第31話 最後の踏み台

 淡く長いプラチナブロンドの髪が否が応でも目を引いてしまう、少女と呼ぶには幼く、幼女と称するには大人びた容姿。


 けれど、可憐な外見に騙されてはならない。ソレは、眠りを妨げる邪魔者として遥か高みから人類に害を及ぼす、暴虐の魔神であるのだから。


「こんなことは、間違っていると思う」


 まるで知り合いに対するかのように、前置きもそこそこに、魔神に向けて月都は語り出す。


 付近に転がる大きな岩の上へと、彼は警戒心の欠片もなく腰掛けるのだ。


「復讐の権利くらい、虐げられた者であれば、誰にだってあるだろうさ。少なくとも、ボクはこのように考えるけれどね」


 月都と向かい合うように、魔神もネグリジェの裾を太腿で器用に挟み込みながら、地べたにペタンと女の子座りをする。


「母さんはこんなこと、望んじゃいない。生きていたら絶対に止めたはずだ」


「だとしたところで許せないことはある。その先が、何をも生まないと分かっていたとしても、だ。そもそも、キミは復讐の空虚さを把握した上で、憎悪を糧に踏み切った」


 以前、姉に怪我を負わせた魔神。そうでなくとも自らの逆襲のため踏み台として扱う相手だ。馴れ合う気は毛頭ない。


「キミが気落ちしている理由は、そんな上っ面のものだけじゃないだろうに。素直になりなよ。ボクには分かるんだぜ」


 だがしかし、乙葉麻里奈や麗奈、さらには男親に対するかのように、月都は目の前で肩を竦めている魔神を憎んでいるわけではなかったのだ。


「そう言えば、キミは変態のお嬢さんの母親を捕まえて、色々と聞いていたそうじゃないか」


「変態……なるほど、ルコのことか」


 魔神の口から放たれたあまりにもあんまりな呼称に、一瞬面食らった月都。しかしすぐ様、誰のことを言っていたのかについては理解する。


「改めて思い返すと不自然だよね。まるで実の母の顔を覚えていないかのような物言いだったと、ボクには感じられてならなかったけど」


 今、魔神が語る言葉が詭弁であると、月都は断じて否定することが出来なかった。


「……母さんのことを全部、忘れた、わけじゃない」


「それはまぁ、そうだろうね」


 愛する母の顔や共に過ごした過去が完全には思い出せないという忌まわしい事実を積極的に吹聴するような悪趣味は持ち合わせていないものの、正論を突きつけられておいて尚、言い逃れようとするまでに厚顔であるつもりはないらしい。絞り出した返答は、至極苦々しげな声音ではあったのだが。


「キミは記憶力が人並み以上に良い方だ。現に姉……堕天使のお嬢さんの方だね。彼女との過去については、その仔細までを記憶していたかのごとき発言をしている」


 パラパラと、虚空から取り出した、表紙が動物の皮のようなもので作られた本に目を通しながら、月都のこれまでの言動を魔神は精査していく。


「……あぁ、そうだろうな。俺は物覚えはいい方なんだ」


 魔神とは上位者であり、全てを超越する存在。


 今更過去の言動を覗き見られたところで、月都は素直に驚く気にもなれなかった。既に彼女には月都の企みを見破られてもいたのだから。


「目の前で燃やされて、ショックだったんだろう? だからキミは、母親の記憶をところどころ喪失しているのさ。生家を訪れて、知らん振りを決めこもうとしていた現実に改めて打ちのめされ、ナーバスになっている。違うかい?」


 本を閉じて、魔神は笑う。


 好奇心にのみ突き動かされた、あどけない面持ちで。


「正解だよ、こんちくしょう」


「あはははは。お褒めに預かり至極光栄。ちなみに、心を壊した人間は何かしらを盲目的に偶像と見なし、縋りつくことがままある。キミと変態のお嬢さんは、やはりよく似ているようだ」


 月都を唯一の人間と崇め奉り、自分を含めたその他大勢を豚と嘯く蛍子と月都がひどく近しい在り方だと、魔神は楽しげに指摘した。


「俺は別に、自分のことをあそこまで卑下してるわけではないがな。せいぜい産まれてこなければ良かったって、当たり前のことを考えるくらいさ」


 苦笑しながらも、認めざるを得なかった。元より月都が蛍子と友人になったきっかけは、同族としての親近感が後押ししてもいたのだ。


「卑下するだって? そんな必要がどこにある。キミは生まれながらの強者。外的要因により抑え込まれ、歪んではいるものの、本質的には傲慢であって然るべきだよ。善悪の理念さえ超越してね」


 おっと。少し話が逸れてしまったようだ――と、魔神は自らの絹糸のごとき髪に手をやりながら、どことなくバツの悪そうな表情でそう述べた。


「絶望と悲嘆の末、残されたのは断片的な思い出のみ。顔も思い出せない母親を、殊更に特別視して崇める。いやはや、人間とはかくも健気かつ愚昧なものなのか」


「――生かされたのは、事実なんだ」


 感心半分、呆れ半分な魔神の物言いに、月都は頑なに過ぎる心でもって、多くを思い出せない母という愛すべき存在を心を尽くして語ることに決めた。


「頭の中にある思い出が本当のことだったのか。もしかして、イカれた俺が苦し紛れに生み出した妄想に過ぎないんじゃないのか。確かにそんな疑念がないわけではない」


 勿論、不安は心の奥に巣食っている。月都は屍のように生きる男だ。何かが決定的におかしなことくらいは自覚していた。


「だけど俺は生きている。こんな強過ぎる力がなくとも、男が産まれたらまず殺されるような家で」


 それでも、たとえ曖昧で朧気だとしたところで、母との思い出はゼロではない。残されているものはある。何よりもこうして命を繋いでいる現在が、母の愛の証明になり得るのだから。


「母さんの愛を、かつて実在したモノとして、ずっと信じているよ。そうだ。俺は母さんのことを息子として愛している。迷うことなんてあってはならないのさ」


 今度は揶揄することもなく、むしろ真摯な態度で、魔神は月都の覚悟を聞き届けた。


 魔神という超越存在であるがゆえに、人の心をあまり理解しないとはいえ、月都が本気であることだけは、直感にも似たナニカで感じ取れたようだ。


「母さんを汚すような行動は、これ以上許されない。たくさんのものを踏み台にしながらここにいる。だが、本当の意味で犠牲になってもらうのは、おまえが最後――覚悟しておけ。滅茶苦茶に踏みにじってやるからな」


「あははっ。いいよ、いいともさ。若人はそうでなくっちゃあ面白くない」


 覚悟を通り越して告げられるのは、明確な宣戦布告。


 されど魔神は相も変わらず心から嬉しそうに、諸手を叩いて歓迎の意思を示すのであった。

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