第3話 ブラコン義妹は兄とお風呂に入りたい

「それじゃ、また明日」


 月都とローレライ、さらには小夜香を交えた夕食が終わり、時刻は午後八時頃に差し掛かっていた。


「バイバイなんだよ。お姉ちゃん」


「見送りありがとな、お嬢。今日は冷えるらしいから。あったかくして寝るんだぞ」


「うん!」


 流石にお暇しなければ明日に支障が出るとのことで、帰宅する小夜香を玄関まで見送った後、パタパタとローレライはリビングに舞い戻るのだ。


 水色の髪をボブカットに切り揃えた、可憐な美少女。言わずもがなのことではあるが、彼女は月都の義妹に他ならない。


 高校一年生相当に成熟した身体付きをしているものの、その態度はどこか幼さを残している。


「ローレライ。宿題は終わった?」


 テレビのリモコンを手に取ろうとしたローレライを牽制するように、月都はそれを先んじてバッと上に掲げる。


 百七十五センチはある月都がそんなことをしてしまえば、百六十センチには僅かに届かないローレライから手を出すことは、ほぼほぼ不可能となってしまう。


「……終わったんだよ」


 思いっきり目を泳がせながら、ローレライは兄の追及にかろうじて答える。


「嘘だね」


 しかし、当然のごとく月都はそんなローレライの見え透いた嘘を暴いた。


「手伝ってあげる。ほら、僕に見せてご覧」


「うにゅー……」


 渋々といった様相で、リビングに転がっていた学生鞄から、大量のプリント類を取り出した。


「勉強してると、頭がぷすぷすして来ない?」


「僕は別に」


「お兄ちゃんは頭がいいから、この気持ちは分からないだろうね」


 不満と文句タラタラの妹に、月都は仕方ないとばかりに肩を竦めた。


「終わったら、プリン食べてもいいよ」


「プリン!?」


 椅子に座っていたローレライの身体が飛び上がり、嫌いな勉強で虚ろになっていた目が、途端に輝きを取り戻す。


「夜の甘い物は罪の味なんだよ」


 ワクワクとした面持ちのローレライ。彼女の機嫌を損ねぬ内にと、月都は彼女の隣で的確にヒントを出しながら、プリントの空白欄を埋めるスピードを速めさせるのだ。






「終わった……」


 疲れ切ったローレライが、テーブルの上で突っ伏している。


「お疲れ様。偉い偉い」


 温かいほうじ茶と共に月都が運んで来たプリンを前に、ようやく彼女は失われた生気を取り戻す。


「月都お兄ちゃん、私頑張ったんだよ。テレビを見てもバチは当たらないよね」


「はい、どうぞ」


 宿題をやり遂げたご褒美として、月都はこれまで確保していたリモコンを、ものの数十秒でプリンを食べ終えたローレライに差し出した。


 やったー、と。無邪気にはしゃぎながら、リモコンを操作するローレライであった――が。


「ひゃうっ!?」


 文庫本型のミステリー小説を開こうとしていた月都は、妹の悲鳴に思わず顔を上げた。


 まずは震えるローレライの姿が目に入り、そして次に彼が目にしたのは、髪の長い女の幽霊が夜道で人間を襲う映像で。


「そっか。ローレライはホラーが苦手だもんね」


 完全に怯えきってしまったローレライの背中を、そう言って月都は優しく擦るのだ。


「何が楽しくてみんな怖いのを見たがるんだよ。正直、頭がおかしいとしか思えないの」


「あはは」


「笑い事じゃないんだよ」


「いや? 僕の妹はやっぱり可愛いなって、思っただけさ」


 月都の発した言葉に、ローレライは頬を赤らめ、何も言わなくなってしまう。


 自分とローレライは、たとえ血の繋がりがなかったとしても、あくまで仲の良い兄妹でしかありはしない。


 だからこそ、これ以上は踏み込んではならないのだと、月都は何とか場の空気を一新させる手段を摸索。


「ほら、こっちのチャンネルは子猫特集をしてるみたい」


「ねこー!!」


 苦し紛れであったとはいえ、ホラー映画からチャンネルを変えてみれば、タイミング良くローレライの好みそうな、ほんわか系の動物番組が放送されていた。


