第4話 対魔神戦 開幕

「本当にあの男は、あなたが提示した足りないものとやらに、たどり着くことが出来るのでしょうか」


「さぁね」


 ひざまずく男の使い魔――零人れいとが、魔神のあまりにも大雑把な回答を受け、フードの奥で顔をしかめたのを察知したらしい。


「あはは、そんな顔をしないでくれたまえ。キミは相変わらず可愛らしいくらいに生真面目だなぁ。ま、そういうところが魅力ではあるのだが」


 ごめんごめんと、彼女は気安く零人に語りかける。


「彼はきっと、答え自体には既にたどり着いている。だけど、そこから先が難しいだろうね」


 以前、魔神は零人を介して起床前、月都と最後のコンタクトをとった。


 彼女が授けた自らを撃破するための助言を、活かしてくれているのかどうか、魔神はその結果を知るのが今から楽しみで仕方がない。


「さて、乙葉月都。キミはボクを殺してくれるに足る存在かな?」


 永遠すら上回る永き時の中で、魔神が求めていた本当のもの。叶えたかった、叶えて欲しかった――夢。


 ソレをもたらしてくれるのは、零人のような親愛を覚えるに足る忠実な従者ではなく、魔神すら踏み台にすると公言してはばからぬ、底知れないまでの愚者であった。








 幕が開く。


 絶望の幕開けだ。


 使い魔を認識することの出来ない人間が数多くを占める表の世界では、何事もない平穏な冬の一日が終わろうとしている。


 だがしかし、魔と戦うことを運命づけられた魔人集いし裏の世界では、魔神の起床と共に、天変地異が起こりつつあったのだ。


 空はたちどころに深い闇をたたえた暗雲で覆われた。月さえ見えない漆黒が辺りを染める。


 僅かに肌を撫でるだけで、ゾッとするくらいの冷ややかさを感じさせる風が吹き付け、雷鳴がそこかしこにとどろいた。


 そして雨の代わりに、使い魔が落ちて来る。


 本来この地球という場の役割は、魔神という一体の災厄を封じ込めるための鳥籠にして檻。


 地球に渦巻く魔力からひとりでに発生する使い魔は、彼女を縛める番人の役割を有していたはずなのだ。


 にも関わらず、封じられて尚強力無比な権能を用いる魔神に支配され、使い魔は地球に自然発生した人類という種を戯れに殺すための破壊装置と化してしまった。


 大小無数の異形、表の世界の何かしらに似せているようでいて、よくよく見やるとどこかが違う。


 魔神の禍々しい魔力に影響を受けたことで活性化した個体達は、裏の世界を通じて表の世界への侵攻を開始せんとしていた。


 さらには人型――かつては極東魔導女学園にて魔神を打ち倒すべく鍛錬に励みながら、最期は仇敵たる魔神自身に魅入られ化物と堕ちた者共も、暗雲に空いた穴の中から続々と出現。


 イナゴの群れのごとく、不吉を背負って、使い魔は人類を滅ぼすべく疾走を始めた。


 しかし弱く哀れな生物とはいえど、今日までのうのうと生き延びたことについては定評のある人類だ。ただ滅ぼされる運命に甘んじる程、達観しているはずもない。


「今よ! 合わせなさい!!」


 非常に通りの良い、澄んだ女性の声音を合図として、あらゆる方向から遠距離攻撃を主とした一斉射撃が、使い魔の群れを対象に炸裂した。


 対魔神戦の掩護要員として戦場に立っている極東魔導女学園の生徒達、その脇を固めるグラーティア家と一ノ宮家の二家を引き連れるかのように、主戦力とされる五名の魔人が先頭に佇む。


 勿論、先頭に立つ集団の内、遠距離攻撃を得意とする月都、ローレライ、そして先の合図を発したソフィアが一斉射撃の要となっているのは疑うべくもない。


 魔導兵器である弓から放たれる月都の膨大な魔力が、大量の使い魔を消し炭へと変える。その隙間を埋める形で、ソフィアの閃光とローレライの水によって形作った弾丸が正確無比に敵を穿うがち、はしった。


