第15話 対魔神戦 正答

 月都が一歩前へと踏み出そうとしている。


 その上で、一歩前に踏み出すためのたった一言が難しいことも、見ているだけで察せられるのだ。


 けれども、具体的に月都が何をしようとしているのかは、頭の足りないことに定評のある兎耳メイドに分かるはずもなかった。


 しかし、それでも尚彼の背中を押すナニカを言わなければならないのだと、本能と直感があずさに強く訴えかけていた。


 主の背中に向けて、あずさは震えながらも声を投げかけた。


「ご主人様!」


 一応は魔神の眼前だ。振り返ることはない。しかし確かに月都の身体が、後方から投げかけられたメイドの声に対して反応していたことは見て取れる。


「ご主人様は最強ですっ!!」


 ゆえにまくしたてるかのごとく、あずさは心の中のありったけをぶちまけるのだ。


「今まであずさが出会ったどんな異性よりも最高にかっこよくて! おまけに滅茶苦茶頑張り屋さんなのです!」


 大人しく姉の実家――グラーティア家の庇護に入るような男であれば、きっとあずさは罪悪感と親愛こそ抱いていたとしても、ここまでの思慕を覚えることはなかったであろう。


 それだけの感情が、本来熱に欠けていたはずのあずさの内に、現在渦巻いていたのだから。


「これで最後! 最後のひと踏ん張りですので! だからあずさはかなり最悪なことを言わせて頂きます!」


 喉を秒で枯らす勢いで、あずさは叫ぶ。


「頑張ってください――っ!」


「――正解なんだよ」


 叫び終えたあずさの隣から、月都のものでも魔神のものでもない声が唐突に聞こえて来る。


「えっ、ローレライちゃん!?」


「私なんだよ、あずさお姉ちゃん」


 いつの間にか、別の場所から飛行してここまでやって来たらしきローレライが、可憐な微笑と共に彼女の傍らを浮遊していた。


「小夜香さんと共に魔神の腹心と戦っていたはずでは?」


「勝てたんだよ。主にお姉ちゃんのお陰でね」


 零人との戦闘で消耗した小夜香を地上の救護施設に預けたままその足で、ローレライは月都達の元まで馳せ参じたというわけなのだ。


「それよりも、見て」


 ローレライが指し示した先は、魔神と対峙する月都の背中。


 先程までは血が滲まんばかりに拳を握り締め、苦悶の形相であった月都から、気負いや力みといった類が霧散し、されど戦意は倍増しているように感じ取れる。


「いったいご主人様にどのような心境の変化があったというのでしょうか……?」


 無自覚の内に月都を変えた張本人の言い様に、思わずローレライはため息を一つ。


「あいた。たたたたた。ローレライちゃん、痛いですよ」


 ついでと言わんばかりに、ガスガスとやや乱暴に肘であずさの脇腹を突いてやるが、別段本気の怒りではなかったのである。


「月都お兄ちゃんに必要なのは、あずさお姉ちゃんみたいなお馬鹿さんってことが、本格的に証明されちゃった。ちょっと腹立つから、これくらいの八つ当たりは付き合って欲しいかな」


「例え真実でも面と向かって馬鹿呼ばわりは流石に激おこなのですが!?」


「うにゅん? 馬鹿に馬鹿と言って何が悪いの?」


 寂しげに口の端を歪めつつ、恋敵への皮肉を怠らないローレライと、何が何だか状況をサッパリ把握していないあずさ。


「賑やかだねぇ」


「全くだ」


 相変わらず機嫌の良さそうな魔神と、背後の喧騒に頬の緩みを抑えられない月都が、改めて言葉を交わし合う。


「魔神」


「うん? どうしたんだい?」


「ありがとう、俺を導いてくれて」


 今まで片時も崩さなかった不遜な態度を投げ捨てて、月都は頭を下げて殊勝に礼を述べるのだ。


「いやいや、まだその段階には早いんじゃあないのかな?」


 照れくさそうにしながらも、やはり魔神は魔神らしく人を食ったかのような立ち振る舞いを続けるのだが。


「せめてボクに勝ってからにしたまえ」


「それもそうだな――」


 スゥ、と。息を吸い込んだ。


 そして、凪いだ心と穏やかな気持ちで、毅然と告げた。


「終わりにしよう」


 瞬間、月都は幻視した。


 五つの首輪が砕け散る光景を。


 月都の固有魔法【絶対服従】。元より限界まで効力を絞って運用していたとはいえど、女を恐れながらも女を求める月都にとっての保険が今完全に失われる。


 それと同時に、固有魔法の永続的な運用に割かれていた相当量の魔力が、月都の元へ還って来るのだ。


「ブラボー。実に素晴らしい。キミは正解を掴み取ったのさ――乙葉月都」


 熱く激しい拍手喝采とは裏腹に、魔神の面持ちは息子の成長を目の当たりにしたかのような、静粛な喜びに満ちていた。

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