第17話 お迎え

「サヤさんって、呼んだ方がいいですか?」


 小夜香の小さな背中に、含み笑いの月都はそんな言葉を投げかける。


「馬鹿野郎。大人をからかうもんじゃねぇよ青少年」


 しかし振り返った小夜香の側も纏う雰囲気は朗らかなもの。両者の間に険悪な空気は皆無。


「ひょっとして十八じゃなかったりします?」


 彼女の物言いを受け、月都は薄々感じ取っていた周防小夜香という女の、十八という歳に見合わぬ余裕の源泉を問うことに決めた。


「おうともさ。これでも半世紀以上はウェルテクス家に仕えて来た……ま、つい先日姫さんを連れて、裏切ったわけだが」


「つまり周防先輩はウェルテクス家を壊滅させてまで、彼女を生かしたかったんですね」


 あずさとの繋がりで判明した情報を抜きにしても、ローレライがウェルテクス家で人間兵器として使い潰されるために生きて来たことは察せられるのだ。


 月都はローレライと小夜香の関係性を推測しつつ、納得感と共に頷いた。


「動くのがあまりにも遅過ぎたよ」


 ため息混じりに、前を向いたままの小夜香が答える。


「あの家ではたくさんの娘が当たり前に使い潰された。仕事の二文字で目を瞑り続けて、死滅したあたしの良心とやらがようやくマトモに動き出したのが、今だったんだ」


 彼女の語りには、どことなくではあるものの、かの暗殺者を想起させるナニカが含まれていた。


 完全な同一はあり得ないにせよ、類似点は見いだせる。


「姫さんを縛る鎖の一つ、薬に蝕まれた身体は、ウェルテクス家の管理者共をどうこうしたことで何とかなったが、姫さんに施された無茶な肉体改造は、あの方の身体を虚弱にしたまま」


 常に悪い顔色。すぐに尽きる虚弱な体力。血を吐き出すといった不治の病にかかる末期患者のごとき様相を、いつものことだと割り切らざるを得ない日常。


「魔人としての全盛期が終わる十八歳。それ以上を姫さんが生きることは断じてない」


 一応はただの他人でしかない月都にも、ローレライがこれから長くを生きられないことは、小夜香に明言されるよりも早く、容易に予想出来てしまえたのだ。


「だから、あの方はせめて自分が寿命を迎えて死ぬまでに、乙葉。おまえを死の運命から救い出し、そんでもって僅かな時間を少しでも共に在りたかったと望んでいたのさ」


 死の運命――魔神との挑戦権を獲得した末に、魔神になり代わることを目指す、月都が月都自身の人生を歩むための夢そのものを、その単語は指す。


 ローレライは純粋な好意により、月都の身の安全を彼女なりに慮った結果、彼の夢を打ち砕こうと強引な手段に出たのだ。


「手段が強引だったのは謝罪する。それでも、だ。望んだのは姫さんではあるにせよ、具体的な計画の立案者はあたし。可愛い後輩達を痛めつけたのは、この周防小夜香ってわけだぜ」


 それが理解出来るからこそ、月都はローレライや小夜香を敵視することは断じてない。


 にも関わらず、徹底して自分が責任を被ろうとする従者としての姿勢に、月都は言葉にせずとも感心を抱いた。


「全てを忘れたいと語ったのは、何を隠そうこの俺ですよ」


 そうなのだ。そもそも月都は心を乱し、ローレライを突き飛ばした流れで彼女の住まう部屋に連れられたあの日に、現実は悪夢であり、全てを忘れれば楽になれるのではないのか云々との弱音を吐いてしまっていた。


「みんな死んではいないでしょ? ならまぁ、全然許せますし」


 ローレライが勝手に暴走したのではない。小夜香だけが片棒を担いだわけでもない。月都自身の弱音がローレライを突き動かした事実を無視して一方的に彼女らの画策を責め立てることを、幾ら女を憎んでいるとはいえど、その不誠実を月都は自らに許さなかった。


「周防先輩」


 この話は終わりだと言わんばかりに、月都は声の調子を改まったものに変えた。


「これからあなたと、ウェルテクスはどうするんです?」


 暫しの無言。


 けれど、いつまでも黙ったままではいられないと考えたようだ。風呂場の手前に置かれた脱衣場にまでたどり着いたことで、小夜香は実に重々しく口を開いた。


「まず高い可能性として見積もってたのは、当然の報復として粛清されるってとこだろう」


「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。そんなこと俺はしませんし、したいとも思えません」


「意外と寛容だな……」


「俺を何だと思ってるんですか」


 拗ねたように唇を尖らせる月都をまぁまぁと宥めつつ、小夜香は脱衣場の片隅に置かれた棚から、着替えやらバスタオルやらを取り出していく。


「次はまぁ、消えるさ」


「消える?」


 何気ない動作に挟まれたあまりにも不穏な言の葉に、月都の顔から血の気がスッと引いた。


「あたしと姫さんの計画――夢の世界でおまえさんの憎悪や妄執、記憶をまっさらにした上で真人間へと戻し、表の世界に送り出す。コレが失敗した以上は速やかに消え去るしか道はない」


