第16話 トライアングル

 蛍子が家族との対話の場を持ち、あれから二週間程が経過していた。


「あら、あら、あら。困りましたね」


 いつも通りの和風メイドスタイルで家事に励む蛍子が、何やら冷蔵庫とにらめっこをしているのだ。


「どした?」


「月都様」


 リビングでくつろいでいた月都が、隣接するキッチンでの彼女の様子に気付いて声をかける。


「どうかこの愚かな雌豚に罰を頂けないでしょうか? 具体的には臀部をあなた様の脚で踏んづけて頂きたく――」


「――却下!!」


 だがしかし、相変わらずの変態具合に頭を痛めるハメになるのだ。


「全く……そんな調子で、紫子さんに変態がバレたらどうするんだ?」


「はにゅん!!」


 やれやれと肩を竦める月都の言葉が、珍しくも蛍子にクリティカルヒットしたのか、日頃滅多に見せることのない羞恥の表情と共に彼女は奇声を発した。


「いっ、いえ。問題はありません。わたくしは変態でございますが、流石に紫子さんや桜子お嬢様に対しては隠し通してみせましたもの」


(本当は紫子さんにも、桜子ちゃんにもバレてたんだけどな)


 そもそも月都が見る限り、変態気質は妹も同じくであったので、おそらく母親譲りのものであろう。


 しかしそこは思春期の娘ということか、月都達には散々見せつけているにも関わらず、母や妹の前では清純派を気取りたいお年頃のようであった。


 蛍子の意図を汲んで、事実を黙認する道を月都は選ぶ。いつだって真実が全てを救うとは限らない。


「そういや、困ったことって何だったんだ?」






 時を同じくして、あずさはソフィアの要請の元、学園内の医療施設を訪れていた。


 現在二人が目を皿のようにして探っているその場所は、つい二週間程前までは吸血鬼の襲撃を受けた周防小夜香を収容していた病室である。あずさもソフィアも、その際は小夜香の見舞いに訪れていた。


「監視カメラには映っていない。魔力の痕跡は途切れている。申し訳ありませんが、あずさにもお手上げです」


 暗殺や諜報を得意とするあずさの観点から、行方不明になった小夜香の行方、その手がかりを見つけることが出来ないかとソフィアに頼まれたものの、結果はこの通り芳しくなかったのだ。


「ありがとう。協力してくれて助かったわ」


「お役に立てず、すみません」


「気にしないで。元はと言えば私達のミスなわけだし」


 これ以上の進展はないと見て、二人はもぬけの殻となった病室を後にする。


「周防小夜香。頑なに実力を隠す素振りから、多少の怪しさは感じさせていましたが……」 


「私がカマをかけてすぐに行方をくらましたってことは、どこの勢力か分からないにせよ、まずクロよね」


 ただし目的やその正体は未だ不明である。


 何かしらのアクションを起こす前に逃亡したということは、どこかの組織の諜報員だったのかもしれないが、所詮コレもソフィアやアリシアの一方的な推測に過ぎないのだから。


「つー君と蛍子に説明するのは気が重いわ。二人とも周防に懐いていたから」


 難しげな面持ちでソフィアは唸る。


「押し付けるようで申し訳ないのですが、あずさはこういうのは上手くありません」


 ただし細やかな対応を不得手とするあずさよりも、上位の魔人でありながら極めて理性的であるソフィアが彼らに説明をした方が上手くいくのは、結果を見るよりも明らかなのだ。


