第30話 父性愛は存在しない
月都は産まれてはならない忌み子であった。
魔神に匹敵する才能を有している。これが女であれば祝福されたであろう。だが、月都は魔人の世界で虐げられるべき男なのだ。
そんなモノを、使い魔の出現頻度が高く、魔人の輩出も多い極東の名家、乙葉家当主が産んでしまえばどうなるか。
殺すしかない。赤子の物心がつく前に。乙葉家の名誉と誇りを守るべく。
しかし月都の実母である乙葉夕陽は、名門乙葉家を姉を差し置いて継ぐ程の優秀な魔人でありながら、人の心を持った温かな女性。断じて息子を殺すことを良しとしなかった。
それどころか、彼女は覚悟を決めた。
自分は最悪どうなっても構わない。無残な死すら許容する覚悟をもって、学園時代からの友人であるグラーティア家当主アリシアと相談の末、月都をアリシアの長女であるソフィアに婿入りさせることで、彼を生きながらえさせようとした。
十歳になればその手で殺す。だからせめて少しだけでも外の世界を見せてあげたいとの言い訳で、イギリスにあるグラーティア家の本邸に幾度も連れ出しつつ、夕陽はずっと機会を伺っていた。
月都が生き延びさえすれば、最愛の息子が自分の人生を歩むことだけが叶えば、それで充分なのだと望み――ソフィアの非公式の婚約者として進めていた計画の全てが、バレた。
一番明かしてはならない相手、夕陽の姉である乙葉麻里奈に。
そのまま、乙葉家のみならず、魔人全体の裏切り者として夕陽は処刑。息子である月都は乙葉麻里奈の管理下に置かれ、想像を絶する程の虐待を受け続けた。乙葉麻里奈の駒であった暗殺者が良心の呵責に耐えかね、反旗を翻すまでは。
籠の中の鳥を別なる安全な籠に託す――結局は失敗に終わったこの計画を知っていたのは、乙葉家側は夕陽と夕陽と共に粛清された腹心数名。グラーティア家側はソフィア、アリシア母娘と彼女の夫、それに従者たるオリヴェイラ。
だがしかし、もう一人。月都がグラーティア家に婿入りすることを知っている者が乙葉家に存在し、他ならぬ彼はこれからの立場を保証することを条件に、夕陽の計画のみならず、あることないことまでをも保身のためだけに麻里奈に対して吹き込んだ。
これらの事実を踏まえた上で、月都は自らを虐げた女を憎み、嫌っている。
されどそれと同時に、彼はまた母性に生かされた者でもあった。
母性という愛があると知りながら、父性などこの世にはないのだと頑なに信じる者。乙葉月都とは、つまるところそういう男なのだ。
「今の俺は、昔と違って何でも出来るのさ。【支配者の言の葉】だって、学園に入学した時よりも使いこなせている」
軽快に手を打ち鳴らして、月都は見下ろす。
「情けない男親を一人、化け物にするくらい、赤子の手を捻るよりも簡単なんだぜ」
部屋の隅には触手が寄り集まった、醜いとしか形容の出来ない異形の怪物が蠢いていた。
かろうじて『タスケテ、ユルシテ』という人語が聞き取れるが、月都はそれを聞こえないものとして無視をする。
晴れやかな、なすべきことをやり遂げた達成感に満ち満ちた笑顔が、月都の整った顔立ちいっぱいに浮かべられていた。
「俺が絶対に殺したかったのは、母さんを殺した、あの女だけ」
かつて父であったソレを睨め回し、あっけらかんとした調子で、月都は右手を差し出した。
「母さんはおまえを愛していた。にも関わらず、おまえは母さんを裏切り乙葉麻里奈にすり寄った。殺す価値さえありはしない――どこかへ行ってしまえ」
固有魔法【支配者の言の葉】に応じて、異形の怪物は文字通りどこかへと、本人の意思とは無関係に、月都という強者に従うがためだけに転移させられていった。
自由に肉体を動かすことも、物騒な見かけのわりに他者を害することもままならず、極めつけには死ぬことも出来ない肉体として作り変えておいたものの、これから先、親とも思いたくない男が表の世界でどのような扱いを受けるのか――何から何まで、月都の知ったことではない。
怪物が部屋からいなくなり、清々とした気分になったのも束の間。月都は未だペンダントの中に、乙葉麗奈の魂が仕舞われている事実を思い出し、不愉快な心地が再燃される。
それでも、月都のいとこにして義姉は、生前のように男に対する侮蔑もあらわに罵倒を浴びせることなく、ただただ沈黙を続けていた。そのことを無邪気に月都は喜んだ。
「屍みたいに生きてみろよ。俺とおんなじだ」
愉快で愉快でたまらないのだと目を細め、ペンダントにそっと悪辣な言の葉を囁いて、魂の入った装飾具を庭園に敷かれた川へと乱暴に放り投げた。水の流れに沿ってゆらゆらと流れていく。
醜い異形の怪物と化した父親同様、魂のみになった挙句、母を目の前で失い心を壊した麗奈がこの先どうなろうとも、やはり月都にとっては一切合切知ったことではなかったのだ。
後始末の全てを、遅れて月都に追いついたグラーティア家と一ノ宮家の魔人達に任せ、彼は屋敷から出た。先程よりも格段に重い足取りで。
此処は地獄のような場所ではあったものの、また最愛の母との思い出の場所でもあるはずなのだ。
昔日に失った温もりを追い求めようと、深い山の中、幼子めいた心持ちで彷徨い歩いて、
「やぁやぁやぁ。人類史上最も魔神に近いであろう男が、悲願の復讐を終え、どんな顔をしているかと思いきや」
何となく、本当に何となくではあるのだが、そんな予感を覚えていた。
「思いの外、顔色が悪いようじゃないか」
あのふざけた神が、こんなにも面白い場面の野次馬に来ないわけがないという、一種の信頼にも似た感情が、月都の内側では諦観と共に渦巻いている。
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