第8話 ただいま、悪夢

 あの月都が一瞬で無力化された。


 さらにはあずさにソフィア、蛍子。一線級の魔人が、彼を守護するべく側で勢揃いしていたにも関わらず、だ。


「お姉ちゃん、月都お兄ちゃんをお願いするんだよ」


 車椅子に腰掛けたまま、にこやかに微笑むローレライは、固有魔法の一つも展開させていない。


「あいよ、姫さん。仰せのままに」


 原理は全くもって不明。だがしかし、道化師のごとき魔導兵装に身を包んだ幼女のような女性、周防小夜香が月都の背後をとった次の瞬間には、既に彼は意識を失っていた。


「させません!」


「させないわよ!」


 ぐったりとした月都を抱え、虚空に突如として現れた入口に潜り込もうとする小夜香を逃がすまいと、あずさとソフィアは動いた。


「白兎にグラーティア。おまえらはあたしなんかより何百倍も強いが」


 鎖と閃光が、小夜香の元に殺到する。


「この条件下であれば、あたしの方が勝っちまうんだよな」


 だが、小夜香がことも無げに指を一振りするだけで、彼女達の決死の攻撃は即座に反射されてしまう。


 自らが敵に放った攻撃を、そっくりそのまま返されたあずさとソフィア。その対処に割いた限られた時間だけで、小夜香と彼女に連れ去られた月都の姿は、部屋の中から消えてなくなっていた。


「くっ、やられた……!」


 悔しそうに歯噛みするソフィアは、改めて小夜香の蛮行を指示したであろうローレライを見据えた。


「蛍ちゃん、大丈夫ですか?」


 一方、ソフィアと同じく小夜香から人魚姫に注意を移したあずさは、らしくもなく呆然としている蛍子に声をかける。


「――えぇ、お気になさらず。わたくしは愚かな雌豚でございますが、優先順位くらいは弁えておりますので」


 先程は親しくしていた先輩の予想だにもしない登場で冷静さを欠いていたと思しき蛍子ではあったものの、今は油断なく戦斧を構えている。問題はなさそうだと、あずさは心の中で僅かな安堵を示した。


「つー君を攫うだなんて血迷った真似は、アナタの実家、ウェルテクス家の意向ってこと?」


 銃口を突きつけながら、ソフィアは剣呑な表情で詰問するのだ。


「そんな有象無象共のために動く必要性は、今の私にはもうないんだよ」


 対するローレライ。彼女は悠然とした態度で、首を横に振った。


「そろそろソフィアお姉ちゃんのところにも、連絡が来る頃なんじゃないかな」


「連絡ですって……?」


 何かの罠かとも疑ったが、ローレライのいやに自信に満ち溢れた言葉を合図に、ソフィアの携帯端末が鳴り響いた。


 私用のものでも、仕事用でさえない。


 このけたたましいアラーム音は、緊急事態にのみ使われるものだ。


「――っ!?」


 警戒はそのまま、それでもソフィアは携帯端末を素早く操作。


 そこにはグラーティア家当主たる母から、ウェルテクス家が壊滅したとの旨が端的に綴られていた。その首謀者がおそらくはウェルテクス家の最高傑作であるローレライだとも書かれている。


「ようやく潰せた」


 未だ混乱の渦中にあるソフィアに正気を取り戻させたのは、朗々と響くローレライの声音。そこには隠しきれないまでの歓喜が含まれている。


「私はね、世界のため、人類のため、家のため。そんな訳のわからない輩共を背負わされた挙げ句、黙って泡になって消えるとか、まっぴらごめんなの」


 可憐さとあどけなさをぎゅうぎゅうに詰め込んだ面持ちで、大いなる怨嗟を紡いだ。


「理由はそれだけ。それ以上でも以下でもないんだよ」


「誰しも好きで人間兵器になるわけではない……か」


 淡々と語るローレライの様子に思うところがあったのか、ソフィアは月都を攫われた怒りだけではない複雑な感情のこもった目を細める。


「ウェルテクス、アナタの境遇には一定の同情を示すことも私としてはやぶさかではない。最もアナタは意味のない憐憫を、赤の他人から求めてなんていないでしょうけれど」


「うにゅん。優しいね、ソフィアお姉ちゃんは。確かに私は、これからの目的を如何なる外的要因があろうとも覆す気はないんだよ。それでも優しくしてくれたってことは、普通に嬉しいから。だとしたらお礼を言わないとね。ありがとう」


「……どういたしまして」


 一挙一動はどこまで行っても少女性の高い、無垢なものでしかありはしない。


「感謝ついでに、つー君を返してはくれないかしら」


「それは出来ない相談なんだよ」


 けれども、本来であれば何にも執着しないはずの学園最強が、月都にだけはそうでもなかったということを、今になってソフィアは痛感する羽目になった。


「何故? これを聞くくらいは、許して欲しいものね」


「うん、お話するんだよ。えっとね、復讐までなら構わない。お兄ちゃんの怒りは正当だし、あの程度の雑魚なら、彼の身に危険は及ばないんだよ」


 ソフィアの問いかけに、まずローレライはいつもの童女めいた微笑みを不足なく維持させる。


「たけど、これ以上は駄目なんだよ」


 しかし徐々にその笑顔は凍りついていく。


「月都お兄ちゃんが魔神の座を望む限り、あらゆる危険がつきまとう」


 終いにローレライから表情や感情といった類の人間味は失われ、その先には機械めいた無機質さをたたえるのだ。


「プライドを折らないところは、素直に尊敬するんだよ。でも、誇りを抱いたまま死ぬ可能性が、生きる可能性よりも高いのならば、私は手段を選ばず月都お兄ちゃんを助けなければならない。私には、その義務と責任がある」


 それでいて吐き出す言の葉は、傷口から血を撒き散らすかのごとき悲痛な様相。


「それに……あの人はね、全てを忘れて楽になりたいという願望も秘めていた。だったら大丈夫。色々とやりようはあるんだよ」


 硬い床が、魔力を含んだ水へと形を変える。水位は恐ろしいまでの速さで増していた。


「私は月都お兄ちゃんを絶対に幸せにする。だから月都お兄ちゃんを幸せに出来ないお姉ちゃん達には、大人しく退いて欲しいかな」


 この部屋は二階。けれど、人魚姫がそうであれと願っただけで、如何なる場所であろうとも、彼女の支配する海はこの世に顕現するのだ。


「――それが答え? 分かったんだよ」


 戦闘前から圧倒的実力、その片鱗を見せつける、ローレライ。


 だとしたところで、ソフィアにあずさ、勿論蛍子も。月都に隷属する少女達は誰一人として戦意を失ってはいなかった。


 勝率は甚だしくゼロに近い。それでも、彼女らは愛しい月都を救出するため、戦うのだ。


「蹂躙してあげるんだよっっ!!」


 ローレライの高らかな宣言と共に、水で形造られた弾丸が、散弾銃のごとく室内にてばら撒かれた。

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