第18話 人魚姫の逆鱗
「私はね、ずっとずっと思ってたんだよ」
ティーカップに満たされた紅茶を一口含み、テーブルに置いたローレライは、おもむろに語り始めた。
「月都お兄ちゃんが序列三位になるまでの学園の上位陣でマトモなのは、お姉ちゃんを除いたら、ソフィアお姉ちゃんくらいだって。残りはどいつもこいつも有象無象に毛が生えた変人ばかり。たとえ多少なりとも似ていたところで。だけどね、その認識が甘いっていうのが今になって良く分かったんだよ」
淡々とした口調ではあるものの、そこにこめられているのはたっぷりと毒を含ませた皮肉でしかない。
「私は月都お兄ちゃんとだけ、お話をしたかったのだけれど……来てしまったものは仕方ないか」
拠点である屋敷を外からボコボコの穴だらけにされたにも関わらず、月都があずさ達と合流し、小夜香と共にローレライの待つ部屋に向かってみれば、人魚姫の優雅な姿がそこにはあった。
「とりあえず蛍お姉ちゃん。私から一番遠くの席に腰掛けて欲しいんだよ」
けれど、可憐な笑顔では隠し切れない警戒心は、屋敷への侵入者――その片割れを対象に深まる一方なのだ。
「あら、あら、あら、あら、あら」
一ヶ月以上に渡って拉致監禁されていた月都救出の名目があるといえど、乱暴にも程がある手段で屋敷に侵入しておきながら、蛍子の様相は相変わらず優美の一言で片付けられてしまう。
「何故でしょう。以前お会いした時よりも剣呑なご様子。随分と嫌われてしまったようですね」
「……ルコ。自分がウェルテクスの前で何をやったのか、本当に覚えてないのか?」
頬に手を当てて、おっとりと小首を傾げる蛍子に対して、月都はやや引き気味に率直な疑問を口にした。
「覚えておりますとも。愚かな雌豚であるわたくしは到底人魚姫に及ばず、真っ先に敗北を喫してしまいました」
悲しげに語る蛍子ではあるものの、奇妙なことに彼女は魔人としての暴走状態へと至り、ローレライを苦戦させたことを、まるでなかったかのように語るのだ。
以前、吸血鬼騒動の際に現れた蛍子の偽物は、小夜香が月都の尾行をあずさに勘付かれ、苦し紛れに化けた姿であったことが察せられる。
だがしかし、あずさを通して観測したあの蛍子はどう考えても本物でしかありはせず、すなわち彼女は本当に己が獣と化したことを覚えていなかったことになる。
「月都様のメイドその二でありながら、無様を晒したわたくしが出来る償い。それは全裸に他ならぬでしょう」
思考に没頭する月都の傍らで、蛍子があまりにも彼女らしく、だからこそとんでもないことをのたまい始めた。
「ちげぇよ! おまえさんが脱ぎたいだけだろうが! あたしは知ってるんだぞーーーーーーーー!!」
「あん♡ あんああっ♡ そんなに激しくなさらないでくださいまし、小夜香先輩♡」
「喘ぐなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「……とりあえず俺の
小さい身体で懸命にも羽交い締めする小夜香。ところ構わずセンシティブな声を発する蛍子。彼女達から意識を逸らし、月都は意を決した面持ちで、悠々と茶を嗜むローレライから見て正面の座席に腰掛けた。
「ウェルテクスは、このまま俺の前から消えるつもりなのか?」
「うん」
ローレライは滑らかに首を縦に頷かせる。
「私は負けた。月都お兄ちゃんの不屈のプライドに。だったらもう、ここにいる意味はないんだよ。だからこそ固有魔法が効かなくなった昨日の内に、居場所をグラーティア家に通達したのだから」
諦観の色が、ローレライの双眸には渦巻く。
生半可な交渉で彼女の意志は覆せないだろうと覚悟した上で、月都はシャワーを浴びながら閃いたことを、単刀直入に切り出す。下手な腹の探り合いを、彼は親しい後輩と演じたくはないのだ。
「俺の固有魔法【支配者の言の葉】なら、活用次第でおまえの命を永らえさせることが可能かもしれない」
