第28話 変態と和解せよ

 インターホンを鳴らして、暫くすると。


「――あいよー、と。おっ、姫さんと月都じゃねぇか」


「おっ、お姉ちゃん!!」


 驚くローレライとは裏腹に、蛍子の部屋から出て来た小夜香は、いつも通りの朗らかな笑顔で応えるのだ。


「今、姫さんの好物を蛍子に教えてたところでよぉ。ナイスタイミングだな」


 流石は従者といったところか。


「……もしかして、まだ蛍子のこと苦手か?」


「そんなこと……ないんだよ」


 ローレライの顔を少し見ただけで、彼女の心情をほぼ正確に汲み取ったらしい。


「まぁなぁ。蛍子が変わった奴なのは確かなんだが」


 苦笑混じりで小夜香がぼやいた。二人のやり取りを見守る月都にしたところで、蛍子が変人の変態であることを否定する材料は持ち合わせていなかったのである。


「あいつは姫さんと仲良くしたがってるみたいだぜ」


「はうあっ!」


 罪悪感がローレライを襲う。


 自分は未だ蛍子に苦手意識を抱いているにも関わらず、相手はそうではなかったという事実が、存外に生真面目なローレライを苛むのだ。


「サヤさん。ローレライは姉ちゃんとあずさに、ちゃんと自分から謝りにいけたんですよ」


 これはよくないと、ローレライの心を上向かせるべく、月都は精一杯彼なりに気を利かせた。


「そうだったのか! 姫さんはえらいなー。知ってたけどなー。よーしよし」


 その意図を理解した上で、小夜香はローレライの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「……ふにゅんふにゅんふにゅん」


 強張った心と身体がほぐれていくのを、ローレライは実感する。


「お姉ちゃん、大好き」


「あたしも姫さんのこと大好きだぞ」


 リラックスした心地で、さて蛍子に謝りに行こうと再度決意した折に、


「あら、あら、あら、あら」


 紫の長い髪をポニーテールに結わえた、目の死んだ美女が、こちらに近付いて来る。


「ローレライちゃんではありませんか。わざわざわたくしの部屋までお訪ね頂けるとは、感激のあまり服を脱いでしまいそうですね」


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 回復した精神は一瞬にして瀕死状態にまで追い込まれた。








「服は着ろ、いいな? 絶対だぞ?」


「唯一の人間様であられる月都様がそのようにおっしゃられるのでしたら、愚かな雌豚たるわたくしは従うまでです」


 あれから数分後。本当にエプロンや私服共々脱衣しようと試みた蛍子を、友人兼主の責務として月都は止めたのだ。


「落ち着いたか? 姫さん」


「ありがとう、お姉ちゃん。私は絶対に挫けないんだよ……」


 ぜぇぜぇはぁはぁと、背中を擦られているものの、ローレライの息はまだ荒かった。


「月都様、わたくしもしかして、同じ奴隷となった今も尚、ローレライちゃんに嫌われておりますので?」


「仲良くはなりたいみたいだぞ。ただ前の戦いが原因で、ルコに対して強い苦手意識を持ってしまったらしいが」


「わたくし記憶にございません」


 そう、あの時の蛍子は茫然自失にも等しかった。ゆえに記憶がなかったとしても、何らおかしなことではないのである。


「どうしたことでしょう。わたくしにはソフィア様のような人の良さも、あずさちゃんのようなサバサバさも持ち合わせてはおりません」


 それでも、原因となる記憶がない蛍子ではあったが、彼女はローレライとの心の距離が未だ現存していることを嘆いていた。


「目が怖いのでしょうか? これは本当に目が見えてはいないのです。喋り方が胡散臭いのでしょうか? これは敬語ではないと標準語が話せないまでになまっているからでして――」


「結構、本気で気にしてたんだな」


「当然です! わたくしはこれまでローレライちゃんを敵と見做しておりましたが、月都様の奴隷になられたのであれば、同志でございます」


 ソフィアやあずさ同様、彼女も彼女でかつてあったことを大仰に引きずるような性格ではなかった。


 精々蛍子が過去に囚われるのは、父親の死についてのことくらいである。


「わたくしは実家にいた頃、使用人として桜子お嬢様の面倒を見て来ました。ソフィア様と比較するのはおこがましくとも、お姉ちゃんであることに変わりはないのです」


「歳はローレライと一緒だろ?」


「学年は一つ上なので問題はございませんでしょう」


 若干落ち込んでいた蛍子。されど喋っている内に気を取り直したようだ。


「さぁさぁ。ローレライちゃんの好物であるビーフストロガノフが出来上がりました。わたくし、和食と比べて洋食はそれ程得意ではないのですが、小夜香先輩に一から教わり、何とか形に仕上げることが出来ましたとも」


 彼女はそう言って、皿に盛り付けたビーフストロガノフをキッチンから運んで来る。


「どうぞお召し上がりくださいまし」


「あっ、ありがとうなんだよ」


 緊張しながらも、健気にローレライは勧められた料理を口にした。


「お味はどうでしょう?」


「美味しいんだよ。これが初めてだとは思えない。それで、えっと……ね」


 気が動転しているローレライの口にも充分以上に美味しいと感じられる。されど彼女はあらゆる意味でそれどころではなかったのだ。


「痛い思いをさせてしまって、ひどいことをして、ごめんなさいなんだよ」


「えぇ、大丈夫ですとも」


 絞り出した謝罪の言の葉。


「……軽くないんだよ?」


 ローレライの言う通り、蛍子の対応はあっさりし過ぎているにも程があった。


「あらあら、まぁまぁ。ローレライちゃん。わたくしはあずさちゃんよりも尚、何も考えずに生きておりましてよ」


 困惑するローレライを見て取ったのか、彼女なりの考えを蛍子は口にしていく。


「あの時は敵でした。だから殺してでも月都様を奪い返そうとしました。今は味方でございます。ゆえにわたくしは姉のようにローレライちゃんと仲良くしたいと願っております。ローレライちゃんはわたくし達と同じ豚ではあれど、聡明でございます。色々とお考えになってしまうのでしょうが、わたくしのような卑しい卑しい雌豚を相手には、その思考さえ勿体ないのです」


 言い終えた蛍子は手を胸の前に置いて、たおやかに微笑んだ。


「月都お兄ちゃん」


「どした?」


「自分のことを棚に上げて言わせてもらうけど、月都お兄ちゃんの周りには変わった人ばかりが集まるんだよ」


「自覚はある」


「つっても、おまえさんに改善する気はねぇんだろ?」


「その通りです」


 元より魔人とは価値観の狂った連中が多いのが常ではある。男を下には見ないものの、やはり蛍子は変人と称されても仕方のない有り様ではあった。


「分かった。私は私のやったことを許したわけではないし、反省の意志は行動をもって示していきたいと思っている」


 けれど、ローレライを許すという考えは彼女達の中で一貫しているらしい。


 そのことに感謝を示しつつ、ローレライは自らを敢えて戒めた。


「だけど、蛍お姉ちゃんが仲良くなりたいと願ってくれてるように、私もそうであろうと努力することを、あなたは認めてくれるかな?」


「勿論です!」


 だがしかし、その上で苦手意識を抱いてしまった蛍子とも、共に月都を支える同志として仲良くする努力に励むことを誓った。

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