第3話 逆襲者に足りないもの

「ローレライ、ちょっといいか?」


「どうしたんだよ? 月都お兄ちゃん」


 休憩を終え、皆がまた各々の訓練場へと散っていく中で、月都がローレライに声をかけた。


「【人魚姫の戯れ】は水面から水面の転移が可能になるんだよな」


「その通りなんだよ」


 コクリ、と。ローレライは首肯。


 彼女が月都達との戦いで、水を経由した転移能力を駆使していたのは記憶に新しい。


「対象が自分じゃなくて他人であっても可能か?」


「出来るんだよ。任せて、お兄ちゃん。どこか行きたいところでもあるの?」


「俺を今から乙葉の屋敷にまで飛ばして欲しい」


「えっ」


 気安い調子で請け負ったローレライではあったものの、流石にこれは予想外だったようだ。


「何かあったんだよ……? もっ、勿論嫌なら言わなくても構わないけど……、私で良ければ相談に乗るんだよ……?」


 途端に可憐な笑顔が曇り、月都を心配するあまり今にも泣き出しそうな表情となってしまう。


「いやいや、深刻に捉えないでくれ。ただの気まぐれだし」


 これは大変だと、努めて明るい面持ちで、月都はブンブンと首を横に振った。


「母さんのことについては一応の区切りをつけたつもりではある。けど、戦う前に一度だけあそこに帰りたいんだ」







 ローレライも勘付いていた通り、本当はそれだけではなかった。


 かつての地獄の舞台でありながら、乙葉の屋敷という場所は、記憶にほとんど残っていない、されど愛しい母と繋がれる唯一の地。


 心に不安が多いからこそ、彼女との繋がりが辿れる場で考え事をしたいというのが、月都の本音であった。


「――あずさ? そうか、ついて来てたんだな」


「申し訳ありません」


 だがしかし、血の匂いの残る屋敷を歩き回っていると、隠しているようで完全には消し切れていない気配が背後に存在することに月都は気が付いた。


「ローレライちゃんから話を聞きまして。彼女と話し合った末、あずさもご主人様の後を追わせて頂きました」


「別に構わないぜ、おまえになら」


「光栄です」


 最もあずさが本気で気配を消してしまえば月都に察知することは難しい。彼女が最後まで自らの存在を、月都に対して隠し通す気がなかったことは明白だ。


「あずさ」


「はい」


「魔神に会った時に言われちまったんだ」


「何を、でしょうか」


「このままの俺じゃあ、絶対にアイツには勝てないんだとさ」


 月都の先輩にあたる使い魔、さらには幻影とはいえど魔神との遭遇の際に忠告を受けたことで、前向いていたはずの心はまた不安定なものと化してしまった。


「……そんなことが」


 しかしこれを言ったのは、今日ここであずさが初めてである。


 皆の士気を下げぬようにと、長い間口を噤んで来たが、どうやら限界らしい。彼はせきを切ったかのごとく、不安をぶちまける。


「俺は強いのだけが取り柄だと思う」


「決してそのようなことはありません!」


「ありがとう……でも、生まれながらの才能が、人間離れした魔人の中でも突出してるのは、驕りとかじゃなくて真実ではあるだろうさ」


 月都は強い。これだけは万人が認めざるを得ない真実である。


「最初は才能を活かしきれているとはとても言えなかったが、学園入学前におまえからつけてもらった稽古や、学園に来てみんなと繰り広げた様々な戦いで、俺は徐々にこの力を使いこなせるようになった」


 春に入学し、季節は冬。


 客観的に見れば決して長くはないが、体感としては短くもない学園生活。その中で月都は得難い経験を多く積んでいた。


「何かを傷つけることしか出来ない力で、ローレライを救えたんだから」


 【支配者の言の葉】を用いて、可愛い後輩を生かすことが出来たのは、月都の背中を押すに値する、特に喜ぶべき出来事。


「今の俺が俺にとっての最高峰であり、尚かつ精一杯」


 そう、現在の月都こそが月都にとってのベストであると彼には言い切れてしまう。


「いったい、何が足りないんだろうな……」


 だからこそ、月都は惑っていた。


「ご主人様。悲しいことにあずさが答えを提供することは不可能です。そのような難しいことが分かるわけありませんよ」


「……知ってる」


「そもそも、?」


 けれども、答えが分からないと惑う月都をガツンと殴るかのように、あずさが正論を吐いた。


「ご主人様は魔神に指摘された彼女に勝てない理由を本当は理解しているにも関わらず、敢えて目を逸し、分からないと思い込んでいるのではないかと思えてならないのです。その事実が、あなたにとって恐ろしいと感じるからこそ」


「ちなみに、根拠は?」


「勘ですよ。頭は悪くとも、勘が鋭くなければ暗殺者なんてやっていけません。強いて言うならば、ご主人様はあずさと違って聡明な方であられるものの、余裕綽々からは縁遠いですので」


「……違いない」


 あずさの指摘は正解だ。本当は理解していたのである。自分が何故、このままでは魔神に勝利出来ないのかを。


 虚偽を暴かれた月都は、降参とばかりに両手を上げた。


「確固たる勝算はなくとも、あずさはご主人様を絶対に勝利させる心積もりです。真実から目を逸し続けたところで、ご主人様を勝たせてみせます」


 それでも、あずさのみならず自身にさえ嘘を貫こうとしていた彼を、メイドたる彼女は断じて責めることはない。


「最善の策としてあずさが死んでも、最悪の策としてご主人様さえ死んでも、魔神に勝って魔神に成り代わり、全ての者の頂点に立つというあなたの思い描く未来だけは、絶対に献上してみせますので安心してくださいね」


 月都の震える手をとったあずさが、満開の花のごとき笑顔で約束をする。


 このままではいけないと焦燥を抱きながらも、月都はメイドの献身を一旦は受け入れるしかなかった。

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