第33話 急募、姉が弟をベッドに押し倒した際の対処法
魔人は表の世界の人間とは異なり、退魔の祝福をその身に受けた者共だ。
肉体は著しく強靭。裏の世界に限ってであれば、十六歳からアルコールの摂取を許されている。
最もそのせいで、ソフィアとあずさは酔い潰れてしまい、月都はいらぬ苦労を背負い込んでしまったわけなのだが。
「それでは、わたくしはあずさちゃんを担当致しますので、月都様はソフィア様をお願い申し上げますね」
「了解、任せといてくれ」
蛍子はあずさを担ぎ、月都はソフィアを担ぐ。各自分担して寝室まで彼女達を運び込む手はずであった。
「部屋の片付けは全て月都様のメイドたるわたくしが終えておきますので、ソフィア様と夜を通し、ただれたことをなさっても構いませんのよ?」
「するわけねぇだろ!?」
「うふふふふふ」
けれども月都とあずさの自室、その玄関から出て、いざ隣の部屋に向かおうとする月都の背中には、とんでもない台詞が投げかけられた。
「全くもう……ルコの奴」
ソフィアの持っている鍵を使って、彼女の自室に月都は到着。
ちらりと抱えた姉を見やるも、服装は制服姿。以前と同じく寝るのに適した格好に着替えさせた方が良かろうと、決断を行動に移しかけるその寸前に、
「――つー君」
「え、」
首筋に息がかかる。
ゾクゾクとした背徳的な心地を月都が覚えたのも束の間のこと。急に正気を取り戻したと思しきソフィアは、ここが寝室であったのをいいことに、月都をベッドの上へと強引に押し倒した。
「えぇ!?」
完全な不意打ち。さらには最も気を許した姉から押し倒されたことで、比較的平静を保てる月都といえど、驚くものは驚いてしまう。
「話があるのよ」
しかし月都の上に覆いかぶさるソフィアは、まだ酒精が抜け切っていないように見受けられるものの、表情自体は至って真剣。少なくとも三割増しで馬鹿になっていた状態からは脱却したようだ。
「話……?」
ブレザーを羽織っていないことで、シャツの下から薄っすらと覗く、淡い水色の下着が目に毒だ。
「まず一つ聞いておきたいのだけれど」
「……うん」
「アナタにとっての私は、何?」
「家族」
これまでは姉の一連の奇行に戸惑うばかりであった月都の双眸が、急激に真摯さを帯びた。
「姉ちゃんは姉ちゃんだよ。俺の一番大事な、愛しい人」
この質問を断じて茶化すわけにはいかない。
月都の人生を賭けた、答えであった。
「そう。じゃあ、それでいいわ」
あろうことか月都の返答を聞き届けた直後、あっさりとソフィアは覆い被さるかのような体勢を解除する。
そのまま何事もなかったかのごとくクローゼットの中から、バスタオルやらネグリジェやらを取り出し始めるので、ベッドの上で仰向けになっていた月都は、慌てて起き上がるのだ。
「つー君、アナタはあずさのこと好きでしょ。なら早く告白しなさい。これからどうなるか、幾らつー君といえど分からなくなって来たのだから」
振り返り、何気なく言い放ったソフィアの言葉は、ただの正論と正解でしかなかった。
「ちょっと待ってくれ!」
宴の時とは比較にならないくらいに落ち着き払った態度のソフィアと逆行して、月都の焦りは加速していく。
「あら、だとすれば私の勘違い?」
「勘違いでは……ない。むしろ正解、だけど……」
ボソボソと後ろめたさから、思わず小声になってしまう、月都。
「いやでも、俺は姉ちゃんと婚約してたわけだし」
「そんなのつー君を外に出すため、夕陽さんとお母様が考えた方便じゃない。アナタが自由の身になった今、蒸し返すつもりはないわ」
「姉ちゃんは!」
されど、ここに来て月都は感情のままに、大声をあげてしまう。
「俺のこと、どう思ってるんだ……?」
それでも結局は、探るような、縋るような、弱々しい声音になったのだが。
「家族、弟、世界で一番愛しい人」
当然のことを当然のものとして、ソフィアは淡々と語る。
「アナタがもしも世界から永遠に失われれば、私は必ず自害する。それ程に大切な男性」
自害すると語ったソフィアの瞳に、嘘の色はただの一つもありなしない。
「だから、結局のところ恋ではないのよね」
ふう、と。ため息を吐いて、ベッドに取り残されたままの月都の隣に、彼女は並んで腰掛けた。
「出会ったばかりの、それこそ本当に小さかったような頃は、初めて直に触れ合った同年代の男の子として淡い恋心を抱いた時期もあったわ」
この話の流れで、姉が何を言おうとしているのか、その大凡を月都は察してしまった。
「あの時を境に、私の感情は愛に変わった。すなわち恋はとっくの昔に終わってしまっているの」
苦笑を浮かべたソフィアは、愛しい者を見つめる目で、月都の表情を覗き込んだ。
