第四部 ローレライ・ウェルテクス編

第1話 ラブコメの波動

 一世一代の告白――その予告を終えた次の日の朝。


 ソフィアと蛍子を交えて、リビングで月都とあずさは、一見するといつもと変わらぬ様子で朝食をとっていた。


 おもむろに月都は目玉焼きを食べようと考え、食卓に並べられた調味料を見回す。


 今日の気分は塩とのことで、真ん中に配置された小瓶に手を伸ばすと、


「……あ」


「え、」


 柔らかな感触を覚えさせる手と自分の手がピタリと触れ合ってしまった。


 目線を上げると、そこにはキョトンとした表情のあずさが、月都を見つめていた。


 しばらくは互いに硬直していたものの、あずさは途端に顔を真っ赤にさせたのみならず、焦りをあらわにする。


「お先にどうぞなのです! ご主人様!」


「いやいや、おまえの方が早かったろ。先に使ってくれ」


「あうあうあうあう……っ」


 対する月都も、あずさ程に混乱していないにせよ、妙な気恥ずかしさがそこにはあったのだ。


 今まではこんなイベントが起こったところで、ロクに気にして来なかったにも関わらず。


「ラブコメの波動でございますね」


「全くもう。朝から見せつけちゃってくれて」


 からかうような調子で、朝食の席に座る蛍子とソフィアがそれぞれ食事を進めながらも、そう言った。


「つー君、結婚式の親族代表スピーチは私に任せて頂戴」


「気が早過ぎる!?」


 月都の悲鳴にも似た嘆きを聞き流しつつ、イギリス人とは思えないまでの綺麗な箸の使い方で、ソフィアは秋刀魚の身を口に入れた。


「それでは、あずさちゃんの友人代表スピーチには、わたくしがかけつけましょうとも」


 目玉焼きに醤油をかけている蛍子は、いつも通りのニコニコ笑顔で、あずさと月都を交互に眺めていた。


「月都様とあずさちゃんへの想いの丈を、熱く、激しく。語らせて頂きますので!」


「……蛍ちゃん。予定は未定とはいえ、もしも式を挙げた場合、あなたのスピーチはちょっと遠慮してもらってもいいですか?」


「あらあら、まぁまぁ。水臭いことをおっしゃらないでくださいまし」


 多少の変化こそ見受けられたが、基本的には平時と同じく、朝食自体は和やかに進む。


「さて、血族審判が終わり、乙葉家は滅びた。現状、つー君を邪魔する者は、裏の世界においてほとんどいなくなったと言っても過言ではないわ」


 お団子頭に着物とエプロンといった、和風メイドスタイルの蛍子が熟練の女中のごとく颯爽と後片付けに入り、食卓に残った三人は、さしあたっての問題を整理する段階に入るのだ。


「ただし一つだけ厄介な問題が残っている」


「ウェルテクス家……か」


「えぇ、どうにもかの家はつー君に興味があるらしく。グラーティア家に彼と面会をさせて欲しいという仲介の要請が入ったの。血族審判が終わった直後に」


 狙いすましたかのようなタイミング。


 しかし月都は長らく乙葉家に狙われていた身の上だ。夕陽がいなくなったことで弱体化したとはいえ、乙葉家の過去の栄光はあまりにも大き過ぎた。


 今まではいらぬ面倒を起こさぬよう、直接的なアクションに踏み切るのを、ウェルテクス家は控えていたのかもしれない。


「ウェルテクス家は一族総出で人体実験と自己改造を繰り返しています。かの序列一位【人魚姫レヴィアタン】はその中でも最高傑作だと有名です。彼女達が生まれながらに特別な存在であられるご主人様を欲するのは、当然でしょう」


 ウェルテクス家は家格でいえば、乙葉、一ノ宮、グラーティアの下に位置していた。


 だが、なりふり構わぬ自己改造を続けた結果、安定性や数こそ他家よりも劣るものの、個々の戦力においてはグラーティアや一ノ宮、乙葉家さえ上回りつつあったのだ。


「噂によると、ローレライの他にも姉妹はいたみたいよ。にも関わらず、あの家は一人娘だと公表している。どうせ実験に耐えきれずに死んだか、失敗作として破棄されたに違いないわ。本当、胸糞の悪い話」