「分かってる。私から二人に責任をもって話をしておきましょうとも」


 気が乗らないというのは本心であれど、適材適所というものをソフィアは弁えていた。


「お母様に報告しに行くから、あずさは先に寮に帰っていて頂戴」


「分かりました。お疲れ様です」


 ペコリとあずさはお辞儀を一つ。


 ソフィアはひらひらとフランクな態度で手を振りながら、寮へ帰宅する道とは逆方向に向かって行った。







 一人、帰路についたあずさ。


 夕日さえとっくに空の向こう側へ追いやられた後ではあるが、ここ極東魔導女学園は全寮制の学園だ。黒のブレザーに身を包む生徒達の姿はまだ多い。


 しかしそんな黒の群れの中に、奇異な外見を持つ少女が一人、紛れ込んでいた。


「兎先輩?」


 頭から猫耳を生やす愛らしい外見の娘だ。着用しているのは制服ではなくあずさと似たメイド服。彼女はあずさを呆然とした風に見つめている。


「そうだ! やっぱり! 兎先輩じゃないですか! お久しぶりです! 私のこと! 覚えていますか!?」


 かと思いきや、感極まったかのような歓喜を滲ませて、娘はあずさの元に怒涛の勢いで駆けて来た。


「……猫」


 苦々しく、あずさは彼女の名前――もといコードネームを舌の上にのせた。


「あずさは乙葉家から離反した身。互いのためにも馴れ馴れしく話しかけるものではありませんよ」


 その上で互いの距離感を証明するかのように、一歩後退る。口調は敵対者に対するものではなく、不出来な弟子をたしなめるかのごときものであった。


「でも! 私は兎先輩のことが大好きなのです!」


 猫と呼ばれた少女は現乙葉家当主乙葉麻里奈の駒だ。かつてあずさは後輩として彼女を指導しており、また共に任務に励んだ仲間でもある。


「どんな任務にも粛々と取り組む孤高の暗殺者。序列上位の魔人にも劣らない固有魔法を行使する私達の憧れ……なのに! なのに!」


 あずさの側は昔の同僚という認識しか持ち合わせてはいない。暗殺者たるもの、個々人に特別な執着を持つのは愚の骨頂であるのだと、現役時代は定めていたからだ。


「あの男のせいで、兎先輩は汚されてしまった」


 けれど、猫の側はかねてより多大なる好意をあずさに抱いていのだ。


「兎先輩、戻りましょう。今ならまだ乙葉家に私から取りなすことが出来ます」


 猫は乙葉家として、あずさはグラーティア家として血族審判に参戦する。


 かの戦いは以前アリシアが称したようにデスゲームといっても過言ではなく、参加した魔人達の選択権は勝つか死ぬかの二択しか存在しない。


「血族審判が始まってからでは遅いのです」


 敵対する立場に回ったとはいえ、猫があずさを慕う感情に変わりはなく、間違っても愛しい先輩を手にかけたくないという善意による一心で、月都からの離反を促すのだ。


「猫も参戦するんですね」


「当然です。私はご当主様の道具ですから」


「今のあずさはご主人様の道具かつ月都様のメイドです」


 それがどうした――と、猫はここにはいない誰かを睨みつけるかのような剣呑な眼差しを見せる。


 確かに彼女の固有魔法であれば、月都からかけられたあずさの首輪を外すことも可能かもしれない。


 ――だがしかし、


「あずさはご主人様に償いをしなければならない立場。首輪はかけられたものではありません。あずさがそう望んだがゆえに、寛大なるご主人様はこの意図を汲んでくださったのですよ」


 一人の少年の心を壊した罰。


 罪を意識した女は、屍のごとく生きる天才的な魔人を前に、同情心の末、愛をもって服従したのだ。


 彼の軍門に降った後悔など何一つたりともありはしない。あるのは月都が壊れるまで何もしなかった己への苛立ちと敵意のみ。


「それに」


 ここまでは一応の同輩ということで抑えていた殺気を、あずさはついに開放する。


「猫。あろうことかあなたはご主人様の道具であるあずさの前で、あの御方を侮辱しましたね?」


 ジャラリ、と。金属の擦れる音が鳴らされる。


「過去、死線を共にくぐり抜けた同僚とはいえ、今すぐにでも撤回しなければ血族審判を待つよりも早く、あなたをご主人様に仇なすゴミとして処分しなければならないのですが」


 鎖型の魔導兵器はあずさの両腕へと絡みついた。


「……撤回しません」


 唇を悔しげに噛み締めた後、猫はキッと決意に満ちた眼差しで、自らに迫るあずさを真っ向から見据えた。


「私は! 兎先輩を奪った! 乙葉月都を! 絶対に許しません!」


「――あずさ?」


 一触即発であるにも関わらず、全くもって空気を読むことなどないままに。パン粉を抱えた月都が、暗殺者達の邂逅にのほほんとした雰囲気を纏わせて割って入ったのだ。

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