第6話 義理の妹は恋愛対象になり得るのか

 静寂は唐突に幕を下ろす。


「なーにボサッとしてんだ?」


「さっ、サヤさん……!?」


 周囲の賑わいとそれに伴う現実味が急激に舞い戻ったかと思いきや、いつの間にか、月都の顔を小夜香が覗き込んでいたのだ。


 彼女を見返して、そのまま前方の試着室を見やった。


 確かにその中では、ローレライが服を着替える衣擦れの音が微かにではあるものの、月都の耳に届いて来る。


「ひょっとして、お嬢の着替えシーンを想像してたとかか? いやー、澄ましたツラしとて、やっぱおまえも健全な男子高校生なんだなー、そうなんだなー」


「邪推はよしてください」


 ひとまずの冷静さを取り戻した月都は、いつものようにからかってくる小夜香を涼やかにいなす。そもそも何故、先程彼女から声をかけられるまで冷静さを欠いていたのか、その理由が今の月都には思い出せないのだが。


「え、月都お兄ちゃんは私の着替えに興味があるの?」


 と、そこで。月都とローレライを隔てていたカーテンが、勢い良く内側から開け放たれた。


「それならそうと、先に言ってくれれば良かったんだよ」


「妹の着替えに興味を示すのは変態の所業であって、少なくとも僕は違う」


 相変わらずローレライは月都という異性に対して無防備に過ぎた。


 中高共に女子校育ちで男性という存在から隔離されて来たのが原因の一つなのかもしれないと、月都は可愛い妹の将来がやや心配になってしまう。


「似合ってるぜ、お嬢」


 ブラウスとフレアスカートという組み合わせは、華やかさにはいささか欠けるのだが、されどローレライの可憐さを引き立たせるに足る上品な類のものであった。


「じーっ」


 装いを一新したローレライの姿をくまなく検分していると、彼女が物言いたげな様子であることに、遅ればせながらも月都は気が付いた。


「可愛いよ、相変わらずね」


「やったぁ!」


 なので、月都としては当然のことを言ったまでなのだが、ローレライからしてみれば、彼の言葉はその場で飛び跳ねるくらいに喜ばしいものだったようだ。







 小夜香との合流を終え、一行はショッピングモール内のレストラン街へと向かった。


 雰囲気の良さそうな喫茶店にローレライが強い興味を示し、そのままの流れで彼らはメニューを前に顔を突き合せていた。


「私はハンバーグプレートとチョコレートパフェにするんだよ」


「了解。僕はウィンナー珈琲とマルゲリータにしようかな。サヤさんはどうします?」


「……ラーメンはねぇのな」


「喫茶店にあるわけないじゃありませんか」


 神妙かつ真剣な面持ちで小夜香が何を悩んでいるのかと声をかけた月都は、彼女のラーメンにかける情熱を改めて目の当たりにし、やれやれと肩を竦めるのだ。


「仕方ねぇ。あたしはシーフードのスープパスタにするとしよう。一番ラーメンに近いと言える」


 とりあえずの妥協案を見つけたようで、小夜香は自分の注文を決めると同時、店員を呼び付け、滞りなく皆の注文を終えた。


「ごめんなさい、お姉ちゃん。私がこのお店に入りたいって言ったから。ラーメン屋さんにすればよかったんだよ」


 眉をハの字にしたローレライがそう言って、注文を終えた小夜香を上目遣いに見上げた。


「いいんだよ、お嬢。お嬢が入りたい店が、あたしの入りたい店も同然さ」


 けれど、小夜香は穏やかに微笑を浮かべたのみならず、申し訳なさそうな態度を示すローレライの頭を、気にするなとばかりに優しく撫でる。


「サヤさんは相変わらず、ローレライには甘いですねー」


「今更、何当たり前のこと言ってんだよ」


 一切恥じらう様子もなく、小夜香は自分がローレライを溺愛している旨を言い切った。







「――でさ、あの先生。嫁さんが昔の教え子らしいぜ」


「え……、意外ですね。真面目そうな方なので、そういうタブーを侵しているとは思いませんでした」


「タブー? 別にいいだろ。在学中ならともかく、実際に手ぇ出したのは卒業してからみたいだし。言い寄ったのは嫁さん側だぞ」


 注文が全てテーブルに届いたことで、主に小夜香が話題を提供し、月都が聞き手に回り、さらに二人の聞き手にローレライが回るという、至っていつも通りの流れで会話は盛り上がるのだ。


「それでも……線引きはキッチリしていきたい性分なので」


 生真面目に月都は言い切った。


「じゃあ、お嬢は? 教師と教え子が駄目ってんなら、義理の兄と妹はどうなる?」


「どうしてそこでローレライを引き合いに出すんです?」


 口ではこう言ってはいるものの、本当は分かっていた。ローレライが月都に対してただの兄以上の好意を抱いていること。さらに彼女の想いを小夜香が後押ししようとしていることも。


「月都お兄ちゃんは、私と結婚したくないんだよ?」


「僕とローレライはあくまで兄妹じゃないか」


「むー」


 だが、月都にとってローレライは愛すべき家族ではあるものの、そういった色恋の対象からは程遠くなってしまったのだ。


 そう、例えばかつて許嫁であった姉のように――、


(あ……ね?)


 そこで月都の思考は、一瞬スパークする。


 考えてはならない領域に足を踏み入れ、何らかの強制力によって拒まれてしまったかのごとき不可解極まりない違和感が、微かに芽生えた。


「お嬢が拗ねちまったぞ、ほら月都。早く機嫌をとってやれ」


「だから、これ以上僕にどうしろと……」


 しかし小夜香のよく馴染んだ顔を見た途端、月都の思考は日常のものに回帰していく。

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