第4話 看病

 ローレライは小さな頃から、何かと病気がちな体質である。


 至って普通の日常を過ごしているだけで、いとも簡単に風邪を引いてしまうことさえままあった。最も大病をよく患っていた幼少期よりは、比較的マシにはなったのだが。


「大丈夫かい? ローレライ」


「……いつものことなんだよ」


 今日は平日。共学の公立高校に通う月都のみならず、私立の女子校に通うローレライも、当然授業はあるはずなのだ。


「ごめんね、月都お兄ちゃん。私に合わせて、学校を早退しちゃったんでしょ?」


「またクラスの友達にでも授業のノートを見せてもらうから、問題ないさ」


 されどローレライが熱を出してしまったという旨の連絡を、彼女の担任から受けた月都は、学校を早退してまで、妹の元へと即座に駆けつけたのだ。


「食欲は?」


「ちょっとくらいなら」


 今はパジャマ姿のローレライが、ソファの上に横たわっている。


「何か食べやすいものを作るから少し待ってて。その後に、さっき病院でもらった薬を飲もう」


 月都は着替えもそこそこに、学ランの上からエプロンを着用。炊飯器の中身を覗き込んでいた。


「本当に、本当に――ありがとうなんだよ」


 一見すると傍若無人な振る舞いが目立つローレライではあるものの、彼女は自分の看病のため颯爽と駆け付けてくれた月都に、心の底から感謝の念を抱いていたのだ。








「はい、出来上がり」


 両親がいなくなって久しいためか、月都の家事能力は平均以上には高い。


 彼は手際よく土鍋の中で湯気をたてる卵雑炊を作り上げた。梅干しなどをいれると、味にアクセントがついて尚美味しいと月都は考えていたのだが、生憎ローレライは酸っぱいものをあまり好んではいなかった。


「食べさせてあげる。ほら、あーんして」


 レンゲですくった熱々の雑炊を、何度か空中で縦に振ることで冷ました後、熱が高いせいで、グッタリとした様子を見せるローレライの口元に近付けた。


「はむ」


 何の躊躇いもなく、さもそれが当たり前であるかのように、ローレライは差し出された雑炊を口にした。


「体力戻すためにも、まだ昼ではあるけれど、寝た方がいいだろうね」


 何度かその動作を繰り返し、ついに土鍋の中は空っぽになる。


 病院で処方された薬を飲み終えたローレライは、月都の言葉に異論はないらしく、コクリと首を頷かせるのだ。


「一人じゃ寂しいから、眠るまで一緒にいて欲しいんだよ」


 しかし、寝室に入るや否や、ローレライは甘えるようにそんな言葉を口にした。


「分かった」


 もう高校一年生なんだからと、こういった場面において、月都が妹を突き放すことは断じてない。


 血の繋がりがないとはいえ、ローレライは月都に残された唯一の家族であるのだから。彼女のことを大切に思わないわけがなかった。


「……月都お兄ちゃん」


 布団にくるまり、眠る体勢に入ったローレライが、顔だけを上げて月都を見やる。


「うん?」


 妹のどこか改まった態度を不思議に感じないといえば嘘になるが、さりとて病床の彼女に対して、問いただす程のことではなかったのもまた事実。


「今、幸せ?」


 ローレライの端的な問いかけに、月都は思わず口元を緩めながら答えた。


「ローレライが元気になってくれれば、僕はもっと幸せかな」


「それは申し訳ないんだよ。体質だから、仕方ないこととはいえ」


 たとえ病弱が本人の意に沿わない生来のものであれど、妹の元気な姿を常に見ていたいという兄としての心を、偽るわけにはいかなかった。


「だけど……さ。可愛い妹と暮らせて、毎日が平和で、これ以上ないくらいに、幸せだと思うよ」


 それでも、月都は現状を幸福だと断言した。


 憎むことなく、恨むことなく、怯えることもないままに、愛しい者達と穏やかですこやかな日々を暮らす。これが不服であるなどと答える者は、余程根性がねじ曲がっているのだろうと月都は考えるのだ。


 その上で、もしもそんな男がいるのならば、絶対に仲良くしたくないとまで、結論は導き出された。


「あなたが幸せと、そう言ってくれて――良かった」


 熱でぼんやりとしている、ローレライの眼。


「心や身体を擦り減らさず、無謀な賭けをしないで済むのであれば、私はそれでいい」


 ソレが、確固たる安堵によって満たされていく。


「あんなおぞましい悪夢に、二度と帰させやしないんだよ」


「ローレライ?」


 決意じみた独り言。具体性は皆無。ローレライの語る内容を測りかねた月都は、首を傾げるしかなかった。


 だが、ローレライは核心を語らない。


 彼女は曖昧に微笑んでいるだけだ。その様は、いっそ儚げですらある。


「早く元気になれるように、頑張るんだよ」


 そう言い残して、薬が効いてきたというのか、ローレライはすんなりと眠りについてしまった。


「……おやすみ、ローレライ」


 ゆえに違和感は、膨れ上がるよりも早く順当に霧散。


 月都は兄として、スヤスヤと寝息をたて始める妹を、慈愛に満ちた眼差しで見守っていた。

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