第19話 王子様は拒まれる

◆◆◆

 物心ついてまず思い出すのは、どこもかしこもが真っ白な部屋の中。それこそが私――ローレライ・ウェルテクスという女の原初の記憶。


 最初は姉妹五人、すし詰めにされていたにも関わらず、今となっては私としかいなくなった独房だ。


 家の人間達は順番にお姉ちゃん達を連れて行った。何でも『魔神と戦うことの出来る魔人を生み出すため』の儀式らしい。


 成功したのか、失敗したのか。部屋の中に残された私達妹に伝えられることは、ついぞなかった。


 それでも、不自由さがあるといえど、これまで姉妹として共に生きて来た彼女達が帰って来なくなったことは、末の妹であった私の胸にさえ、重いナニカを落とすのだ。


「次はおまえだ」


 今日は私に残った最後の姉が連れていかれる日。


 一人ぼっちになるのは嫌だった。だから姉を儀式に連れていく白衣を来た女に縋りつく。私の姉を連れて行かないで――と。


 そして、殴られた。


 何度も何度も殴られた。


 けれど、屈する気はない。脆い心を懸命に奮い立たせる。ここで退くようであれば、今までの姉と同じように、彼女も二度とここに帰って来なくなるであろうことは、直感で理解出来てしまったのだから。


「もういいよ、やめてあげて」


 兵器とは開発者に従順であるべきだ。たとえ人間という二文字が前についたとしても。躾のため、白衣の女に馬乗りになって殴られていた私を庇ったのは、姉だった。


 私と瓜二つの容姿。水色の髪に普通の人間では考えられない長い耳。だが、まだ五歳程度であった私よりもほんの少し先に産まれただけの彼女が、まるで娘を眺めるかのような眼差しを私に向けているのだ。


「ねぇ、あなた」


 互いに名前はない。


 一級品の魔人として育て上げられる前の、幾らでも替えがきく消耗品に、名前だなんて上等なものは与えられていなかった。


「私は可愛い妹であるあなたに、生きていて欲しいと願うわ」


 姉と、さらには彼女に声をかけられ、僅かな落ち着きを得た私に抵抗の意思が残っていないことを察し、機械的にも過ぎた殴打をやめた白衣の女は、馬乗りになっていた私から離れた。


 どうやら姉と対話する時間はくれるようだ。とはいえ私からしてみれば、ウェルテクス家の研究者達には恨みこそすれ、感謝をするつもりは毛頭ないが。


「儀式に失敗して世界から抹消されるより、辛いことがたくさんあっても、成功した方が、十八までは生きていられる期間が延びる。だから私はその方がいいと思うの」


 姉の言葉は、自らの成功がないものとして語っているようにしか思えず、私は幼き感情を再びぐちゃぐちゃにかき乱される。


「お姉ちゃんは! お姉ちゃんはどうなるの!?」


「私は絶対に耐えられない。魔神と戦う器じゃないのは、これまでのテストでも分かり切ったことよ」


 確かに末妹である私が、ウェルテクス家から課される過酷な試験において、姉妹の中で最も優秀な成績を叩き出していたことは周知の事実。


 しかし、それでも――。


「無理……なんだよっ」


 私は弱い。


 意気地なしの根性なし。怖いものが嫌いで、恐ろしい存在に対してすぐに震え上がる。魔神なんて凶悪な敵と、正面切って戦えるような精神の持ち主であるはずがなかった。



「お姉ちゃん……?」


 洗脳のごとき強制力を伴った言の葉が、耳元に囁かれる。しかし何を言われたのか受け止めきれず、ただイヤイヤと首を横に振るしかなかった。


「マトモに考えれば、壊れてしまう。たとえここを生き残ったとしても、あなたには辛いこと、悲しいことが、多過ぎるから」


 そこで時間切れだったようだ。


 泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてくれていた姉の手を、白衣の女が強引に引っ張った。


「思考を放棄してでも生き延びて。そうすれば、いつかあなたを助けてくれる王子様が現れるかもしれないわ」


 それが姉の最後の言葉だった。


 意気地なしで弱っちい私は、何度も白衣の女に体当たりをしたものの、大人の力には敵うこともなく、結局は連れられて行く彼女を眺めているだけ。


 白い部屋には誰もいなくなる。


 私を取り巻く全ての現実に耐え切れず、姉の言う通り、考えることをやめた。されど皮肉なことに上の姉妹四人が死んだ儀式に私は耐えた。耐えて、しまったのだ。


 人間として扱われず、魔人の枠組みにさえ収まらない。人間兵器の成功例。退魔の祝福は最早呪いだ。本当は純粋でも無垢でもないくせに馬鹿げたこと。それでも姉の教えを守り続け、さも童女のように何も考えず、日々を無為に過ごして――。


