第15話 産まれて来なければ

 月都の突然にも過ぎる問いかけを受けて、紫子は笑顔を保ったまま、彼を密かに分析していく。


 持ち前の飄々とした態度からは考えられないまでのあどけない面持ちで、月都は質問を投げかけているのだ。


 ただしその内側であらゆる憎悪が渦巻いていることを紫子は決して見逃さなかった。


(ほんまに物騒な殿方やわ)


 それでいて人間らしさが失われているわけではないのである。もしも失われているのであれば、自分の娘が初めての友人と称して、ああも人道的な扱いを受けているわけがないのだから。


「正直に答えた方がええんやろなぁ」


 オリヴェイラに案内された新たな一室で、淹れ直された紅茶の入ったティーカップを傾けながら、紫子は答える。


「そうですね。そっちの方が助かります」


 月都はお茶請けのスコーンに手を伸ばしていた。しかしつけるジャムをイチゴかマーマレードかで迷っているようだ。長い思案に耽っている。


「見た目はそっくりや。中身は全然違う。夕陽は表の世界の人間らしい価値観を持った、良くも悪くもお人好しやったさかい。旦那さんは人間味がないわけではないけど、ああも澄んではないんとちゃう?」


 すなわち――月都は憎悪で濁っている。


 ある種批難めいた言葉ではあるが、紫子はこの相手には下手に偽りを交えない方が良いと判断したのだ。月都に促されたからではない。何よりも自らの魔人としての勘が強く警鐘を鳴らしているからこそ。


「やっぱり」


 思案の末にマーマレードに決めたらしい月都が、元より浮かべていた笑顔をさらに満開の花のごとくほころばせた。ただし彼は自身の外見が母と似ていることを喜んだわけではないのだが。


「自分が勝手に思い込んでたり、勘違いしてたわけではなかったんだ。中身が似ていないのはまぁ当たり前として、見た目だけは似てたんですね。そうそう。?」


 紫子は眼前の少年の危うげな姿に、己の娘を思わず重ねてしまう。


 一ノ宮蛍子と乙葉月都の類似点は第三者から見ても数多い。笑顔の奥で世界への濃密な敵意を蓄えている者など、魔人であってもそうそういやしない。


「だとしたら、残念。母さんには申し訳ないことをしたものです」


「どういうこと?」


 端的に紫子は問い返した。


 月都が述べた実母への懺悔は、あまりにも脈絡がなかった。


「そもそも母さんが謀殺された原因は、俺がいたからです。そんな輩と顔が同じだなんて、あまりにも可哀想に過ぎるでしょう」


 一見すると理由になってはおらず、滑稽なまでに戯言めいてさえいる。しかしたったこれだけの情報で、彼が言わんとしていることを紫子は察した。


 けれども黙して視線のみで先を促す。自らの過ちで深い悲しみと負の情念を背負った娘を紫子は最後の最後まで救えなかった身だ。最愛の娘、その片割れと似た子どもの独白を一方的に遮るようなむごい真似が出来るはずもなかったのだ。


「一ノ宮家は乙葉家と敵対しているとはいえ、耳には入って来ませんでしたか? 乙葉家の当主は女が産めず、あろうことかソレには魔人の才能なんてものがあった。退魔の祝福なんて可愛いものじゃない。世界を滅ぼす、災厄めいた、才能が」


 スコーンにかじりつく月都の様子は幼子のごとく邪気に欠けていた。頬は栗鼠りすのように膨らんでいるも、見目と育ちは良いためか不思議と見れる姿である。


「母さんは立派に魔人としても、当主としても務めていたのに、ただ一つの瑕疵かしのせいで、揚げ足をとられてあの女に謀殺されたんだ」


 それでも月都は、紫子に痛ましい者を眺める目を向けられていることにすら気付かぬまま、至って気楽な調子で語った。


「産まれて来なければ良かったなんて、当たり前に思うんですよ。むしろあんな光景を引き起こしておいて、思わない方が人間としておかしい」


 自分自身を卑下する旨を。


「俺なんて産まれて来なければ良かった。だけど、ルコのように自害する勇気や誠意もないのなら――」


 似ている二人ではあるが、蛍子は月都よりも積極的に自らの死を罰として望んでいた。己が原因で父が断崖絶壁から身を投げたのだと思い悩んだが末の凶行だ。


 けれども蛍子は女。さらには庶子という立場で冷遇されることはあれど、彼女を愛しく思う家族が残されていたからこそ、己ではなく周囲へ向ける憎悪の値はまだ月都と比較すると低いのだ。


 対する月都にとって残された唯一の家族――実父は実母の夕陽を裏切り、現在も尚、乙葉麗奈の操り人形となっている。


 裏の世界では月都のような例外でもない限り、男の立場は弱かった。だが、それを全ての免罪符に、母を見殺しにした父を許した瞬間など、母性愛を信じながら父性愛に懐疑的な月都には、今まで一度たりともありはしない。


 そもそも月都は蛍子と違って、男が虐げられる残酷な体験を、間接的にではなく直接的に身をもって受けているのだから。


 女が憎い。


 その感情は、死ぬべき時を逃した少年にとって、屍のごとく生きる原動力となるのだ。


「せめて少しでも立派な自分になって、墓の中の母さんに顔向け出来るようにしておかないと。約束を守るためにも」


 独り言めいた言葉の対象が紫子でないことだけは確かであった。スコーンを食べ終えた月都の黒の眼は曇っている上に焦点を明確に結んではいない。


「俺とルコは結構似てるところがあって」


 されど手を拭き終え、紫子に目線を戻したその時には、屈託のない微笑みを何ら不足なく浮かべていたのだが。


「きっとルコも同じようなこと考えているはずですよ。変に気負わないで、家族として会いに行くだけで心の重石は軽くなるんじゃないかな? 俺はそう思います。だから、どうか、頑張ってください」


 友人をおもんぱかる心を月都は有している。


 亡き母を想い、慕う感情も失われてはいない。


 コレらの温かみある人間性に女への憎悪を掛け合わせると、それはそれは歪な有様。同情心を保持したまま、紫子はそのような感想を覚えざるを得なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る