはローレライに押されるがまま前に出て、月都の隣に並ぶ。
「月都お兄ちゃん。もしもあなたがいなくなったら、私は世界の全てを海の底に沈めてやるんだよ」
「えっ、お、ん?」
魔神を前に闘志をみなぎらせる月都であっても、去り行くローレライの置土産という名の爆弾には流石に反応せざるを得ない。
「必ず帰って来て。約束してくれるかな?」
首だけで振り返れば、童女のような振る舞いには似つかわしくない寂しげな笑みを、ローレライが浮かべていた。
「俺は――みんなのところに帰りたい」
「そっか。それが聞けたのなら何より。またね、お兄ちゃん」
「あぁ、またな、ローレライ」
バイバイと手を振って、クルリと
「わざわざ待ってくれるとは、優しいんだか優しくないんだかよく分からねぇな」
「省いてしまった人魚姫のお嬢さんには悪いけれど、こういった舞台においては、真に愛し合う者同士が凶悪な敵に立ち向かうべきだからね」
双剣を空に掲げ、熱っぽく芝居じみた調子で魔神は語る。
「一つ、訂正だ」
「うん?」
「俺とあずさはまだ付き合っていない。あの告白はあくまで予告だ」
「いやはや失敬。先走りが過ぎてしまったようだ」
クスクスと魔神が微笑む。しかし緩んだ表情は次の瞬きの後には冷酷なものに様変りしていたのだ。
「魔神の座が欲しいと不遜にも申したな?」
「言った」
人を食ったかのような笑顔すら消え失せ、鳥籠に幽閉された殺戮者は、呪縛を断ち切った簒奪者にして逆襲者の眼を見据えた。
「望んで得た力のはずもなし。欲しければ持って行け。ボクを
本当の意味での最終決戦の始まりは、小さな身体から溢れ出す膨大な憎悪が合図となった。
フワリ、と。軽やかにローレライは降り立つ。
魔人を蹂躙せんと、一直線に地べたを這いずる大亀の背中に。
「お兄ちゃんと一緒に戦いたかったに決まってるんだよ」
しかしローレライは理解していた。月都の隣で戦うことが出来るのは、白兎あずさを置いて他にはいないと。
彼は仲間のことを大切に想っている。されど最も寵愛を受けているのはあずさであり、尚かつ彼女の愚かさは月都を勇気づけてしまえるのだ。
「私はとっくに敗北者。だけどあずさお姉ちゃんが月都お兄ちゃんの背中を押したところを目の当たりにして、敗北が身に沁みて理解出来たの」
亀はのそりと顔を起こす。
己の背中に殺すべき魔人がいることを把握したがゆえに、何もなかったはずの甲羅が途端にマグマと化したのだ。
熱が人魚姫を足元から死へ誘おうとして――、
「失恋って、悲しいね」
マグマが凍る。
ローレライの固有魔法【人魚姫の戯れ】。ソレは本来水を生み出し操り統べる権能。
けれど、破れた恋の辛さを噛みしめるローレライの心は、ふつふつとした激情で冷え切っていた。
彼女の絶対零度の心が固有魔法に影響を及ぼした形だ。
「私は、たとえ選ばれなかったとしても、月都お兄ちゃんが――大好き」
苦悶にのたうち回りながら、それでも大亀は背中の異物を振り落とそうと試みた。
実際にローレライは躍動する大亀の勢いに耐えかねたかのように、空中へ退避した。
「そしてあずさお姉ちゃんすら、好きになっちゃったんだ。あの人の過去は、私の過去と似ているところがあるわけだし」
口元に滲んだ自嘲から一転。
可憐な童女としての微笑みは、どこかサディスティックなものが入り混じる。
「私の身勝手な憤りを、大切な人達にぶつけるわけにはいかない。だから、ね。おまえを
大亀が吠える。
壮絶な威力を誇る音波がローレライ一人に向けて放たれた。
「遅いっ!!」
音波攻撃を危なげなく躱したローレライ。彼女は凶器を振り下ろすかのごとく、杖を突きつけた。
幾重もの水の渦がドリルさながらに大亀の装甲を削り取る。
悲痛すら感じさせる叫びが、大亀の巨体から木霊する。
「そうそう、その調子。精々良い声で
物分り良く振る舞っていても――否、聡明さは充分に備えているのだが、生憎とローレライ・ウェルテクスは未だ十六の年若き乙女。尚かつ乙葉月都こそが初恋だ。そう簡単に折り合いをつけることは叶わない。
史上最強の八つ当たり、恋に破れた人魚姫の大暴れに、哀れ大亀は死ぬまで付き合わされるハメになった。
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