第25話 対序列一位【人魚姫】戦 前進

 ローレライが魔人としての暴走化に至り、自らの支配領域であったはずの海と一体化した。


 人魚姫の意志を積んだ水の巨人が、今にも月都を締め上げようとしているにも関わらず、彼は微動だにもしない。


 虚ろな瞳の彼は、水に呑み込まれる運命を受け入れているかのごとき有様だ。


 遠目ではあるものの、その悲惨な光景を目にしてしまった従者二人。


 接近戦の間合い。一瞬の判断が勝敗を決するその時に。


(姫さん!? 今ここで死ぬつもりだってのかっ!?)


 妹のように可愛がっていた主が、幾ら延命を望んでいないことを承知していたとはいえど、限界以上の力を行使することで今にも死に絶えようとしている姿を目撃し、小夜香は思わず意識を眼前の敵対者から逸してしまった。


(ご主人様が危ない……ですが、まずはこちらが先決でしょう)


 一方のあずさ。彼女はあまり深く物事を考えない性質ゆえに、月都の安否を気遣うよりも、主を確実に勝利させる方策をとった。


 これ以上、月都が何かに敗北し、屈するようなことがあれば、たとえ命を永らえたところで、彼の心は死に絶えるのだから。シンプル極まりない答えが、あずさの中で導き出された。


「はぁっ!」


 がら空きの小夜香の胴体に肘を打ち込む。


 ローレライの安否に気を取られたことで、受け身もままならず、小柄な身体は宙を舞う。


「もう一丁!」


 さらに強烈な回し蹴りが小夜香の脇腹に炸裂。いよいよ意識も危うくなった頃合いを見計らって、あずさは固有魔法【縛めの鎖】を発動。


 鎖が幾重にも絡み付き、度重なる攻撃のダメージを受けたことで無防備になった小夜香の能力を封じた。


 彼女の意識が途切れると同時に、天井に散りばめられていた鏡は消滅。されど世界は変わらずに人魚姫の領域ではあるのだ。


 しかし厄介な相手を一人脱落させたアドバンテージは大きい。そこであずさは意識を月都の元へと戻した。彼が海と化したローレライに呑み込まれるまで、持って一秒もないだろう。けれど、メイドは焦ることなく魔力を収束させるのみ。


「守りなさい」


 あずさの命令に従って、鎖が奔る。


 振り下ろされようとしていた巨大な腕が、水飛沫となって散っていく。


「ご主人様!」


 今度は確実に一秒以上の時間がもたらされた。あずさは兎のごとく海の上を駆け抜け、月都を腕の中に収める。


 苛立ちに満ちた雄叫びをあげる水の巨人が、足で二人を踏み抜こうとするも、転がるように攻撃の影響範囲内から逃れるのだ。


「あずさ」


 壊れ切った、それでいてどこかあどけない凶相で、死地から一旦逃れた月都はメイドにすがりついた。


「なぁ、何でなんだ? また、また、また、さ。どんな権利があって、俺から大切な人を目の前で奪っていくんだ?」


 いつぞやの狂戦士と同じように、月都はグスグスと泣きながらあずさに訴えかける。


 背後では水の巨人と化したローレライが月都を狙い続けていたのだが、彼女の鎖が何とか主へと向かう攻撃を封じていた。


「まだ、何とかなるかもしれないじゃないですか」


 基本的に暴走状態に入った魔人は元の姿に戻ることはない上に、ローレライの肉体は脆弱そのものなのだ。


 ああも無茶な運用をすれば、そう遅くもなく――死ぬ。


 加えて、あの状態のローレライはただでさえ強敵であった平時の彼女すら上回る力を有しており、殺さずに仕留める難易度は跳ね上がる一方なのだが、そもそも月都はローレライを殺したいわけではなかった。