 対照的に小夜香は冷静さを崩すことなく、それでいて明るい振る舞いを維持している。


「安心しろ。姫さんにはおまえのことを諦めるように、ちゃんと言って聞かせるから」


「そうじゃなくて」


 そんなことを月都は心配しているわけではない。


「このままだと、どう足掻いてもウェルテクスは死ぬってことじゃないですか」


 可愛い後輩が死の危機に瀕しているというのに、あろうことが慕っていた先輩共々どこかへと行方をくらませようとしている現実に、酷い目眩を覚えるのだ。


「嫌です。絶対に嫌だ」


 尚も言い募る。ただ嫌だと。率直に過ぎる子どもじみた月都の駄々に、小夜香は苦笑で応じた。


「だけど、どうにもならねぇ。姫さんの固有魔法をもってしても、あの方は自身の肉体の生き延びる上での欠陥と致命傷を塞ぐことは不可能なんだ」










 とりあえずは言われたままにシャワーを浴びることにする。


 温かな雨に肉体を打たれながらも、月都は悶々と悩み続けていた。


(ウェルテクスは可愛い後輩だ。死なせたくなんかない。だが、俺に人に害をなす以外の力なんて――)


 月都は魔人としての才覚に溢れている。


 しかし彼はこの力が退魔の祝福さえ超えた災厄めいたものと自嘲し、ついぞ人を救うことには向いていないと考えてもいたのだ。


(――いや、待てよ。今の俺なら……)


 けれども、ふとそこで。ある可能性に思い当たった。


「……っ!?」


 だがしかし、風呂場の外から響いて来る轟音に、月都は思わず思考を中断してしまう。


「周防先輩! 今滅茶苦茶外で大きな音が、」


 脱衣場で用意された着替えに慌てて袖を通して、外で控えているであろう小夜香と合流すべく、両者を隔てていた扉を内側から勢い良く開け放つ。


「おやおやぁ」


 そこに、一人の女教師が佇んでいた。


「どうされたのですかぁ、乙葉月都ともあろう御方がそうまでして取り乱すなどぉ、あってはならないのではぁ?」


 胡散臭い笑みがとにかく人を不愉快にさせる、スーツを着込んだ女を前にして、月都は脱力したかのごとくその場にズルズルとへたりこんだ。


「からかわないでくださいよ……全くもう」


「ふふっ。申し訳ありません。余計なことを話過ぎてしまいましたからね。肩の力が抜けるようにと、少々手の込んだジョークを打ってみました」


 床に落とした顔を上に戻すと、乙葉家分家筆頭当主桐生舞羽の姿はそこにはもうありはせず、何故かローレライの世話役を務めていた女性、サシャがコロコロと鈴の音を転がすような声で笑っていた。


「自在に姿を変えたり、自分の存在を分割して行動させる。それが周防先輩の固有魔法ですか?」


「だけじゃあねぇが、その一環ってところだな」


 月都が正答に近い結論を告げるや否や、燃えるような赤い髪をゆるく一本に編み込んだ幼女のごとき女子生徒が、いつも通りの姿、いつも通りの口調で、肩を竦めているだけであった。先程の光景はまるで夢でもあったかのような有様。


「思い返せば、ヒントはいくつかありましたもんね……」


 一番月都の記憶に根付いているのは、以前ローレライの部屋を訪れた際のことだ。


 《あれれ? お姉ちゃん、おっぱい前よりも大きくなった?》――幼児体型の小夜香よりも見るからに大人の女性のサシャの方が胸が大きく、さらには《最近はお仕事が一つ減ったみたいで。私とずっと一緒にいてくれるんだよ》――この語りから、サシャがローレライの元によくいるようになったと思しき時期は、周防小夜香の失踪時期と重なる。


 トドメは血族審判における桐生舞羽が死に際に残した示唆だ。これだけの材料が揃えば、小夜香=舞羽=サシャの図式が朧げながらも見えて来る上に、血族審判よりももっと以前、舞羽が乙葉家ではなく第三者に有利になる形でソフィアを操っておきながら、別の主が存在するかのような物言いを後々していたことにも、納得が生まれるであろう。


 どうして今まで気付かなかったのかと頭を抱えたくもなるが、おそらく乙葉家への復讐で頭が茹だっていたのだと、今になって自省する羽目になる。


「じゃあ、さっきの轟音も周防先輩のジョークとやらだったり?」


「いいや、それは違うぜ」


 芝居めいた調子で、小夜香は首を横に振った。


「喜べ、乙葉。お迎えだ」


 そうして実に楽しげに、再度響いた轟音の先、ぽっかりと屋敷に穿たれた穴を指し示した。


「ご主人様! ご無事ですか!」


「月都様……どちらにいらっしゃられるのでしょうか……」


 砂埃が晴れ、穴の向こうから現れたのは、月都にとってよく見知ったどころではない少女達。


 白兎あずさと一ノ宮蛍子が、つい今しがた行った破壊行為になど欠片も気に留めず、ただ月都の安否を案じていたのだ。

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