第20話 泥沼に差し込む光

 ローレライとあずさの視線が、どちらからともなく交わった。


 両者の間では月都さえも置き去りにして、壮絶な火花が散らされている。


「月都お兄ちゃん」


 正真正銘の敵として認識したと思しきあずさから片時も目を離すことはないままに、ローレライは月都の名を呼んだ。


「嫌だ」


 続く言葉は分かりきっている。だからこそ、ふるふると。泣きそうな顔で、ただ首を横に振るしかなかった。


「お願いがあるのだけれど」


「絶対に嫌だ」


「そこどいて。じゃないとその女が殺せないんだよ」


「嫌だっ!!」


 懸命に叫ぶ。そんな言葉を他ならぬローレライの口から聞きたくないのだと。健闘虚しく発されてしまった残酷にも過ぎるソレを、かき消すために。


「なぁ、ウェルテクス」


 俯いて、歯を食いしばりながら、挫けそうになる心を月都は何とか繋ぎ止めようとする。


「なぁに?」


「俺はおまえのことが、好きなんだぜ」


「ありがとうなんだよ」


「だけど、もしもおまえがあずさのことを殺そうとすれば、俺はおまえを殺すしかなくなってしまう」


「そうだろうね、で? だから、何?」


 月都の決死の訴えは、怒りが頂点にまで達し、絶対零度の鎧で心を覆ったローレライには届かない。


「私はね、決めたんだよ。月都お兄ちゃんに嫌われても、憎まれても、たとえ殺されることになったって、月都お兄ちゃんを無責任に死地へと追いやるその女を殺すことを今定めた」


 ローレライの声音に感情の揺らぎは微塵も存在していなかった。それだけ彼女は本気ということだ。


「……ん、で、」


「――月都お兄ちゃん?」


「何でそうなるんだ! 俺は……俺は! ローレライのことを助けたいだけだっつってんだろっ!?」


 ローレライはあずさという危険分子を如何なる犠牲も織り込んだ上で、排除する覚悟を決めていた。


 ゆえにあずさに恋をしている月都は、可愛い後輩とここで争うしか未来はないのだと、悟ってしまった。


 されど月都は諦め悪くもギリギリまで刃を抜かない。どうしたところで彼はローレライを憎むことが出来ないのだ。


「――落ち着きなさい」


 と、そこで。涼やかな声音がよどんだ空気を振り払い、通り抜ける。あろうことか泥沼の様相を呈し始めた修羅場へと、率先して割って入る人間が現れたのだ。


「……うにゅん、びっくり。ソフィアお姉ちゃんなんだよ」


「えぇ、そうね。病み上がりまっしぐらな私よ。全くもう……あずさも蛍子も先走り過ぎだわ。通信機を繋げっぱなしにした判断については、我ながら称賛したいところね」


 月都の肩を軽く叩いた後、ソフィアは一歩前に進み出た。本人の申告通り、本調子とはとてもいえないような顔色をしている。


「単刀直入に言いましょう。ウェルテクス、私達と決闘をしない?」


「……決闘?」


 学園の序列一位と序列二位。とはいえ幾ら知り合いといえど、予期せぬ乱入者であることに変わりはないようだ。ローレライはソフィアを怪訝そうな眼差しで眺めた。


「そんな悠長なことをしている暇なんてないんだよ。私は白兎あずさを速やかにこの世界から抹消したいだけなの」


「その結果、つー君に殺されることになってもかしら」


「私は私自身の延命を望まない」


「そう意固地にならないで。好き好んでつー君に殺されたいわけではないでしょうに」


 頑なな態度を取り続けるローレライと真正面から向き合うソフィアの唇には、顔色とは不釣り合いな、余裕に満ちた笑みが刻まれていた。


「アナタは自分自身の命の価値と、以前のアナタと同じように思考を放棄しているあずさがつー君と共にいることの危険性を秤にかけた上で、後者を重く捉えただけ」


 ローレライが否定しないところから、その推測は概ね正解のようだ。


「つー君に恋をする乙女として、恨まれないに越したことはないじゃない」


「そう……だけども」


 押しても引いても微動だにしない砦に、僅かにではあるものの、付け入る隙が生まれたのだ。


「両者が一時の感情に流されず、フェアに利益を追求出来る機会を、決闘として持ち込んだってわけなのだけれど、それでもアナタは話を聞いてくれないと?」


 ここを逃しては、病み上がりの身体で駆け付けた意味がなくなってしまう。ソフィアは友好的な笑顔を維持しながらも、チャンスとばかりにやや語気を強めつつ、畳み掛けた。


「……分かった。ソフィアお姉ちゃんのことは結構好きだからね。お話くらいは聞いてあげるんだよ」


「あら、良かった」


 そう言って、ソフィアは鷹揚に頷く。


 実際には学園最強の人魚姫、さらには以前こっぴどくやられた相手に魔導兵装も展開せずに対話するのは、緊張を通り越した恐怖を覚えていた。


 けれど、保険がないわけではない。


「要点を整理しましょう。アナタはつー君が魔神と戦い魔神になり代わろうとする夢、及び彼の側につー君のストッパーにはとてもではないけれどなりようのないあずさがいることを危険視している――違って?」