 魔人が集められた学園で、私は王子様と出会う。


 十八で死ぬ運命にあるにも関わらず、せめてこの人を守ってから死にたいと願ってしまった。


 もう二度と、大切な人を死地へと追いやりたくなどないのだ。

◆◆◆









 一度は堪忍袋の緒が切れたかのごとき様相であったローレライ。


 しかし彼女は自らの過去を淡々と語ってみせたことで、何とか表面上の冷静さだけは取り戻す。


お姉ちゃんは言った。私を守ってくれる王子様に、いつか出会えるかもしれないってね」


「――俺がなればいい!」


 だがしかし、未だ彼女の内側は憤怒で渦巻いている。


 一度認めたはずの敗北を、やはり認められはしないと、口にすることなく、その身に纏わせる鬼気で雄弁に告げてみせるのだ。


「ウェルテクスの王子様に俺がなれば問題ないじゃねぇか!」


「駄目なんだよ」


 あのまま敗北を認め、どこかへ去って行くだけでも受け入れ難かった。


「私についてはもういい。紛い物の欠陥品とはいえど、女としての一応の誇りはあるんだよ。ましてやお姉ちゃん達を見捨てて、見放して、悠々と生き延びるだなんて……ねぇ、月都お兄ちゃん。そうまでして私を恥知らずにさせたいの?」


 けれど、ローレライが再度勝利に執着した際の未来に至っては、この先誰に対しても幸せが訪れないことを、月都は本能で理解していた。


「お伽噺の人魚姫のように、黙って泡になって消えるのは業腹だから。お姉ちゃん達を殺した実家は勿論処分したけれど」


 そんな激しい焦燥に駆られる月都の内心を知っているのか、いないのか。


「あの日、無責任にお姉ちゃんを死地へと追いやった私も、許してなんかいないんだよ」


 ニコニコとしたあどけない微笑みを浮かべ、ローレライは自分自身をなじり、嘲った。


「仕方ないだろ! ウェルテクスは幼かった! あまりにも無力だった! そんなおまえをお姉さんは確かに愛してくれたはずだ! 彼女は生きて欲しいと願ったはずだろうが! その想いすら! おまえは無駄にしようってんのか!?」


「だとしても、なんだよ――私が月都お兄ちゃんを守る。その上で私は私の延命を望まない」


 悲痛にも過ぎる月都の嘆きがまるで耳に入ってなどいないかのように、ローレライは覚悟を新たに決める。


「魔神と戦う? 魔神になり代わる? やっぱりよくないんだよ。そんな分かり切った死地へと大好きな人を送り込ませたくない。もう二度と、私は私の大切な人を自分自身の無力のせいで死なせたりなんかしないっっ!」


 心を壊さないようにと、姉の教えに従い何も考えないようになった人魚姫は、いつしか王子様と出会い、放棄した思考を取り戻す。


 その結果が、今の惨憺さんたんたる修羅場。


「白兎あずさ、最後の最後。本当に最後の質問なんだよ」


 車椅子に深く腰掛けた少女。青白いおもてで、兎耳を生やしたメイドを仰いだ。


「はい、どうぞ好きなだけ聞いてください」


 あずさは先のローレライとの戦いからは格段に敵意の失せた穏やかな面持ちで、彼女を見返した。


「あなたがどれだけ怒り狂ったところで、この罪人の愚かしさは変わりやしませんので」


「言ったね。言ったんだよ」


 あずさとしてはただの事実を告げたのみ。一方でローレライはそれを挑発と受け取ったらしい。


「最愛の人がマグマの底に用事があるんだよ」


 そうして彼女は突拍子もなく、あくまで仮定の話を始めた。


「その人は無謀にも何の装備も身につけることなく、マグマの中に飛び込もうとするんだよ」


 一旦言葉を区切り、


「おまえは、どうする?」


 最後通牒のごとく問いかけた。声音は冷ややかで、聞く者に恐怖を植え付ける類のもの。


「あずさは頭の足りないメイドですが、その答えは幼子ですら分かり切った代物でしょう」


 だというのに、ともすれば親しげな微笑をあずさは浮かべていた。瞳は真っ暗だったが、そんなことを気にしている余裕はこの場の誰にもありはしない。


「恋しい人と共にマグマの中に飛び降りる。あずさの方が苦しめれば、なお良しです。恋しい人の生死もあずさの生死も勘定にいれるつもりはありませんので、悪しからず」


「気が合わないんだよ。私はまず愛しい人の四肢を全部切り落として、地下室に監禁。その人の安全を確保するところから始めるかな」


 どちらも相応に歪んでいる。


 それでいて方向性は真逆であるがゆえに、勃発した修羅場はさらなるこじれを見せていくのだ。

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