第11話 対魔神戦 落下

 空間が軋む。


 ソレは耐え難い苦痛を嘆く、世界の悲鳴だ。


 本来この地球というものは人類の存在を許容してはいない。


 むしろ魔神と使い魔――彼女の監視役の役割を与えられておきながら、その下に収まってしまった者共こそが正当な住人に違いなかった。


 元は人類の免疫機能、裏の世界に潜む魔人であったとはいえど、今や零人は魔神の支配下に置かれた使い魔。


 本来はその行いを世界が否定するはずなどないのだが、如何せん規模が大き過ぎる。


 彼が世界の反対すら押し切り精製した歪曲し切った時空。ローレライを呑み込まんと静かに、ゆっくりと、前へ前へ歩みを進めながら、削り取るように侵食していくのだ。


 そう、ゆっくりとだ。速度はさして速くない。


 けれどもローレライが零人の攻撃から逃れることは難しい。


 ローレライのみならず、このままでは背後に控えていた小夜香も巻き添えになる形だ。零人が繰り出した全方位の時空歪曲からは何人たりとも容易に脱出する術を持たないがゆえに。


「ローレライ・ウェルテクス。貴様はどうする?」


 端的な零人の問いかけに、ローレライは強気な笑みで応えてみせた。


「決まってるでしょ。正面突破なんだよ――お姉ちゃん!」


「任せとけっ!」


 ローレライの命令を小夜香は喜々として受諾する。


 不可視の鏡が全方位から迫り来る時空歪曲の防波堤となり、死までの僅かな猶予を作り出した。


「だが、それだけでは時間稼ぎにしかなるまい」


 淡々とした零人の分析は正論でしかなかった。


 確かに魔力量だけで測れば、ローレライは零人以上の強さを誇るものの、時空という特異な属性は水すらも凌駕し得る――が。


「果たして、そう思い通りにいくかな?」


 不敵に言い切ったローレライは、ドレスの裾を翻して振り返った。


 敵に背を向ける形で、さらには命の危機が迫っているにも関わらず。


「お姉ちゃん、抱っこしてあげる」


 ローレライが小夜香をひょいと抱き上げた。人並みに頑丈な肉体を手に入れたからこそ、自らよりも小さな姉を彼女は担ぎあげることが叶う。


 そうこうしている内にも防御のために展開されていた、固有魔法【鏡夢の箱庭】――不可視の鏡が、零人の攻撃によって今にも弾け飛ぼうとしている。


 彼女達の元にまで到達するのは最早時間の問題で――。


「――行くんだよ!!」


 時空歪曲が魔人の存在ごと呑み込むよりも速く、下から恐ろしい速度で突き上げて来た水が、勢い良く二人を上空へと押し上げた。


 全方位。上も下も右も左も覆い尽くす時空歪曲。されど直前まで小夜香が展開していた鏡がその権能の一部を写し取り、破壊される直前に遥か上へと二人分が飛び立つ穴だけを空けてのけたのだ。


 強力無比であるがゆえに、時空歪曲にホーミング性能はないらしい。唐突な位置変更についていけず、攻撃は空を切った。


 小夜香はローレライに抱えられたまま、放物線軌道を描いて空を舞う。


 彼女とローレライの目が、一切の意思疎通なしに合った。


 多くを語ることなく、人魚姫はただニコリと微笑んだ。事前に聞かされていた作戦ではないものの、そこは長い付き合いになる二人。言われずとも小夜香はローレライの望みを察することが出来た。


 いつの間にか小夜香の手には、水で形作られた超巨大な大剣が握られている。魔導兵器ではない。だがしかし何よりも魔を打ち滅ぼすという意志と月都への愛で荒れ狂っていた。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 主の意図を汲み取った道化師は、始まった自由落下の速度を利用した斬撃の体勢へと移るのだ。


 ローレライが彼女を抱きかかえているのは、超巨大にして膨大な魔力の宿った大剣を扱う反動を肩代わりするのみならず、元よりパスを繋いで流し込んでいた魔力の量を、密着によってさらに増やすための方策。


 小夜香とローレライ。主従にして姉妹二人の力を合わせた決死の斬撃が、空間を切り裂く権能を得た大鎌――不動の境地をもって下方で待ち受ける零人と激突する。

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