第29話 虐げられた少年の、復讐

『――月都っ! 月都ぉっ!!』


 乙葉家の人間を速やかに壊滅させたことで、月都の周囲には圧倒的な静寂が残るだけのはずであったのだ。


 にも関わらず、悲鳴にも似た甲高い声は、月都の耳を不愉快に揺さぶる。


「どうした?」


 されどそのことに対してさしたる反応を見せることもなく、月都は懐の中にしまい込んでいたペンダントを、鬱陶しげな所作で取り出した。


 微かに発熱し脈動するその装飾具は、紫子から譲り受けた、人の魂を格納するための特殊な道具だ。


『よくも私の家族を! 部下を! 皆を殺してくれたな!!』


「俺と母さんが昔、おまえらにやられたことを、可能な限りそのまま、返してるだけなんだが」


 その中に乙葉麗奈――月都の憎むべきいとこにして、忌むべき義姉の魂をあらかじめ入れておいたのである。


『尊き魔人たる私達と、罪深い貴様、そしてあの女を一緒にするな!』


 月都の淡々とした返しに、生前と同じく普遍的な魔人としての価値観を振りかざしながら、麗奈は相も変わらず激昂していた。


『汚らわしい男であるのみならず、世界を滅ぼす災厄そのものたる貴様を赤子の時分に括り殺さず、あろうことかグラーティア家の長女に婿入りさせることで命を繋ごうとした魔人の恥! 乙葉夕陽は粛清されて当然の女、』


「――俺はいい。いや、良くはないし腹は立つが、まぁ呑み込んでやらんこともない。ただし母さんを侮辱するな」


 けれども、自らに対する侮辱は幾らかは許容出来ても、実母に対するソレとあらば許し難いというのが子の心であったようだ。麗奈の罵倒を遮ったのが、何よりもの怒りの表れである。


『ギャァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


「中の魂を好きなだけ痛めつけられるなんて便利な機能だなぁ。こんなのを何の見返りもなしにくれるなんて、紫子さんには感謝しないと」


 嗜虐的な微笑みと共に、ペンダントに備え付けられた装置を起動させる。


 死んだはずの魂に延々と苦痛を送り込みつつ、鼻歌混じりの月都は土足のまま屋敷に上がった。








 ソフィアに心臓を撃たれ、かろうじて一命はとりとめたものの、つい先程意識を取り戻したばかりの現乙葉家当主、乙葉麻里奈は病室で月都を出迎えた。


「久しぶりだな、乙葉麻里奈」


「……来ましたね、乙葉月都」


 神経質そうなそのおもては、自らの娘が痛めつけられていると思しきペンダントを見ることで、よりいっそうしかめられるのだ。


「俺はおまえだけは絶対に殺す。何か言い残すことは?」


「私は魔人として、たとえ甥であろうとも、おまえの存在を許容することはありません」


 チリン、と。鈴を鳴らす麻里奈。


 魔力を封じる檻が、月都の周囲に展開される。


「悪あがきご苦労さん」


 だがしかし、過去の月都を参考にした檻を、現在の月都までも同様に封じられる道理はない。乙葉家側の秘密兵器であった龍を容易に下したのが良い証拠だ。


「とっておきだったみたいだが、戦闘経験を積んだ今の俺は、魔神へとさらに近づきつつあるんだ。こんなもんで止められやしねぇさ」


 檻に囲まれたところで焦ることもなく、月都は手を一閃させた。


 それだけの無造作極まりない動作で、檻は滑らかな断面と共に斬り断たれた。


「かつて何も出来ない俺の目の前で、母さんが灰になるまで燃やされたように。あんたも魂だけになった娘の前で燃やしてやるから、覚悟しとけよ」


「好きになさい。この怪物が」


 血族審判にて免罪符を手にした月都を前に、最早抗う力は彼女達に残されていなかった。否、そもそも月都を封じる鎖であったあずさが離反した時点で終わりは確定されていたはずなのだ。


 所詮、血族審判は乙葉家側の悪足掻きに過ぎない。


 固有魔法【這い寄る触手】、無色透明不可視のソレに、弱った肉体を縛められる麻里奈は、静かに月都を罵倒するのでさえ精一杯。


「怪物……あははっ、怪物ね」


 天高く昇りつつある母の仇を満面の笑顔で見上げ、


「てめぇらがこうしたんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 急転直下とも呼ぶべき唐突さで、憤怒の表情は満ちる。


「クソアマ共! よく聞け! なぁ! 今はこんなのだけどさ! 昔は! 昔はこんなんじゃなかったんだよ! てめぇらが! 俺の母さんと! みんな! みんな殺して! 姉ちゃんとも会えなくなって! クソアマがぁぁぁぁあああああああ!! どれもこれもおまえらのせいじゃねぇか! いもしねぇ怪物を怖がって! マジモンの怪物を生み出して! その怪物に殺されるたぁ皮肉なもんだな!」


 ピタっと。地団駄を踏んで、髪をかきむしり、癇癪を起こす幼子のごとき様相であった月都の身体が不自然に硬直。



 そうして恐ろしいくらいに澄んだ眼差しで、死刑執行の合図を紡ぐ。


『母上! 母上! あぁ、私の母上が燃えて……』


 ペンダントの中で麗奈の魂が慟哭する。愛する母が眼前で燃やし尽くされんとしている光景を、かつて無力であった少年と同じように嘆き続けるのだ。


「麗奈。悲しいことに、私達の正義は敗北しました。ですが、ここまでよくぞ頑張ってくれましたね。私にはもったいない、素晴らしい娘でした」


『母上っ! 母上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――!!』


 母は燃える。


 娘は泣き叫ぶ。


「死ねよ。死ね。死んでしまえ。死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」


 湧き上がる微かな罪悪感、及び良心を、ただひたすらに女への憎悪で塗り潰し、怪物と化した少年は怨嗟を撒き散らす。


「――あ、死んだ」


 ついに時は訪れて、乙葉麻里奈は灰となる。


 あまりの絶望に心を壊したのか、ペンダントの中の麗奈の魂も、死んだように静まり返った。けれどもここで麗奈を殺してあげるような優しさを、月都は一切持ち合わせてはいなかったのだが。


「良かった。やっと死んでくれた」


 麻里奈であったはずの灰を、楽しげな足取りで踏み荒らす傍ら、月都は頬を緩めてもいた。


「おい」


 しかし、一転。憎悪でギラついた瞳が、部屋の隅からうずくまるような体勢で逃げ出そうとしていた、無様な一人の男を捉えた。


「またぞろ見捨てて、どこかへ逃げようって魂胆みたいだが、そうはさせないぞ」


 指を一振りするだけで、無色透明不可視の触手は男の襟元を掴み、月都の前にまで引きずり出す。


「なぁ――男親?」


「つ、月都。僕、僕は。こんな、つもり、じゃ」


 涙目で月都を仰ぐ男は、情けなくも歯茎を震わせているので、何かを言おうとしていることは分かるものの、肝心の内容まではとてもではないが聞き取れないのだ。


「ん? 何か言い訳があるならのたまってくれてもいいんだぜ。つっても、そんな聞き苦しくも醜いさえずりを、いつまで俺が聞いていられるかは知らないけどなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」


 麻里奈や麗奈に向けた憎悪以上のナニカを胸に、月都は実の父親との、実に劇的な再会を果たす。

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