 先程までの神妙な雰囲気を投げ捨て、食い入るように画面を見つめるローレライを横目に、月都は読書に没頭していく。







 高校生といえど、そろそろ就寝しなければならないとのことで、月都は風呂の準備を始めた。


 基本的にこの家ではローレライ、月都の順に入浴することになっているので、彼はリビングで明日の予習をしながら、妹との交代を待つはずであったものの、


「月都お兄ちゃん」


「――わっ」


 まだ風呂上がりには早いタイミングで、ローレライがひょっこりと、扉の向こう側から顔を覗かせた。


「どうしたのさ?」


「さっきの映画のワンシーンが怖くて、怖くて……。私と一緒にお風呂に入って欲しいの」


「いやいやいやいやいやいや」


 モジモジとしているようで、実のところ確固たる意志を滲ませた口調をもって、ローレライはまさかの要求を述べるのだ。


「ローレライ、君は今年いくつになった?」


「十六なんだよ」


「僕は十七。幾ら兄妹とはいえど、思春期の少年少女が一緒にお風呂に入るだなんて、不健全にも程がある」


「じゃあ、私がスク水を着てたら大丈夫なんじゃないかな? お礼にお背中も流すんだよ」


「何をもって大丈夫だと判断したのか、小一時間程、じっくり話し合いたいところだね……」


「だって男の人はスク水が好きだって、小耳に挟んだから」


「誰だよそんなふざけたこと言った奴!!」


 温厚と周囲から称される月都にしては、珍しく声を荒げてしまった。


「……とにかく、駄目なものは駄目」


 そのことに若干のバツの悪さを覚えながらも、思春期の男女同士で共に風呂に入ってはならないという、至って当たり前の常識を覆すことはない。


「もう子どもじゃないんだから。一人で入りなさい」


「ヤダヤダヤダヤダ! 月都お兄ちゃんとお風呂入るんだもん!」


 頑なにも過ぎる月都の主張に焦れたのか、制服姿のまま、ローレライは床に転がって地団駄を踏み始める。


「こら、パンツ見えてるぞ」


「お兄ちゃんにならいくらだって見せるんだよ!」


 ヤケになったかのような物言いで言い返す、ローレライ。


「仕方ないなぁ……」


 明日も学校だ。天真爛漫な振る舞いではあるにしても、妹は決して身体が強い方ではなかった。むしろ病弱といっても良かろう。ここで時間を余計にロスすることで、睡眠時間が不足するような事態は、なるべく避けなければなるまい。






『お兄ちゃーん。聞こえてるー?』


「聞こえてるし、ちゃんとここにいるから。心配しないでおくれよ」


 よって月都は妥協案を提示し、ローレライもそれを受け入れる。


『ふんふふーん。いいお湯なんだよー』


 勿論ローレライと共に入浴するなど、常識と良識を重んじる月都にとっては、ご法度どころの騒ぎではない。


 だがしかし、背を向けた上で、扉越しにローレライの様子を見守るくらいであれば、ギリギリセーフと判断を下した。


『私ね、今からお胸の辺りを洗うんだよ。ちゃんと水音とか諸々を聞いててね、月都お兄ちゃん?』


「あぁ……もう……。年頃の乙女ならもう少し慎みを持ったらどうだい? そんなことばっかりしていたら、嫁の貰い手が――」


 愛すべき妹の変態じみた発言に頭を抱える、月都。


「――月都お兄ちゃんが私のこと、もらってくれるでしょ?」


 彼の兄としての苦悩に満ち満ちた言葉に被せるかのように、ローレライの口からブラコンを通り越した発言が飛び出てしまう。


「ね?」


 さらに現状はより最悪かつ、深刻である。


 何せ月都が背を向けていたはずの扉が開いたかと思いきや、一糸纏わぬ全裸の妹が手を後ろに組んで、愛らしく微笑んでいたのだから。


「……」


 暫くは呆気にとられ、妹の女性的魅力に溢れた滑らかな裸体と、そこから滴り落ちる水滴を交互に見つめていた。


「ローレライ!!」


「わーい。ごめんなさいなんだよー」


 けれども、何とか我に返った月都。


 彼は半ば強引に風呂場へと、ローレライを押し込んだ。

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