 人型も大型も小型も無差別に。魔人の容赦無き総攻撃が続いたことで、多少ではあるものの使い魔の侵攻に勢いの衰えが散見された。


「――デカイのが二つ来るぞ。おまえら、注意しろ」


 けれど、形無き鏡で視界を拡張することで、他の魔人と比べても感知能力に長けた小夜香が鋭く、端的な警告を発した。


 彼女の忠告通り、使い魔の群れが道を開けるかのように、左右それぞれに散らばった。


 突貫で出来上がった道に沿って堂々と裏の世界へと降りて来るのは、ローブを目深に被った男性と思しき使い魔。そして――、


「おはよう。元気にしていたかい? 元気にしていたのなら反吐が出そうで何より。ならば今からボクの代わりに眠ってもらっても文句は言えないよね――人間共害虫共!!」


 高らかに人類への敵意と侮蔑をあらわにしたのは、純白の装飾過多なドレスに身を包む少女性の塊のような女。


 幼女と呼ぶには大人びているものの、少女と呼ぶには幼い、絹糸のごときプラチナブロンドの艷やかな長い髪を複雑に編み込んだ、災厄の化身。


 起床したことで完全体と相成った魔神は、虫けらを眺めるかのごとき冷えた眼差しで、有象無象を睥睨する。たったそれだけの動作で、魔人達の一斉射撃が跳ね返されたのだ。


「任せて欲しいんだよ」


 反射された攻撃が直接間接問わず、当たるようなことがあれば、魔人側にとって多大な痛手となる。そのことを迅速に察したローレライが、水のドームで味方を全て覆い尽くすことでひとまずは事なきを得た。


 魔神は鋭い眼差しで一連の流れを観察していた。しかしある人影に目を留めたことで、彼女は自然体の微笑みを浮かべるのだ。


「調子はどうだい? 乙葉月都。ボクの助言を活かしてはくれたかな?」


「まだ、分からない」


「ほう」


 心底興味深いと言わんばかりに、静かに月都の語りに耳を傾ける。


 魔神にとってはおおよその生物が、心に不快なさざ波を与えるだけの虫けらだ。


 されど自らを滅ぼし得る可能性を秘めた月都にだけは、特別視と呼んでも差し支えない程に目をかけていたというのがよく分かる光景であった。


「魔神。おまえが俺に足りないといったものの答えは、理性では恐らく理解しているはずなんだ」


「一方で感情が認めることは難しく、実行に移せるかどうかは現状では不透明といったところかな?」


 優しげに魔神は月都に喋りかけた。やはり彼女は自然体の笑みを崩すことなく、古くからの友人であるかのごとく月都と相対する。


「……まだだ。まだ、戦える。最高のハッピーエンドを諦めやしないぞ。俺は俺自身の弱さに限界まで抗ってみせるんだ」


 拳を握り締め、月都は宣言した。


 震える身体。されどその目は未だ尽きることのない闘志でみなぎっていた。


 何としてでものし上がってやる。夢を叶えてみせる――そんな気概がありありと感じられるのだ。


「牙を折って兎のお嬢さんに丸投げするという最悪からは遠くなったようだね」


 当初と変わらぬ闘志を抱く月都の様子を確認出来たがゆえに、一安心したということで、魔神は誰にも気付かれぬよう、そっと胸をなでおろす。


「まさしく僥倖ぎょうこう。ボクにとってはこれ以上ない幸運というものさ」


 魔神はドレスと同じく、純白の装飾過多な日傘を虚空より取り出した。


「さぁ、始めよう。ボクとキミの、夢想を賭けた闘争を」


 彼女の厳かな宣戦布告に応えるべく、下ろしていた弓を、月都は改めて天高くに掲げ持つ。


 泣いても笑っても、これが最終決戦。


 ならば胸を張って、真正面から強敵とぶつかるという選択肢を選び取るしかないのだと、夢と約束を背負った月都は、遙か上空に鎮座する魔神を睨みつける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る