第14話 偽善者・嫉妬・殺意

 あずさの導きにより、悪夢の断片に触れてしまった月都は、気が付けば分かれ道の手前に立っていた。


 どちらをとっても見渡す限りの闇。先行きは甚だしく不透明。


 それでも、ローレライの優しさを受け入れ、誇りといった生きて行く上で無意味なものを折ってしまった方が、人間としては正しく、自分にとっても易しいということは既に理解出来ていた。


 屍のごとく生きるのも、女を憎み続けるのも、魔神の座を狙うのも、全てがとても疲れることなのだから。


「忘れたままで、いいだろう?」


 月都の心の弱さに漬け込むように、彼の背後から、唐突なタイミングで声が投げかけられる。


 声音こそ月都と寸分違わず同じだが、そこに月都が本来持ち得る邪悪さは欠片も介在していない。


「全ての負の感情を忘却し、復讐にも逆襲にも囚われず、健やかに何事もなく育った乙葉月都として、僕は愛しい妹達と共にあのまま生きるべきなのさ」


 クルリ、と。振り返った。そこには月都がいた。自らも月都であるにも関わらず。


「それは無責任ってもんだろ」


 あまり感情を表に出さない、ローレライの兄としての役割を全うしていた月都とは対照的に、逆襲という名の夢に憑かれた月都は、作りものめいた歪な笑顔で、相対する自分自身を無責任であるのだと批判した。


「俺は俺の人生を生きる……ささやかだけれど、とても難しい夢を叶えるためだけに巻き込んだあずさや、姉ちゃん。ルコに対してあまりにも不誠実だ」


「キミが誠実さを語るのかい?」


 二人の月都は分かれ道の前で対峙する。


 女を憎む月都と、女を憎まない月都。


 どちらも同じ人間であるというのに、経験の差異とその結果の隔たりは、度し難い程に生まれてしまっている。


「このまま悪夢から消えて、ローレライが用意してくれた夢の中に留まる。そちらの方が彼女達だけに留まらず、世界全てに良い影響を及ぼすはずだ」


「おまえも、俺が存在すら許されない怪物だとのたまうのか?」


「そうだとも。僕はもう一人の僕であるキミを、何があろうと否定しよう」


 笑みの中に剣呑な色合いが混ざる。女を憎まない月都は、それを受けても尚、怯むことはなかったのだが。


「逆襲を追い求める哀れな怪物。人であれば当たり前に働く危機管理能力さえ死滅した、生きる屍。そんなモノが生きていたところで、皆に幸せが訪れるか? 答えは否だよ」


 女を憎む月都の罪状を、女を憎まない月都は理路整然と暴き立てていく。


「キミは神になれるとうそぶいた。その上で、神になれば何者をも傷つけぬ偉大な存在になれるのだと、そんな痛い妄想を抱いている」


 荒々しく靴音をたてて、女を憎まない月都が、女を憎む月都の襟首を掴み上げた。


「ご都合主義をねだるのもいい加減にしろ。キミが魔神を下し、今よりも強大な力を得たところで、人が良くなるわけがない。女への憎悪が無に帰すはずもない。むしろ悪化するのが関の山」


 女を憎まない月都は、哀れで愚かなもう一人の自分を対象に、烈火のごとき怒りを覚えていた。


 されど彼は断じて声を激情を軸に荒げることはない。女に虐げられなかった月都は、たとえゴミのようなクズに対してであれど、可能な限り穏やかな態度を崩したくないと願う紳士であるのだ。


「キミは魔神に成り代わった際に想定出来る最悪の未来を、何とかなるだろうと切り捨てた。これが、これこそが不誠実だと呼ばずに何だと言う? 慕ってくれる彼女達をキミの身勝手とエゴに巻き込むな」


 未だブレザーの襟首を掴まれたまま、学ラン姿の月都を、月都は真っ直ぐな眼差しで見上げた。


 その瞳は、幼子のごとく爛々と輝いていた。


 煮詰められた感情は憎悪ではない。これはきっと――嫉妬だ。


「女に虐げられなかったから、女を憎んでいないから、偽善者の振る舞いが許される。うらやましい、羨ましい。あぁ! あぁ! 羨ましいなぁ! 。つーか死ねよ、クソ野郎」

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