第25話 血族審判 約束

「お疲れ様です……って、あれ? 俺が一番乗りみたいですね」


 対戦相手を下したことで、月都は裏の世界へと帰還する。


「月都君。無事で良かったわ」


 空間を維持するための指揮をとっていたアリシアが、小走りに駆け寄って来るのだ。


「まぁ、それなりに。みんなはどうなってます?」


 月都の言葉を受け、アリシアは虚空を見上げた。


「ソフィアと蛍子さんは、今のところ目立った進退はないのだけれど――」


 アリシアが見上げた先には、血族審判が行われている舞台が、中継映像のごとく鮮明に映し出されていたのだ。


「古巣相手やからかいな? 兎の娘がちょっと危なそうかもしれへんわ」


 そこにアリシアと共に控えていた紫子が割って入り、気遣いから言い淀んだ後を滑らかに続けた。


「あぁ、そうですか」


 されど月都の反応は鈍く、また薄いもの。


「心配しとらへん顔やない?」


「姉ちゃんとルコは心配してますよ。するに決まってる。だけど今のところ問題ないのなら、現時点では信じることしか出来ません」


 訝しげな紫子の問いかけに、戦闘の疲れを全く感じさせない明るい調子で月都は答えた。


「俺のあずさは絶対に負けない。彼女に限っては、心配なんて必要ないんですよ」


 黒の瞳には、幼き憧憬がパンパンに詰め込まれている。それはもう、危ういくらいに。







「どうしたんですか? 先輩の力はそんなものではないはずです」


 冷ややかな、それでいてどこか煽るかのごとき猫の声音。


 大鎌を携えた猫耳メイドの暗殺者は、自らの操る魔導兵器に付着した鮮血を眺め、こう言い放った。


「……猫。あなたと戦うことに、僅かとはいえど迷いがあったのは否定しません」


 表の世界で捨てられた孤児達を人工的に魔人に変え、暗殺者として仕立て上げる裏の世界の中でも一際闇に位置する界隈――研究所にて生まれた二人の暗殺者は、次元の歪んだ洋館内部での激闘を繰り広げていた。


 しかし自らの固有魔法を全力で扱い、魔導兵器たる大鎌を振るう猫とは対照的に、あずさは未だ鎖しか展開させてはおらず、防戦一方。


「あずさはあなたに対して、特別の恨みを持っているわけではありませんから」


 絶え間なく鎖を操り、猫の襲撃を凌いではいるものの、つい先程不意をつかれたことで派手に切り裂かれた腹部からは、未だに血が滴り落ちていた。最もいつかは治るものと見なし、あずさが殊更に負傷を気に留める様子はないのだが。


「それでも先輩は、私を乙葉月都のように愛してはくれないのでしょう?」


 嘆くように、悲しむように。


 されど弾丸のごとき勢いで、あずさへと接近。大鎌を凪いだ。


「その通り。ご主人様に害をなすのであれば、たとえ同郷の同族とはいえ、あなたはゴミ以下の存在に成り下がる」


 恥じることなく言い切った、あずさ。


 彼女は自らに迫る大鎌を渾身の力で蹴り上げ、鎖の打擲を猫に浴びせる。


「ならば私は先輩を殺すか、先輩に殺されるかの二択で、何としてでも、記憶の奥底に爪痕を残してみせますよ――!」


 大鎌を旋回。張り巡らされた鎖を弾き落としたと同時、元より発動させていた固有魔法【解き放つ鍵】をさらに強める。


 あらゆる物、力、現象、存在を封じ込めるあずさの固有魔法【縛めの鎖】と対を成す猫のソレは、かねてよりあずさにさえ匹敵する肉体スペックを、己のリミッターを無理矢理解放させることで一時的に底上げさせるのだ。