「つー君は、私という姉を、見捨てないでいてくれる?」
「そんなことするわけがない。俺だって姉ちゃんがいなくなったら、生きてけねぇよ」
そしてこの問いかけに対する答えもまた、日頃のどこか嘘臭い、飄々とした笑みを捨てて、真剣に対応する必要があった。
「良かった。これで安心して二人の恋路を応援出来そう」
想いは伝わったようだ。ソフィアは姉として相応しい慈愛の微笑みを浮かべている。
「俺が、あずさを……」
いつバレたのか。月都の一番目はソフィアとはいえ、あずさに並々ならぬ恋をしているという厳然たる事実を。
「……そっか。姉ちゃんは血族審判での俺の態度で、気付いてたのか」
考えて、月都は思い至る。
あずさを先輩として、否、それ以上に慕っていた猫に、月都は憤怒と嫉妬心を覚えていたのだから。
「なんとなく、よ。確証は聞くまで皆無だったわ」
自信がないと語るソフィアではあるものの、月都からしてみれば、ほぼほぼ心を見通されているに等しかった。
勿論、嫌な気分など、姉に向けて抱くわけがないのだが。
「そうだよ、姉ちゃん。俺はあずさに恋をしている」
だからこそ、月都は認め――言葉をもって宣言する。
「だけど、俺はみんなに首輪をかけてるんだ。こんなザマで告白するなんて、不誠実にも程があると思わないか?」
「なるほど。つー君はそこに負い目を感じていたのね」
どうやらソフィアは固有魔法【絶対服従】によって生殺与奪の権利を握られ、首輪をかけられていることを、そこまで重視はしていないようだ。
それでも月都の罪悪感は変わらない。かと言って、女を恐怖する心がなくならない限り、愛しい女も恋しい女も親しい女も皆一緒くたに、支配下に置く必要があった。
「だったら、こういうのはどう?」
惑う弟の様子を見兼ねたのか、ソフィアがある提案をする。
月都は意を決した様子でソフィアの自室を後にした。残された彼女は汗を流すため、軽くシャワーを浴びた。
ネグリジェに着替え、リビングに戻ると、こんな夜更けに来訪者を知らせるチャイムの音が鳴り響く。
とはいえ半ば確信をもって扉を開けると、そこには大和撫子然とした少女が、常と変わらぬニコニコ笑顔で佇んでいる。
「相変わらず、難儀な御方ですこと」
「からかうのは良して頂戴」
「あらあら、まぁまぁ」
蛍子の台詞に前置きはなかったが、自室に戻った際の月都の様子でおおよそを察したであろうことは、ソフィアにも見通せたのだ。
「予定にはあったのでしょうが、随分と早めたご様子で」
「先延ばしにしない方が、つー君のためになるかもしれないと、改めて考えたってわけよ」
幾分か酔いも醒めて来た。ソフィアは蛍子を部屋の中に招いた。
「私はともかく、蛍子はこれで良かったの?」
ソフィアに後悔はない。
確かに自分は月都の存在に著しく依存しているも、姉と弟の関係が崩されない限りは生きていける。
だが、蛍子とて月都に好意を超えた、信仰心を胸に抱えていたはずだ。
そんな彼女が素直にあずさと月都を応援出来るのかどうかは、さしものソフィアにも直接本人に話を聞くまでは分からないのだ。
「わたくしがこの話に混ざる権利はありませんよ。卑しい卑しい雌豚の分際で月都様に恋を迫るなど、浅ましいにも程がありますもの」
けれど、ソフィアが気を揉む必要などないというかのように、至って穏やかな態度を蛍子は崩そうとしない。
「それに」
にっこりと笑みを深め、蛍子は人差し指を自らの唇に押し当てる。
「月都様……あの頃はまだ乙葉君と呼んでおりましたが。階段で出会い、別れた際。去ったように見せかけて、こっそりと聞き耳をたてていたわたくしは、率直に感じたのです」
「何を?」
「この二人はお似合いだと」
思い出すのは、とある春の日のこと。
いつものように授業をサボってフラフラと散歩していると、本来学園にいてはならないはずの男性が。そう言えば、魔人の資格を有した少年が学園に入学するとの話を聞いた覚えがある。
どことなくその姿が亡くなった父親と重なり、偶然下着も見られてしまったことだしと、蛍子はその男子生徒を少しばかりからかった。そして彼の従者である少女と入れ違いになったのだが――彼女は視力が悪い代わりに、耳はすこぶる良い。
「最初からそう思っていたのならば、今更わたくしが口を挟むことは、やはりただの一つもございません」
当の本人達にとっては特別でも何でもない気安いやり取りが、部外者に過ぎなかった蛍子にとっては、とても様になるものに思えたのだ。
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