第20話 ナンパですか違います

「夕飯、美味しかったです。ご馳走さまでした」


 ローレライの部屋で夕食を頂いたものの、疲れてしまったのか彼女は食事の後、すぐに眠ってしまったのだ。


「いえいえ。姫君も喜んでおられましたから。こんなものでよろしければ、またいつでもおいでください」


 代わりに世話役であるサシャが玄関まで月都を見送る。


「サシャさん」


「はい」


「俺達、どこかで会ったことあります?」


 丁度ローレライもいないということで、月都はサシャに会ってからずっと抱えていた違和感を問いただすことを選んだ。


「――これはこれは、ナンパというものですか? 確かに月都殿は麗しき殿方ですし、私も年甲斐なくはしゃぐべきなのかもしれませんが」


「そうじゃなくて! 言葉のままの意味ですよ!」


 サシャは月都の指摘にうろたえることもなく、年下の少年に対してジョークを飛ばす余裕さえみせた。


「ふむ、冗談が過ぎてしまいましたね。何故そのように思われたのですか?」


「何となく?」


「ふふふ」


 思わずといった様子でほころばせた口元に、サシャは悠然と手を当てる。


「私と月都殿は初対面ですよ。勿論、あなたは有名人ですからね。姫君からのお話も含め、私の側は一方的に知っておりましたけれど」


 とはいえ、あくまでサシャは自分と月都が初対面であるという当然の事実を主張するのだが。


「姫君はあなたと関わるようになって、随分と笑顔が増えました」


 チラリと、後方をサシャは振り返る。


「死ぬために生きておられたような御方ですからね。ああも生き生きとした姿を見ていると、世話役としても喜ばしいばかりです」


 流石に寝室の扉は閉じられていて中の様子は覗えないものの、そこにはきっとローレライが安らかに眠りこけているはずだ。


「また姫君に会いにいらしてください。手厚く歓迎させて頂きますよ」


「そうですね。血族審判が終わって落ち着けば、ウェルテクスに会いに来ます。可愛い後輩だと思ってるので」


 血族審判の四文字を耳にした途端、サシャは目を細めた。


「ご武運を」


 それでも言葉の裏側に潜む労りの感情は伝わって来る。


 心なしか軽くなった足取りで、月都は学生寮を後にした。









 旧学生寮に月都が戻ると、建物の入口で直立不動を維持したまま佇ずむ、あずさの姿が。


「あずさ」


 慌てて彼女の元に駆け寄る。


「ご主人様。無事のお帰りで何よりです」


 彼の存在に気付いたあずさは、心底ホッとしたかのような面持ちで顔を上げた。


「ずっと待っててくれたのか?」


「当然です。あずさはご主人様のメイドですので」


 今はもう秋だ。時刻も夕方などとっくに過ぎ去り、夜更けに差し掛かっている。


「部屋に戻ろう。身体が冷えただろ」


 腕を引く。やはりあずさの身体は、服の上からでも分かるくらいに冷え切っていた。


 平静を取り戻したことで、当たり前のように胸は罪悪感で痛む。


 だが、一刻も早く暖を取るために、二人が住まう部屋に向かうことを月都は優先させた。

 







「八つ当たりして、ごめん。もう少しで目的の半分が果たせるからか、どうにも気が昂ぶっているみたいなんだ」


「ご主人様は何も悪くありません。あずさとてまさか学園内で古巣と出会うとは考えてもおらず、油断でした」


 部屋に戻り、二人はソファに並んで腰掛ける。


 各々の前には月都が淹れたココアが湯気をたてて置かれていた。


「……あずさ」


「どうされましたか? ご主人様」


「おまえは俺のどういうところが好きなんだ?」


 脈絡もなければ、突拍子もない質問。


 血族審判を控えた前に、何の関係があるのかと問われれば、月都に明確な答えは返せない。


 それでも、あずさに強く好意を抱く者――暗殺者【猫】の出現を前に、今一度確認しておきたい事柄の一つではあったのだ。


「それはメイドであるあずさへの質問ですか? あるいは私という暗殺者への問いかけですか?」


「後者」


 月都の端的な返答に、ふっと優しげな微笑をあずさは浮かべた。


「きっかけは同情心と自己嫌悪、罪と罰による自主的な屈服からの愛です」


 それついては月都も度々あずさから聞かされており、既知に他ならない。


「ただ、そうですね。恥知らずにも言い切ってしまいますが。死んでもおかしくないような屈辱を受けてもプライドを折らなかったところが、あなたの最も素敵な部分かと」


 頬を赤らめ、胸元に手を当てて。


 大切な者を抱きしめるかのような愛おしさに満ちた口調で、あずさは語った。


「ちなみにメイドとしては?」


「ご主人様に隷属する従者たるもの、その全てを肯定しないでどうします?」


 あずさの中には二つの側面がある。


 しかし、二つある内のどちらもが自分というロクでもない男を好いていることの確認が改めてとれたことで、猫が現れてから燻り続けていた胸のつかえが、ようやく取り出された気がしたのだ。


「俺のな、おまえの好きなところ、聞いてくれるか?」


「どうぞ」


 穏やかに、あずさは先を促す。


「強くて、格好良くて、凛々しいところ。なのにメイドとして精一杯愛らしく振る舞おうとしてくれるのも好き、大好き」


 熱に浮かされたかのごとき調子で、まくし立てる、月都。


「嫌がる俺を組み敷いた乙葉の人間を、目の前で殺してくれて」


 彼の脳裏には初めてあずさを特別視した瞬間の出来事が過ぎっていた。


「ありがとう」


 眼前に飛散る血潮。月都を虐げた女の肉と臓物と骨がバラバラになり、最後にはパァァァンと弾けて、消えていった。そんな心温まる光景を彼が忘れることはないのだ。


「一介のメイドごときに、勿体ないお言葉。心より感謝を申し上げます」


 身に余る光栄とばかりに、深々とあずさが丁重に頭を下げた。


「俺は、おまえのことが――」


 勢いのまま、月都は自身の心内を吐露しかける。


「ご主人様? どうされましたか?」


「――っ、」


 だがしかし、思いとどまった。


 愛の告白を首輪をつけている女に言ってしまうことの残酷さ。それを正しく月都は把握していたのだ。


「今日は一緒に寝ないか?」


「えっ!?」


 だから月都は誤魔化した。これまで通り主従としてのなあなあの繋がりを望む。


「あっ、じゃあ、あずさちょっとシャワー入ってきます! 汗臭いかもしれないので!」


「別にそのままでもいいんだぜ。俺は気にならないし」


「ご主人様は大丈夫でも乙女は心配になるものなのですよー!」


 慌ててあずさが風呂場に向かうものの、日頃は卓越した身体能力を封じている身。床で派手にすっ転ぶのは最早確定事項であった。

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