 ともすれば蛍子の【被虐願望】と似た効果ではあるが、ほぼ独学で近接戦闘を修めたかの狂戦士とは異なり、猫はあずさに師事を受けたプロの暗殺者。


「――ふっ」


 その身のこなしは、無駄がなく洗練されている。何よりも使い魔ではなく主に対人――魔人を殺す術に長けていた。


 首を狙った斬撃を、あずさは躱した。されど大鎌の刃は彼女の頬の肉を裂いてもいたのだ。


「あずさが離反した後も、絶え間なく研鑽を積んだことが伺えますね……本気を出さなければ、あなたには勝てやしない。改めて理解しましたとも」


 頬から伝う血の筋を、乱暴に拭い去る。追撃を加えんと襲いかかる猫を鎖でいなしながらも、あずさは感慨に耽るようにしみじみと呟いた。


「それでは、参ります」


「……っ!!」


 ついにあずさの纏う殺気が、目に見える程にまで膨れ上がった。されど、たちどころに殺気は凪いだ海のように鎮まっていく。


 覚悟はしていた。むしろあの伝説的な暗殺者の本気を引き出すためにこれまで尽力していたと言っても、猫にとっては過言ではなかったのだ。


 感覚を、猫は研ぎ澄ます。


 手加減をやめたあずさの姿が、視覚で簡単に追えるわけがないのだから。


「一撃目」


 どこからかそんな声が聞こえた時には、あれだけ注意を払っていたにも関わらず、猫の腹部にいつの間にか殴打が叩き込まれていた。


「――くっ」


 一切気配を悟らせることのない、完璧なまでの先制攻撃。


 猫は衝撃を巧みに殺しつつ、受け身を取る傍ら、何もないはずの虚空に手を伸ばした。


 固有魔法【解き放つ鍵】を展開。


 ここは外に大勢控える魔人達の魔力によって形作られた異空間だ。表の世界よりも、裏の世界よりも。魔力は豊富であった。


 見えない魔力の枷を、一時的に鍵で解放させるだけで、さながら空間そのものをえぐり取る振動が誘発される。


「二撃目」


 振動が引き起こされようとも、変わらずに淡々としたあずさの声が、猫の耳に滑り込んだ。


 やはり気配を殺したあずさの存在を、猫が正確に感知することは叶わない。


 それでもかつてあずさに直接師事を受けた猫は、そこらの有象無象と同じはずもなく、ましてや今の彼女は、固有魔法で肉体のリミッターを解除済。気配も無く自らの足を狙った鎖を上空に飛んで回避してのけることに成功する。


 また同時に先程猫が起こした振動が、ようやっと姿を現したあずさの肩をごっそりと抉っていたこと自体は確認出来た。


 好機と見なし、床に着地した猫は再びあずさが気配を消すよりも早く、その命を刈り取るために前進。懐へと潜り込み、胴体を大鎌で断ち切った。一連の行動は驚くべきことに、一秒にも満たない速度でなされている。


 ――しかし、


「戦闘中によそ見とは感心しませんね」


 未だあずさの声は朗々と響き渡る。さらには猫の右隣に突然、微かとはいえど人の気配が現れたのだ。思考よりも早く大鎌を滑らせた。だが、反応は刹那の差で猫の側が遅い。


 この土壇場でも彼女の大鎌は本物のあずさを捉え、右腕を切り飛ばしてこそいたものの、対するあずさは右腕を切り飛ばされたのと全く同時に、無事な方の左腕で猫の心臓を貫いていた。


 退魔の祝福を生まれながらに授かった魔人は、表の世界を生きる常人と比較すると、生命力が格段に強い。


 だがしかし、月都やローレライのような魔神に近しい魔人でもない限り、心臓への攻撃は生物である以上、やはり致命傷となり得るのだ。


 つまり心臓を取られた時点で、猫の敗北は確定された。


 否、そもそもあずさの早過ぎるがゆえに生み出されたと思しき残像を、本物であると焦りから見なしてしまった時点で、猫に勝利の道はなかったのだが。


「……兎先輩、」


「はい」


「私のこと、忘れないでいてくれますか」


 死に際ということも相まって、思わず大量の血と共に口から吐き出してしまうが、叶わぬ夢だと本当は分かっていた。あずさの心は既に月都のモノ。そして暗殺者としての彼女は、自らが殺した存在に思いを馳せることなど皆無で――。


「忘れませんよ。それだけは約束します」


「え、」


「出来ることならこんな場所で戦わず、遠くに逃げて欲しかった。だけど、あずさはご主人様のメイドですから。それ以外には何も残されていませんから。ゆえにご主人様の敵は全てを抹殺するのみ」


 重苦しいため息と共に、再生した右腕を躊躇うことなどないまま、あずさは一閃。


 無抵抗に近い形で、猫の首が飛ばされる。


 かつて猫のモノであった部品は、鞠のように跳ねた後、コロコロと床に転がった。

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