 。自らのエゴによって支配下に置こうとはしていたものの、嫌っているわけでも、ましてや憎んでいるわけでもなかったのだ。


 物騒な方法とはいえど、月都の身を案じてくれたあの一途な少女のことを、紛れもなく好いていたのだから。


「無理に決まってる!」


 あずさの励ましを、真っ向から拒絶した。


「強い力を持っていたところで、何にも役に立たない。人を傷つけるか、何も出来ないか。いつもいつもいつも、そうだった」


 月都が見ているのはおそらく今ではない。過去だ。


 母親が目の前で燃やされ、殺され、処刑された昔だけを切り取って、延々と眺めていた。


「母さん、俺は二度と、認めないよ」


 先程も呟いていた月都の台詞。


 助けにあずさが入ったことで中断されたのだろう。月都の体内でマグマのごとき熱を帯びたどす黒い魔力が静寂の最中で湧き上がる気配を、メイドは側にいることで初めて感じ取った。


 このままでは暴走したローレライ諸共、全てを巻き込んで破壊しかねない。


 全てとは冗談でも何でもなく、裏の世界も表の世界も含めた全てだ。


 月都はそうしようと思えば、世界を滅ぼすことなど造作もない。


 そうなりたくなかったからこそ、さらなる力を求めたのだから――。


「大丈夫ですってば」


 緊迫感を超えた絶望を生み出しかねない惨状において、あずさは呑気に語るのだ。


「ご主人様は強いです。あずさは今なら本気を出せます。二人で力を合わせれば、どうにかなりますって。たぶん」


 根拠の無さにも程がある言い様に、けれども月都はピクリと身体を震わせた。


「いつも何も出来ないとか、悲しいことを言わないでくださいよ」


 月都達の現状は厳しいもの。今も水の巨人が腕を振るっているところだ。固有魔法【縛めの鎖】が、まだ水の肉体に馴染みきっていないローレライを迎撃していることで、猶予を作り出しているに過ぎない。


 それでもあずさはそれらを細かいことだと切り捨て、ニコニコと自然体の笑みを浮かべた。


「死にたがっていた蛍ちゃんの生きる理由になれたじゃないですか」


 徐々に、徐々にではあるものの、どす黒いマグマのごとき熱を帯びた魔力が、あずさの穏やかな語りによって、沈静化していく。


「学園に入学して以来、疎遠になっていたソフィアさんと、また仲良くなれました」


 ふるふる、と。弱々しく首を振ってはいるのだが、その面持ちから凶相は感じ取れなくなっている。


「過去の悲劇に一区切りをつけて、夢に向かって邁進している姿は、とてもかっこいいです。それだけでも素晴らしいというのに、蛍ちゃんと同じように死にたがっている後輩を生かしたいと、夢さえ諦める覚悟を見せたご主人様は、かっこいいを通り越して最早神かと」


「……それは、随分と良い面だけを捉えてるような気がするんだが」


 やっと月都の双眸に理性の光が戻って来た。


「ご主人様は悪い面だけを見過ぎなのですよ。いえ、あずさもどちらかといえばそうだったのですが……」


 そこで、あずさは言葉を区切った。


 頬を赤らめて、彼女は告げる。


「罪人であることに変わりはなく、己がゴミなのは理解の範疇ですが、こんなあずさのことを好きだと、他ならぬご主人様がおっしゃってくださったのですから、多少は前向きになりますとも」


「……そうか。そう、だな」


 あずさの緩みきった表情に触発されたのか、笑顔の花が月都の側でもほころんだ。


「思えば随分と遠くまで来たもんだ。暗い部屋の中でうずくまってる俺と、死んだ目で俺を見ていたあずさじゃあ、もうないってことか」


「はい」


 そうして月都とあずさ、主人とメイドはどちらからともなく手を繋ぎ合った。


「俺は魔神になり代わる。だから学園に来た。学園最強を目指したんだ」


 ようやく月都は海と一体化した人魚姫を見据えることが叶った。


「序列一位になるついでに、後輩の一人や二人救えないで、夢を叶えられるわけねぇってことだろ!?」


「その意気ですよ、ご主人様!」


 狂気も歪みも絶望も悲劇も、当たり前にあるソレらを存分に抱え込んだ上で、二人は真っ直ぐに突き進む。茨の道であろうが、そんなものは慣れ親しんだもの。特に問題はなかった。

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