「その代わり、私が月都お兄ちゃんの固有魔法【絶対服従】を受け入れろってこと?」
「申し訳ないが、今の俺はどんなに好いている相手でも、女とあらば信用が出来ないわけでだな」
「うにゅん? あぁ、別に月都お兄ちゃんに首輪をかけられること自体が嫌なわけじゃないんだよ」
意思疎通が出来ているようで、実際には出来ていない。
それもそのはず、ローレライは月都が魔神と戦うことで彼の生命や存在が脅かされることを最たる懸念としており、一方の月都はこのままローレライが十八の寿命を迎えてしまうことを案じているのだから。
「月都お兄ちゃんの憎悪を無かったことにして、私の死と同時に表の世界へと送り出すのが、恋する乙女としての勝利条件であったわけなんだよ」
そう言って笑ったローレライの纏う雰囲気に、童女めいたあどけなさは残っていなかった。まるで初めての恋に破れたかのように物憂げだ。
「人造の生体兵器、究極のイミテーション、子をなすことも出来ない欠陥人間。どれだけ裏では揶揄されようが、私にだって女のプライドはあるんだよ。あはは。おかしいよね。月都お兄ちゃんにはプライドを折って欲しかったのにさ。私はそれを保とうとするなんて、馬鹿なの。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿なんだよ。ねっ」
自分で自分の矛盾をつつく。意味のない行為は、ローレライがローレライ自身を痛めつける、ただの八つ当たりに他ならない。
「私は私のことを一人の女の子として扱ってくれた月都お兄ちゃんが大好きだし、月都お兄ちゃんも私のこと、後輩としては好いてくれているんだろうけど」
後輩として。そう口にしたローレライの声が僅かばかりか揺れていたことに、対面に座する月都は、今だけは気付かないフリをした。
「敗北者に権利はないんだよ。負け犬は早々に去らなきゃ」
凛とした響きで言い放つ。敢えて気丈に振る舞ってはいるが、彼女のその態度には、倫理観が歪んでいる月都でさえ目を見張る程の誇りを感じさせた。
「あなたの知らないどこかで、私は当たり前のように死ぬべきだ」
されど一転。己の生死に頓着しないローレライの発言を受け、月都のこめかみが震える。だが決して怒りではない。もっと別の複雑な感情だ。
「後悔はないんだよ。お伽噺の人魚姫。唾棄すべき結末のごとく、黙って泡になって消えるよりも、ずっと良かった」
そこで言葉を一旦区切り、ローレライから見て月都の左隣の椅子に腰掛けるあずさに、彼女はようやく視線を向けた。ただしこちらは警戒心ではなく、隠そうともしていない嫌悪感を滲ませているのだが。
「白兎あずさ、最後に一つだけ聞かせて」
「えぇ、はい。何ですか?」
出されたお茶を呑気に飲みながら、部屋に大きく穿たれた穴をチラチラと見やりつつ、あずさは気のない返事で応えた。
「魔神になり代わるべく魔神と戦う。夢を追い求める月都お兄ちゃんを死なせない確証、算段。あるいは勝算。どれだけ拙くても構わない。それでも何かしらはあるんだよね?」
真剣そのもののローレライの問いを受け、あずさは何を言われているのか微塵も理解出来ないといった様子で、それでも堂々と前を見据えた。
「そんなもの、あずさにはありませんけど」
痛いくらいの沈黙が場を満たす。
特に月都と小夜香に関しては、ローレライがあずさの何に対して腹を立てていたのかを薄っすらと把握していたがゆえに、顔を真っ青にさせていたのだ。
カチ、カチ、カチ、カチ。
時計の秒針が静寂の中に残された、唯一の音。
無音に等しい停滞を破ったのは、呆然とした表情で、手に持ったティーカップを床に落とした――人魚姫。
「……はぁ?」
あまりにもドスの効いた声に、月都は一瞬、誰がその声の主であったのかを認識出来なかった。
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