第34話 告白を予告

 姉の優しさに触れ、月都はとうとう吹っ切れた。


 決意に満ちた面持ちで自室に戻ると、ベランダに繋がる窓が開け放たれている。


 風にたなびくカーテンを潜った先に、長い銀髪のてっぺんから兎耳を生やしたメイド服姿の愛らしい少女が、夜空を見上げていた。


「あずさ、起きてたのか」


「――ご主人様、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ないのです。あずさはもう、大丈夫ですから」


 月都の呼びかけに、あずさは慌てて振り返る。


 先程まで酔い潰れていたのが嘘であるかのように、彼女の口振りは至極明朗であったのだ。


「その……やっぱり、深酒した原因は、彼女についてだよな」


「……っ!!」


 されどあずさの可憐な表情に、微かな憂いが含まれていることを月都は見逃さなかった。


「俺がもう少し寛容で、心に余裕のある、器の大きな男だったら、こうはならなかったかもしれない――ごめんな」


 猫の側から敵意をぶつけられたことで、即座に応戦してしまった、月都。


 だが、今になって思えば、猫を名乗る暗殺者の少女は、あずさを奪った月都を敵視していただけであり、男に対する憎悪はさして持ち合わせてはいなかったことが分かるのだ。


 同じ女を好きになった者同士、分かり合える未来もあったのかもしれない。


 そんな可能性に思いを馳せる。ただしその可能性を壊したのは、他ならぬ月都自身の弱さであることを彼は己に言い聞かせた。


「ご主人様が謝られる必要など何もありません」


 思いがけない言葉だったのだろう。


「あくまでこれはあずさと猫の問題。確かにあずさは彼女を憎んでいるわけではなく、後輩として、教え子として好いてはいましたが、所詮暗殺者同士。敵対すれば、殺し合うまでです」