「ウェルテクスに、姉妹がいたのか……」


 月都はローレライの姿を思い浮かべる。


 あどけない童女めいた笑顔が、頭の中を過ぎって、消えた。


「ご主人様はローレライ・ウェルテクスをも引き入れるおつもりなので?」


「あぁ、ルコや姉ちゃんと同じように、【絶対服従】を使って首輪をかけるつもりさ」


 あずさの心配げな眼差しを受け、苦笑混じりに月都は答えるのだ。


「ローレライ・ウェルテクスは、おそらく魔神に次ぐ強敵よ。生け捕りの勝算はあるのかしら」


「やれる……というか、やるしかないだろう」


 こちらは意図して表情を引き締めたソフィアが鋭い眼差しで伺いをたてるも、月都としては前に進むしかありはせず、ただ頷くしかなかった。


 月都の心境と事情を誰よりも理解しているあずさとソフィアは、そこで一旦質問を打ち切った。


 すると、タイミングを見計らったかのごとく、玄関の呼び鈴が鳴らされるのだ。


 皿洗いをしていた蛍子が慌てて手を拭いて、それでも淑やかさを崩すことなく背筋を伸ばし、玄関に向かう。


 扉の向こう側の映像を確認した直後、蛍子のたおやかな笑顔が、あからさまなまでに強張る。


「ルコ、誰だった?」


 おそるおそるといった調子で、蛍子が答えた。


「ローレライ・ウェルテクスです」


 告げられた名に、一同の間で空気が瞬時に張り詰められていく。


「……どういうこと?」


「居留守を使うわけにもいかないですよね……」


 ソフィアとあずさは一斉に椅子から立ち上がり、ローレライの思惑や対処について思考していくも、彼女個人とあまり親しくないがゆえ圧倒的に情報が不足しているようだ。


「そういや、血族審判の後にまた遊ぼう的な約束をしたことがあったんだ」


 唯一、この中でローレライと親交があるのは月都くらいのもの。


「だから、寮まで来た……のかも?」


 けれど、その月都も困惑を隠し切れてはいないのだが。


「絶対にそれだけじゃないでしょ」


「だよなー……」


 頭が痛いと言わんばかりにソフィアは眉間に手を当て、それを見た月都が力なく笑う。


 血族審判の直後に、唐突な学園最強の来訪。


 この問題への対応で月都達は揺れに揺れる。


「どうされますか?」


 蛍子の問いかけからたっぷり十秒以上を要した上で、ようやく月都は腹を括った。


「開けよう。各自警戒体勢で」


「承りました」


「了解」


「ご主人様はあずさの後ろに」


 蛍子は扉を開ける体勢に入り、ソフィアは相手の出方を探るように神経を研ぎ澄ませ、あずさは月都を背後に庇った。


 そして、扉は開かれる。


「月都お兄ちゃん、おはようなんだよ」


 その先には当然のごとく、車椅子に腰をかけた少女が、相変わらず顔色の悪い様で佇むのだ。


「おはよう、ウェルテクス。朝からこんな辺鄙な場所に来るなんて、いったいどうしたんだ?」


 水色の髪をショートボブに切り揃え、到底人間のものとは思えぬ長い耳の目立つ、童女めいた少女。


 最もあどけないのは立ち振る舞いに限った話。極東魔導女学園の制服であるブレザーの上からでも、高校一年生相当の胸の膨らみは見受けられる。


「それはね」


 月都に対する好意だけを煮詰めたであろう、可憐な微笑みを浮かべたローレライは――宣告した。


「月都お兄ちゃんを助けに来たんだよ」


 ローレライはともかく、月都達にとっては全くもって意味不明な言葉が紡がれると共に、


「――悪いな、乙葉。姫さんがおまえをご所望だ」


 トン、と。何の前触れもなく、月都の背中が優しく押された。


 耳を打つのは、吸血鬼事件の直後、入院先の医療施設から行方をくらませたとされる周防小夜香の声。


 それだけを認識した直後、月都の瞼は何故だか重くなり、視界は揺らぐ。終いには意識さえも断絶した。

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