第5話 悪夢からの使者
結論から言うと、ローレライは三日後には熱も下がり元気になった。
「月都お兄ちゃん! 早く早く!」
「そんなにはしゃいでたら、転んでしまうかもしれないよ?」
「月都お兄ちゃんとお出かけなんだよ。これがはしゃがずにいられる?」
その記念ということで、風邪が治ったその週の日曜日に、月都はローレライと連れ立って、自宅から三駅程離れた場所に位置するショッピングモールへと遊びに来ていたのだ。
「お昼からはお姉ちゃんとも一緒だしね」
小夜香も途中から合流するとのことで、彼女に懐いているローレライのテンションは留まることを知らなかった。
「とりあえず、僕はローレライの行きたいところについていくけれど」
飛び跳ねるかのように先行するローレライを微笑ましげに眺めながら、制服の学ランではなくジャケットにジーンズといった私服姿の月都が声をかける。
「じゃあ下着――」
「――サヤさんが来てからにしなさい」
されど、屈託のない笑顔で言い放とうとした妹の問題発言に、月都は慌てて待ったをかけた。
「試着してくるんだよ!」
やはり月都も一般男子高校生。
義理の妹とはいえ、歳の近い女子と連れ立って下着のショップに入るなど、絶対に避けたいのだ。
「いってらっしゃい。待ってるよ」
ゆえに現在二人は、ローレライの冬服を見つけるべく、セレクトショップに入店していた。
「可愛くなって、月都お兄ちゃんを惚れさせちゃうんだよ!」
ハンガーにかけられた服を抱き締め、意気揚々と試着室に入ろうとする、ローレライ。
「今も充分大好きだから、これ以上、好感度は上がりようがないんじゃないかな」
「――えへへ。真正面から言われると、ドキッとしちゃうね」
月都からの不意討ちに、思わずといった様子で照れた表情を形作る。
「ご主人様」
時間が止まった気がした。
賑やかな喧騒が、今だけ不自然に静止している。試着室の中のローレライも、まるでそこにいないかのような徹底された静寂。
その中で、自分だけが何事もなく動ける違和感に囚われつつ、だがしかし月都は衝動的に背後を振り向いた。
「あの……人違いだと思うのですが……」
ご主人様。現代において中々聞きようがない呼称で己を呼んだのは、自分とそう年頃の変わらない少女で。
「月都様」
「……っ!?」
月都は人違いではないのかと、否、そうであってくれと望んだものの、少女は真っ直ぐな眼差しで月都を見据え、彼の名を言い当てた。初対面であるにも関わらず。
「誰です? もしかして、レイヤーさん?」
少女はコスプレとしか考えられないような奇天烈な外見をしていた。
長い銀色の髪に、頭のてっぺんから生えた兎耳。電池で動いているのか、ふよふよとソレは一定のタイミングで揺れ動くのだ。
さらにそこへメイド服を組み合わせようものであれば、少女の非凡と表現しても差し支えない愛らしい容姿を加味し、月都が少女をコスプレイヤーと判断してしまうのも無理からぬことなのだ。
「答えてください」
少女は全くの無表情で、月都の疑問を解消することもなく、強引に質問をぶつけた。
「今、あなたは幸せですか?」
「幸せ……、しあ、わせ」
何故だろうか。
月都は頭の中がシェイクされるかのごとき、乱暴な感覚を味わっていた。
「……確かに僕を施設から引き取ってくれた父と母は、二年前に死んでしまいました。それは今も昔も、とても悲しいことです」
得体も素性も、何一つたりとも知れない少女に、ここまでプライベートなことを話す義理など本来ありはしない。
「だけど、僕にはローレライがいます。彼女は僕の家族。たとえ代わり映えのしない、平凡な日常ではあろうとも」
しかし月都には少女の真摯な視線から逃げることが許されないと、そんな強迫観念を自然と抱いてもいた。
「毎日が穏やかで、平和で、素晴らしい日々です」
「あぁ」
平静からは程遠いとはいえ、自らの心内を何とか言い切った、月都。
彼が沈黙を始めたのと入れ替わるように、少女はしみじみと頷いた。
「分かり切っていたことではありますが、あずさは汚らわしい、それでいて罪深い人間ですね。こんな誇りを捨てたご主人様を見たくなかったと、嘆いてしまったのですから」
あずさ? と、少女の一人称に虚をつかれたものの、それが彼女の名前であることを月都は遅れて把握する。
「ローレライ・ウェルテクスを中心とした、歪な夢。だとしたところで、ご主人様は女への憎しみを忘れ、健やかに生きておられます。喜ばなければ、ならないのに」
少女――あずさが語る内容は、月都にとって理解出来ない類のものだ。
「ここに立っているのが、もしもソフィアさんであれば、ご主人様のためを想い、黙って速やかに消えたのかもしれませんね。逆に、蛍ちゃんだったらどうなっていたのか分からないのが怖いところです。彼女がご主人様のために尽くす気持ちこそ本物ですが、あの信仰は何もかもを焼き尽くしかねない」
にも関わらず、あずさの口から発せられる言葉の一つ一つに、言い様のない懐かしさを覚えてしまうのだ。
「あずさは、きっと彼女達の中間なのかと」
あまりにも、矛盾。月都はやはり混乱しているらしい。
「ゆえにご主人様の心に一つ、楔を残して行きたいと思います」
あずさは月都に一歩、近寄った。
月都は慌てて身を引いたが、眼前の少女の寂しげな笑みに、胸が裂けそうな痛みを感じた。
「これからあなたは悪夢を見る。悪夢と対峙して、あそこに戻りたくないと願うのならば、それでいいでしょう。ここは苦痛の排除された、優しい世界。ご主人様が留まったところで、責める資格なんてそもそも罪人にありはしないのです」
言いたいことは全て出し尽くしたとでもいうのか、あずさはクルリと踵を返して、音のない世界を突き進み始める。
「ご主人様に隷属すべきメイドの分際で、過ぎた真似をしてしまいました」
その背中にかける正解を、生憎とローレライの兄として生きる月都は持ち合わせてはいなかった。
「やはりあずさは、愛ではない。恋をご主人様にしているのですね――本当に本当に本当に! 愚かな女」
月都からは彼女の背中しか見えていないので、どんな顔をしているのかは、想像に委ねられることとなる。
「それでも尚、愛しているのですよ。あなたのことを。狂おしいくらいに」
けれども、あずさという少女は自分自身を嘲笑し、嫌悪している。
何となくではあるものの、月都にはそのように思えてならなかったのだ。
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