第10話 予測不能

 冷淡な瞳でローレライは周囲を睥睨する。


 蛍子の次の獲物として、彼女の目にとまったのは、ソフィア。


「ソフィアお姉ちゃん。おねんねするんだよ」


 水の渦がうねりを上げ、ソフィアへと襲いかかった。


「はぁっ――!」


 だが、ソフィアは銃剣の刃でそれを斬り断つ。さらにはあずさも動いた。彼女は魔人としてよりも、暗殺者として動いた方がこの局面においては効果的だと判断したのだ。


 その選択は正解とも言えよう。現に気配を消したあずさの動きを、ローレライは追えてはいない。月都以上に彼女は近接戦闘を不得手としていた。


 ようやくここに来て、ローレライの肉体に幾らかの傷を刻むことに成功する。


 それでも月都に負けず劣らずの魔力量をもってして、負傷させた側から即座に肉体は再生されていくのだが。


「ちょこまかとよく動くんだよ。本当に兎さんみたい」


 蔑みすらこめた口調で、ローレライがぼやいた。


 最も口調こそのんびりとしたものではあるが、彼女は絶えず水を操り、接近戦を仕掛けるあずさに加え、後方からの援護射撃に徹するソフィアさえも終始圧倒しながら相手取っているのだが。


「このままお姉ちゃん達の消耗をゆっくりと待つのも手ではあるけれど」


 飛来した閃光を水の盾で防ぎ、あずさの手刀によって飛ばされた右腕を特に感慨もなく一秒後に再生させつつ、水の鞭で彼女を牽制するローレライの眼光が、よりいっそう鋭さを増した。


「月都お兄ちゃんをいち早く助けるためには、あまり時間を割いてはいられないもの」


 膨大な魔力が脈動。ローレライの支配する海が、荒れ狂う。


 敵対者を阻む大波の連続が、あずさ達を苦しめる。


 それでも二人は各々のやり方で、襲いかかる大波に抗っていた。


 ――が。


「っ、!!」


「ソフィアさん!?」


 ローレライ・ウェルテクスの支配する海。それは魔神に近い魔人が形作る一つの世界といっても過言ではない。


 たとえ一線級の魔人といえど、彼女達は最初から敵の手のひらの上に置かれているのに等しく、不利は明らかに過ぎた。


 僅かなうめきを残して、大波に揉まれたソフィアは、呆気なく水の渦に呑まれた。


 暫くは水の拘束から逃れようと内部で藻掻いていたものの、必死の抵抗虚しく息が出来なくなったのか、最後には動かなくなってしまった。魔導兵器や魔導兵装も先程の蛍子と同じく遅れて消滅する。


「そして、おまえも終わりなんだよ」


 最初から気付いていた。


 圧倒的な実力差に気付いていた上で、【人魚姫レヴィアタン】よりも魔人として明確に格の劣るあずさ達には、それでもローレライのフィールドで徹底抗戦するしか月都を救う道は残されていなかったのだ。


「【人魚姫レヴィアタン】は、ご主人様と同じ。固有魔法を複数所持しているのですね……」


「うん、そういうことだね」


 苦々しげにうめきながら、これまでローレライの攻撃を誰よりも回避し、凌いでいたはずのあずさが、耐えきれなくなったと言わんばかりにその場に崩れ落ちた。メイド服の裾から冷たい海水が染み渡る。


 対するローレライは、あずさだけに強くあらわにする敵意を張り詰めさせた上で、それでも質問には律儀に答えるのだ。


「水を操るのが【人魚姫の戯れ】だね。今、おまえ達の魔人としての力を弱体化させたのが、【人魚姫の祈り】」


 車椅子をゆっくりと走らせ、強烈な脱力感に苛まれ、力なくうずくまるあずさの元にまで、ローレライはたどり着いた。


「私がそうであれと願った事象を、私の魔力が許す限り、引き起こすことが出来る」


「……ご主人様の【支配者の言の葉】と、似た効果、のようで」


「速度と確実性なら月都お兄ちゃんが上なんだよ。ただし規模や応用力は私の方が勝るかな」


 おそらくローレライは蛍子を無力化した時点で、あずさとソフィア。二人の敵対者の弱体化を人知れず、呪いのように願ったのであろう。


 ただし効果は非常に遅い速度で浸透していたがために、強大な敵の対処に手いっぱいであった彼女達は、即座に異変を実感することが出来なかったようだ。


「私はね、おまえが一番嫌いなんだよ」


 童女のごとき可憐な微笑みと、濁った殺意を同居させて、ローレライが告げた。


「月都お兄ちゃんを無責任に死地へと追いやるな」


 あずさが如何なる反論を口にするよりも早く、無数に生え伸びた水の棘は、彼女の肉体を貫いた。








「ごほっ、ごほっっ!!」


 三名の魔人を殺していないとはいえ、無力化させたローレライ。


 彼女は唐突に身体をくの字に折り曲げた後、大量の血を吐き出した。


「……ほとほと嫌になるんだよ」


 とはいえ、十八までしか生きられないように実家からあらかじめ設定されていたローレライが虚弱であることは、今に始まった話ではない。


 当たり前のように湧き上がる苛立ちは一旦脇に追いやり、ローレライは意識のない彼女達の拘束に取り掛かろうとする。


 ――しかし、


「――!?」


 ローレライが咄嗟に水の盾を展開させたのは、ほとんどが直感によるものだ。


 事実、彼女は直前まで自らに攻撃が加えられんとしていたことを、正常な感覚器で察知することは出来なかったのだから。


「なぁ、何でなん? また、また、また、なぁ。どんな権利があって、ウチから大事な人を目の前で奪っていきはるん?」


 たとえ急ごしらえであれど、魔神に近しい魔人が展開した盾を、あくまで一流止まりに過ぎない彼女が、戦斧一本で力任せに押し切ろうとしていた。由々しき緊急事態である。


「予測不能。だから狂人は苦手なんだよ」


 冷ややかに言い放つと同時、盾が破壊されるよりも早く、水の刃を形成。


 ローレライは敵対者の急所に向けて、それを叩き込んだ。


「ふっ――」


 けれど、敵対者は軽やかな身のこなしで後方に退避した。先程まで重傷を負っていたとは思えないまでの俊敏さで、刃を回避してのける。


 否、彼女は平時よりも増して力がみなぎっているようにも、俯瞰的に状況を把握しようと努めるローレライには感じ取れた。


「蛍お姉ちゃん。もう一度起きるなんてびっくり。よっぽど私に痛めつけられるのが好きみたいだね」


 元より蛍子の目は笑っていないどころか、死に絶えたかのごとき様相。


 しかし今の彼女の瞳は死すら通り越した虚ろさ。それでいて、危ういまでに澄んでいる。


 まるで彼女の主人――乙葉月都のようだ。

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