 意表を突かれたかのような面持ちを見せるあずさであったが、すぐ様彼女は湧き上がった生々しい感情を押し潰す。


「――あずさ」


 全ては月都に心理的負担を与えさせないためのもの。


「金輪際、こんなややこしいことにしないためにも、自分の気持ちは偽らない方がいいかもしれないって思った。俺は夢を絶対に叶えるけれど、万が一も考えておきたいしな」


 間近であずさの気遣いを改めて受け取り、月都は彼女との関係をなあなあにすることをやめた。


「何よりも、姉ちゃんが背中を押してくれた。不誠実にも程があるけれど、俺は言うことにするよ」


 背中に温かなナニカが触れた気がした。


 姉は隣の部屋でシャワーでも浴びているはずだが、彼女の励ましは強く月都の心に刻まれているらしい。


「あずさには俺の恋人になって欲しい。その告白を俺は魔神を倒し、アレに成り代わった後に言うつもりだ」


 そうして発したのは、告白の予告。


「今の俺はとても、弱い。他者の気持ちを慮ることが難し過ぎる。こんな奴が好きな女性に愛を囁くなんて、まず間違っているだろうぜ」


 だからこそ、心配してくれたローレライを突き飛ばすなんて蛮行に手を染めてしまった。


 今の月都は到底、愛を語る資格などない。


「だから、正式なのは俺が神になって、裏の世界への逆襲を果たし、女に対する憎悪を無くせた、その時さ」


 ゆえに決意した。否、これまでも掲げていた決意に、条件を上乗せしたと言った方がより正確か。


 皆の愛や献身に相応しい男になりたいと、復讐を終えた月都は強く願ったのだ。夢想で終わらせず、現実にしようと誓った上で。


「ちょっと待ってください!」


 あずさはどうやら頭がパンクしているらしく、冷静さを著しく欠いている状態であった。


「ご主人様はソフィアさんと婚約されていたのではありませんか!?」


「もういいって、姉ちゃんが言ってくれた」


「あぁ……そんな、あの人は」


 優し過ぎます――そう呟いたあずさの目は、納得と後ろめたさが混在している。


「それに、あずさはご主人様にとって、二番目の女でしょう?」


「そうだけども」


 我ながら酷い物の言い様だとは思う月都ではあるが、否定は出来なかった。


 ソフィアが月都にとっての一番であることは、最早覆しようがないのだから。


 ――が、


「初恋は愛に変わったんだ。姉ちゃんは俺の家族で、そういう相手としては見れなくなってしまった」


 愛だ。だから恋とはまた異なる。


「今、そしてこの先も。恋をしているのは、男女の仲として結ばれたいと願っているのは、おまえだよ――あずさ」


「蛍ちゃんは? どうするんです? 彼女はご主人様に信仰心にも似た感情を抱いていますよ」


 矢継ぎ早にあずさは疑問を並べたてる。彼女が混乱していることは、その様子だけで否が応でも伝わって来るのだ。


「ルコは他の誰よりも気の合う大切な友人だ。女性として魅力的とも思うが、お互いが似過ぎているがゆえに、それ以上にはたぶんなれねぇ」


 そこで、あずさは完全に沈黙した。苦し紛れの言葉は尽きてしまったようだ。


「おまえが昔のことを気に病んで、気を遣ってくれているのは分かる。何を隠そう、俺はたっぷりとそれに依存させてもらってるわけだからな」


 月都は心の中のありったけを吐き出したことで、どこか清々しい気分のまま、結論に入る。


「みんなの首輪を外せて、今よりもマシになった俺を、俺は目指したい。復讐は終わり。逆襲にこれ以上の犠牲は無しだ。母さんのためにも、おまえのためにも、姉ちゃんやルコ……みんなのためにも、必要最小限の踏み台でのし上がることを、改めてここに誓うよ」








 先程までは驚愕や焦燥、あるいは戸惑いが勝るあずさではあったものの、徐々に実感が湧いて来たのか、一旦という前置きがつけられるにせよ、冷静さが取り戻されつつあったのだ。


「正式なものは後……とのことですが」


 おもむろにあずさは語る。


「所感を告げるくらいであれば、許されますよね?」


「おうともさ」


「嬉しいんですよ」


 月都が促し、あずさはキッパリと言い放つ。


「この感情は誰のものでもありません。あずさだけのもの。ご主人様は敵対行為を固く禁じているだけで、他はほとんどノータッチですし」


 迷っていたのが嘘であるかのように、確かな熱を内包させた言葉が、あずさの口から滑り落ちていく。


「あずさが悪い。あなたが壊れ、その心が死に絶えるまで動かなかったことが何よりもの罪。その前提をもって、話を聞いてもらってもいいですか?」


 またしても月都は先を促す。言葉ではなく此度は首を縦に頷かせることで。


「その夢はあまりにも現実的ではありません」


 夢――魔神を打ち倒し、自らが魔神になる。そのことについてを、あずさが指しているのは明白であった。


「歪んでいます、壊れています、狂っています」


 続けられた指摘を、月都は眉一つ動かすことなく、むしろ苦笑と共に聞き届ける。


 あずさが月都を罵倒しているわけではないのは良く分かっているし、そもそもあずさは真実しか告げていないのだから。


「だけど、あなたは生きている。死んだ心で必死に、プライドを折ることなく、夢を掴もうとしている」


 血族審判の直前、あずさは月都の好きなところを述べていた。


 あの時も当然月都は嬉しかった。しかし今の彼女が語るソレには、あの時以上の情感がこめられていたのだ。


「生きているのも精一杯な男の子が一生懸命戦う姿を間近で見ていて! 惚れない女がいますか!? いませんよ!」


 髪を振り乱し、決死の形相で、あずさは吠えた。


「あずさは、いいえ、ご主人様に名前を与えられる前の私をも含め、前提を投げ捨てた上でも、しっかりと恋をしてしまってるんです……っ!」


 そして、泣き崩れる。


 あわあわと、月都は手を上にやったり下にやったりと、ひとしきり無意味に動かした後で、ようやくベランダに座り込んでしまったあずさを引っ張り上げたのだ。







第三部(完)

第四部に続く

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