第27話 少女は未来を往く

「大丈夫か?」


「やるしかないんだよ。これが私にとっての、みそぎの第一歩なのだから」


 元序列一位【人魚姫レヴィアタン】ローレライ・ウェルテクスとの戦いから、早一ヶ月程が立っていた。


 元序列三位【逆襲者ディアボロス】乙葉月都が正式に極東魔導女学園序列一位となり、ローレライの精密検査が何事もなく終了、小夜香の負傷も回復した冬のある日のこと。


 緊張でガッチガチに身体を強張らせているローレライと、そんな彼女を見守る月都の姿が、旧学生寮の隅っこにはあったのだ。


「そんなに構えなくてもいいんだぜ? 何せ俺は身内の女性全員と、一度は敵対関係にあったんだし」


「確実に私が頭一つ飛び抜けて過激だったんだよ」


「魔神と戦う兵器として、そういう生き方しか出来なかったんだろ? なら仕方ねぇよ」


「私が私に許したのは、月都お兄ちゃんを何としてでも死なせたくなかったという想いのみに限定されるかな」


 以前とは異なり、すっかり頭の冷えた様子のローレライは、苦虫を噛み潰したかのごとき表情で自らの愚行をあざけった。


「よくよく冷静に考えてみれば、もっと穏便なやりようは他にもあったんだよ」


 それでも彼女は未来を進む意思があった。月都の固有魔法によって先を生きる上での不安要素を全て取り除かれた人魚姫は、これからのために動くことを己に定めた。


「だから、まずは謝るしかないよね」







「――あら、ウェルテクス。おかえりなさい」


 これまでグラーティア家が管理する学園外の医療施設に滞在していたローレライが学園へと帰還したことに、ソフィアは何の含みもなく喜んだ。


「検査の結果は良好だったようね。一安心だわ」


「私の人生史上、ここまで体調が良かったことはそうそうないんだよ。月都お兄ちゃんには感謝しかないんだよ」


「流石は私の可愛い弟ね」


 ドヤ顔で胸を張りながら、ソフィアは寮の自室にやって来たローレライと月都をもてなすべく、お茶を淹れる。


「あのね、ソフィアお姉ちゃん」


「どうしたの?」


 丁度彼女がお茶請けをキッチンから運んで来たところで、視線を忙しなく彷徨わせ、落ち着かない態度のローレライがおずおずと本題を切り出す。


「ごめんなさい。その、痛い思いをさせてしまって。本当に、本当に……ごめんなさいなんだよ」


 決死の覚悟と共に絞り出した謝罪。


「何だ。そんなこと」


 それを受けたソフィアは、気にするなと言わんばかりのフランクな対応をとった。


「つー君を攫ったことは心臓に悪かったけど、私だってつー君に襲いかかったことがあるもの。反省している人のやらかしを、過去に遡って殊更に責め立てる程、恥知らずではなくってよ」


 そうしてクスクスと優雅に微笑む。


 ソフィアのローレライに向ける眼差しは、慈愛の溢れる、温かなものでしかなかったのだ。


「簡単に許していいものなんだよ?」


「構わないでしょ。アナタはつー君の妹になった。ならば私の妹でもあるわ。やんちゃな妹の多少のオイタを許せないようでは、お姉ちゃんなんて努まらないもの」


 実家のあるイギリスでは妹が、拠点を置いている日本では弟が。幼い時から姉として当たり前のように生きて来たソフィアらしい結論であった。


「ソフィアお姉ちゃん……」


 驚いたかのごとく、ローレライは目を瞬かせた。


「……ありがとう。あなたは優しい人なんだよ。あの時だって、ソフィアお姉ちゃんは私に同情してくれていた」


 しかしソフィア・グラーティアとは、魔人らしからぬ人としての情が深い女性なのだと、思い当たるフシはあったようだ。


 ローレライは納得したかのように頷いて、感謝をあらわにする。


「いえいえ。私だってアナタのことを畏怖するあまり、ちゃんと正面から見ようとしていなかったわ。お互い様ってことでいいじゃない」


 これまで席に座っていたソフィアが立ち上がり、ローレライを抱き寄せた。彼女は抵抗することなく、暫くソフィアに身を任せる。


「ウェルテクス……いいえ、ローレライは案外大きいのね」


「うにゅん?」


 けれども、突然ソフィアはそんなことを口にした。


「あぁ、ごめんなさい。身長の話よ。これまで車椅子に座っていたから気付けなかったのかしら」


 どうやらソフィアは、自らに抱き寄せられているローレライの上背が予想以上にあったことに、少なからず意外感を覚えていたらしい。


「いいえ、それだけではないでしょう。きっと私は、ローレライのことを自分とは異なる存在と勝手に断じて、ありのままを捉えてはいなかったのかもしれないわ」


 自戒をこめた言葉を告げて、よりいっそう愛おしげに、ソフィアはローレライを抱き締めた。







「あずさのことは、やっぱり嫌いか?」


「……半々ってところなんだよ」


 謝罪して回るにあたって、おそらく一番ハードルが低いのはソフィアだ。彼女は優しい。尚かつ月都と親しい女性の中で一、二を争う程にマトモである。


「昔、無責任にお姉ちゃん達を死地に追いやり、何もしなかった、出来なかった私と、最悪の可能性を考えようともしない白兎あずさを重ね合わせ、一人で勝手に嫌悪していたけれど、実際は違ったから」