「その通りなんだよ」


 ローレライが常に見せていた童女のごときあどけない立ち振る舞いの奥に、自分とよく似た魔人らしからぬ理性が蓄えられていることを、これまでの騒動でソフィアは見て取ったのだ。


「だから私は、月都お兄ちゃんが魔神と戦うことそれ自体は止められずとも、白兎あずさだけは先んじて排除しておきたいの。そうすれば、多少なりとも月都お兄ちゃんの生還率が上がると信じているんだよ」


「確かにあずさは向こう見ずなところがあるわ。つー君を死なせぬような立ち回りを敢えてとることはせず、彼の勝利を最優先する……そうでしょう?」


 ソフィアの確認に、後方で事の成り行きを静観していたあずさが、ようやく口を開いた。


「あずさはご主人様の夢を追い求め、プライドを折らないその姿に女として好意を抱き、また罪人の身の上である以上、被害者たる彼の手段に口を挟むような権利などございませんので」


「この、女……っ!!」


 だがしかし、今やあずさの存在全てに憎悪を掻き立てられるローレライは、彼女の偽りない本音を受けて、抑え込んでいるはずの激情があわや漏れ出してしまう。


「今のアナタがなすべきことは、私の話を聞くことではないのかしら」


「……っ、そう、なんだよ」


 それでも、ソフィアに諌められてすぐ様平静を取り戻すくらいには、今の彼女には確固たる理性があった。


「ウェルテクス、どうか冷静になって聞いて頂戴。あずさを排除するのではなく、そもそもつー君が魔神との戦闘の場に出なければ、アナタの望みは概ね達成されるということでよろしくて?」


「……それが叶えば万々歳なんだよ。無理だからこそ、強攻策になっちゃったんだもん」


 苦虫を噛み潰したかのようなローレライの面持ち。元より月都が魔神になる夢を決して諦めないことは、彼女の作り上げた優しい世界から脱出を遂げた時点で明白なのだ。


「オーケー。ならばこそ、決闘の提案を持ち込んだのよ」


 何も問題はないのだと、泥沼の中でソフィアだけは希望を失っていなかった。


「ここに揃った人間は、極東魔導女学園の生徒達」


 グルリと首を回すことで周囲を見渡す。月都、あずさ、蛍子、小夜香――そして、ローレライ。


 全員が全員、学園に通う高校生であった。


「意見が割れ、両陣営望みを譲る気は毛頭ない。ならばルール無き私闘なんて非合理的なことは避け、ルールの定まった決闘で、合理的に話をつけるべきだわ」


 魔人の資格を有した原則女子が通う極東魔導女学園では、意見の相違が深刻になった際、正式な立会人の前で武を競い、白黒はっきりとつけることがかねてより奨励されて来た。


「ウェルテクスとつー君、極東魔導女学園序列一位【人魚姫レヴィアタン】ローレライ・ウェルテクスと極東魔導女学園序列三位【逆襲者ディアボロス】乙葉月都の決闘。アナタがもしもこの試合を受けて立ち、勝利した暁には――」


 ひと呼吸置いた後、ソフィアは人差し指をローレライに突きつけると同時、朗々と宣言する。


「――つー君が、魔神と戦うのをやめるわ」


「姉ちゃんっ!?」


「えぇ!!??」


「あら、あら、あら」


「……嘘だろ、おい」


 表情と心を意図して凍らせているローレライと言い出した当人以外は、居合わせた皆が一様に驚愕をあらわにした。


「この場を丸く収めたいと願うのであれば、ウェルテクスを殺したくないのであれば、それくらいの掛け金を、私の自慢の弟は差し出してくれるわよね?」


 しかし、ただ驚いているだけでは許されなかった。


 あずさとローレライ、恋しい相手と妹のような可愛い後輩。両者共に生きていて欲しいと月都は欲深くも願っているのだから。


「――当然だ」


「流石はつー君」


 最愛の姉が指し示してくれた希望の光。


 月都の夢と、ローレライとの和解を両立する手段。


 絶対に手放すまいとの決意をこめて、月都はリスクを飲み干した。


「ウェルテクスが敗北すれば、アナタにはつー君の固有魔法【絶対服従】を受け入れてもらいましょうか」


「……」


 人魚姫は暫しの間、黙考。


「いいんだよ。そのお話に乗ってあげる」


 長い沈黙の末、彼女なりの決意と共に、ローレライはソフィアの提案を了承した。


「ただし、一つだけ条件を追加したいんだよ」

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