第8話 対魔神戦 戦線離脱

「やりましたか――ソフィア様」


 最早人の手を借りなければ、立っていることすら難しい。


 そんな状態にはある蛍子は、遙か上空で使い魔の群れの集合体、双頭の番人が光に包まれ爆発四散する姿を愉快そうに見送った。


「ねぇ、紫子さん。わたくし頑張りましたよね?」


「頑張った。よう頑張ったのは分かっとるさかいに、もう動くんとちゃうで。後はウチらに任せときぃ、な?」


 フラフラにも程がある状態の蛍子を、ぞんざいな物言いのようでいて、実際には顔を真っ青にさせている紫子が、そっと優しげな手つきで支えていた。


「アリシアからの報告や。暗雲に空いてた穴が閉じた。使い魔はアレで一旦打ち止めやろ。残党はウチらでも殺れる」


「承りました。どのみち動けぬわたくしは役立たずでございます。ここは素直に紫子さん達にお任せ致しましょう」


 双頭の番人のブレスを迎え撃ったことが原因で蛍子の魔力は底をついている。魔導兵装も魔導兵器も展開させることは叶わず、現在は極東魔導女学園の黒のブレザーに身にまとう衣装が戻っていた。


「蛍子」


「どうされましたか?」


 本来であれば全体の指揮を取らなければならない。だが、地上に娘が落下したと聞きつけ、慌てて彼女は部下にその場を任せ飛び出して来たのだ。


「生きるための無茶でええんやんな?」


 思わず笑ってしまいそうになったが、あまりにも紫子が真剣だったがゆえに、流石の蛍子も場を茶化すのははばかられてしまった。


 彼女はいつもそうだ。娘と呼ぶことも叶わない娘なんて無視をするか、いっそのこと捨ててしまえばいいものの、この母と呼べないされど親しく愛しい女性は、絶対に蛍子を見捨てなかった。


 死にたがっていた、自暴自棄になっていた娘を、あの手この手で救おうと奔走していたのだ。


 とはいえ蛍子は救いの手を頑なに掴まず、紫子はそもそも細やかな気遣いに向いた性格ではなかったことで、二人はどこまでもすれ違ってしまっていたのだが。


 あの日、月都が現れるまでは。


「少なくともわたくしは、唯一の人間様であられる月都様がその手で偉業を成し遂げるまで、死ぬ気はございません」


 それに――と、蛍子はどこか悪戯っぽく笑う。


「わたくしが死ねば、紫子さんや桜子お嬢様様にいらぬ心配をかけてしまいます。それはなるべく避けなければなりませんよね」


 晴れやかな笑顔と共になされた蛍子の宣言に、一瞬だけ泣きそうな顔を紫子が見せた。


「当たり前や――どアホ!」


「うふふふふ」


 しかしすぐ様彼女はいつも通りの気丈さを取り戻し、娘の額をペチペチと叩く。


 大して痛くもないそれを甘んじて受け止めながら、紫子にもたれかかり、未だ戦の続く上空を決して鮮明ではない視界でもって見詰めた。






 遠くで、声が聞こえる。


 愛しい弟の月都を魔神へと押し上げるべく、ソフィアは覚悟を携え戦場に参加していたはずなのだ。


 にも関わらず、今の彼女は重い暗闇の中に一人ぼっちで取り残されていた。


 身体が自由に動かない。思考は鈍く、そして遅過ぎる。


 だが、声がやはり遠くから耳に飛び込んで来た。


「ね――さ――ま」


 姉様、と言っただろうか。


 この声はソフィアの妹の中で一番年の近い少女。カナリアのものであるはずだ。


 たとえ朧気おぼろげであろうとも、大切な家族の声を聞き違えることはしない。


「姉様。このまま死んでしまっては、月都さんの結婚式で後方腕組みお姉ちゃんヅラが出来なくなってしまいますが、それでもいいんですか? もしそうなったとしても、化けて蘇るのだけはおやめください」


「死んでないわよ!!」


 他にも色々とツッコミどころがあった気がするものの、ひとまず自分が勝手に死んだことにされているのを止める必要性が高いと判断した。


「ほら、ちゃんと起きましたよ。お母様」


「本当、良かったわ。カナリアの声で気がついてくれたのね」


 瞼を強引に押し上げ、初めてソフィアは認識した。ここが戦場となる空ではなく、その下に広がる草地だということを。


 グラーティア家が設置した救護用の拠点の片隅でソフィアは寝かされていた。


 目だけで周囲を見回せば、まず瞳の中に映るのは、したり顔でソフィアを見下ろすやんちゃな妹の姿である。


 そして妹の後ろには、眼鏡をかけた金髪の女性――アリシアが心配げな表情でソフィアを覗き込んでいた。


「……私、そっか。あの後気を失ったのね」


 自分が双頭の番人を倒すべく、命を燃やす覚悟で魔力を空にし、力尽きた先程の出来事がソフィアの頭の中に蘇る。


「あなた達の奮闘は、ちゃんとあの巨人に届いた。よくやったわね、ソフィア」


 アリシアから授けられた激励の一言に、目が覚めてからいの一番に浮かび上がった不安が払拭された。


「ご心配をおかけしました。申し訳ありません」


「いいのよ。無事でいてくれたのならば、それだけで何にも変え難いもの」


 ベッドに横たわったまま、ソフィアは無茶をしたこと、さらには家族を心配させてしまったことについて謝罪をする。


 されどアリシアは柔らかく微笑み、娘の無事を心から喜ぶのだ。


「姉様。私もすっごぉぉぉぉぉく心配してました」


「アナタは茶化してただけじゃない」


 相変わらずいい性格をしてくれている妹のカナリアへと、ソフィアは半眼を向ける。


 けれども、彼女とて心配していないわけではないのだろう。今も尚、姉に付き添ってくれているのが良い証拠だ。


「幸い使い魔の出現する穴は閉じたわ。ソフィアや蛍子さんが無理をする必要はもうなくなったと考えていいでしょう」


 アリシアの説明を受け、ソフィアは相棒として肩を並べ、戦場を駆け回っていた蛍子の安否が未だ知れないことを思い出す。


「そうだ、蛍子はどうなったんですか? 私よりも早く、地上へ堕ちていきましたよね?」


「意識は失っていなかったそうよ。魔力が空になったから、浮遊と飛行を維持出来なくなっただけのようね。先輩に肩を借りているとはいえ、歩いている姿は私も遠目に見かけたわ」


 だが、どうやら未だ起き上がれもしない自分よりも、先に墜落して行った蛍子の方が存外にピンピンしていることを知り、つい口元が緩んでしまうのであった。


「相変わらずタフな娘……」


「姉様方の頑張りで世界の守護にも展望が見えて来ましたので。後は私達にどーんと任せちゃってください」


 戦線離脱という形にはなるが、愛しい弟から託された望みは、ある程度まで達成されたと見積もっても構わないであろう。


「頼もしい妹の言葉に甘えて、そうさせてもらうとしましょうか」


 どちらにせよ、今のソフィアや蛍子では戦場に舞い戻ったところで足手まといになるだけである。


 ゆえに潔い彼女達は自らの引き際をわきまえた。

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