 次に二人がターゲットとして狙いを定めたのは、あずさ。


「彼女は月都お兄ちゃんにとって必要な人。弱虫で意気地なしの私とは違う。彼女はある意味で私よりも強い」


「……ふむ」


 ローレライはあずさのことを嫌ってはいたが、絶対に月都を死なせたくないと強迫観念にかられていた頃と比較すれば、嫌悪感は相当に薄まっているように感じられた。


「だそうだぞ、あずさ」


「話は聞きましたよ、ウェルテクスさん」


「うにゃーーーー!?」


 ゆえに、引き合わせても大丈夫だと判断。打ち合わせ通り、あらかじめ気配を消していたあずさへと月都は呼びかけた。


「でっ、出たんだよ!?」


「人を化物か何かみたいに言わないでくださいってば」


 とはいえ月都も事前の打ち合わせがなければ、あずさがどこで待ち構えているかは気付けなかったので、このローレライの驚愕のしようにも同意は出来てしまえた。


「あずさはですね、ご主人様に害をなす輩は皆ゴミであると、そいつらは世のため人のためご主人様のため、処分して然るべきだと考えているのです」


 月都とあずさが住まう旧学生寮の一室で、かつて想い人に対するスタンスの違いで火花を散らし合った二人は向かい合う。


「ウェルテクスさんは、そこの条件には当てはまらないではありませんか」


「私はあなた達に怪我を負わせたんだよ」


「当時は敵対関係にありましたが、今となってはウェルテクスさんもあずさ達と同じ、ご主人様の奴隷」


 されどあの敵対は、どちらかといえばローレライからの一方通行。実のところ、あずさはローレライのことをそこまで嫌悪してはいなかったのである。


「この先、魔神との戦いは確実に起こります。ウェルテクスさんがご主人様に次ぐ戦力となるのが確定している以上、罪人にして道具たるあずさごときがあなたの処遇について、ゴチャゴチャ言う筋合いはないでしょう」


 何もせず、思考すら止めて、過去に姉達を死地へと追いやってしまった罪悪感と、あずさの月都に対するスタンスが被ったことこそが、強烈な嫌悪感の要因だ。


「ハッキリ言いますね。あずさはウェルテクスさんのことそこまで嫌ってないですし、今からご主人様を想う同志になれると信じております」


「……っ、」


 月都の全身全霊の説得に折れ、恐る恐るながらも前を見据えた今のローレライに、あずさへの敵愾心を持続させる必要性はなかった。


「痛い思いをさせて、たくさんひどいこと言って、ごめんなさいなんだよ」


 何よりもあずさの深く思考しないがゆえのサッパリとした気質が感じとれたらしい。


 白兎あずさは本来心に深い闇を抱えた女だ。尚かつ月都を見殺しにし続けたという罪の意識に囚われるあまり、重い感情をも持ち合わせている。だがしかし、愛しい主人から正式に選ばれたことで、彼女の良い側面は人知れず強化されつつあったのだ。


「共にご主人様を想う気持ちは同じ。あの日の敵対は、今日ここに至るまでに必要な過程だったのかと。これからは仲良くやっていきたいものですね」


 差し出されたあずさからの手を、ローレライは迷いなく取った。


 二人は握手をする。同志として、仲間として、戦友として。良き関係性を築くための第一歩がここに刻まれた。








「次が一番大変なんだよ。私が私に勝てるかの、分水嶺とも言える」


 ソフィア、あずさに続けば、残るはもう彼女一人しかいない。


「つまりラスボスってことか……?」


 これまでも緊張感に満ち満ちてはいたものの、現在ローレライの顔色は、以前寿命が十八までしかなかった頃のように青ざめていた。


「月都お兄ちゃん。私、絶対にくじけない」


「姉ちゃんに続いてあずさとも和解出来た。おまえならやれるさ、ローレライ。行け! ローレライ!」


「行くんだよ! やるしかないんだよ! えいえいおーなんだよ!」


 意を決した面持ちで、ローレライはインターホンを鳴らす。されどその指は震えており、さながら武者震いのよう。


 表札に書かれた名は、である。中からは何やら美味しそうな香りが漂っていた。

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