第14話 中断と再会
紫子とアリシアの戦いは戦場を外に移したことで、より苛烈なものに変じていた。
薙刀という長柄武器を自在に操り、炎で相手を巧みに撹乱する紫子と、ただレイピア一本のみで食らいつくアリシア。
今も紫子は薙刀を滑らかに突き出したと同時、炎の柱を複数屹立させることでアリシアの退路を阻んだ。
肉体を稼働させる領域を大幅に制限され、それでも尚アリシアは全身を鞭のごとくしならせ、苛烈な剣舞をみせる。
そうこうしている内にも火の手は迫る。彼女は躊躇なくその場で一回転を試みた。
アリシアの魔力を纏わせた剣圧が紫の炎を吹き飛ばす。その果てにレイピアの切っ先は紫子の首筋をも捉えたかのように思われた――が。
ピロロ、ピロロロロ。
軽快な電子音が鳴り響いた。
ソレは応接室の中に置き去りにされたアリシアのジャケット、その内ポケットの中に存在するスマートフォンから発せられる着信音なのだ。
「――」
「……」
暫しの間、アリシアと紫子は魔導兵器を握り締めたまま睨み合う――が。
「失礼」
「ええて、ええて。どうせ余興やし」
どうやら私用ではなく仕事用のスマートフォンらしい。態度を普段の元に戻した上で、紫子の許可を得たアリシアは滅茶苦茶になった応接室に涼しげな顔で舞い戻る。
「はい、私です。……っ!? 彼女が消えた? それは本当ですか?」
電話に対応する傍ら、眼鏡をかけ直していたアリシアが、何かを聞かされたらしく途端に驚愕の面持ちを見せた。
「えぇ、分かりました。捜索を願います。私も学園の監視システムを洗い直しましょう」
通話が終わると同時、既に魔導兵器を解除して両手を空にした紫子が、肩を竦めていた。
「悔しいけどウチの腕はだいぶ
「勝負はまだついていないのでは?」
ジャケットを羽織り、結んだ髪をほどきながら、キョトンとした風にアリシアが首を傾げる。戦闘中の鬼気迫る獰猛な殺気はとうに消え失せていた。
「おもろない冗談は言うもんやないで。炎を振り払った時の攻撃は、あんたがやめへんだら、ウチの首に当たっとったわ」
「すみません。集中してたのでよく分かりませんでした」
「はいはい。昔から相変わらずそういうところやで」
そこで、アリシアは今更ながらに存在を思い出したかのように、ハッとした表情で月都を見やった。
「月都君」
「は、はい」
ガシっと。アリシアは月都の両手を掴んだ。
「此度私が大暴れしたことについて、どうかソフィアには内密にお願いするわ」
「わ、分かりました」
若干引き気味の月都ではあったが、肯定の意思を示しただけで、良しとしたアリシア。
彼女は真面目なキャリアウーマンのごとき装いに戻り、滅茶苦茶になった応接室の修繕をグラーティア家の従者であるオリヴェイラに頭を下げて頼み込んだ後、月都達の元から去って行った。
「嵐が去った……」
「ふふふふふ。余興に突き合わせてもうてすまんかったな。旦那さん」
歴戦の魔人二名による激突が終了したことに、思わず安堵したとばかりに胸を撫で下ろす月都を見やって、紫子はたおやかに笑う。
「ウチらが学園に在籍してた頃は日常茶飯事やったけど、旦那さんには刺激が強すぎたか」
「アリシアさんがああだったっていう話自体は母さんから聞いてましたけど」
「夕陽やな。ほんまに懐かしいわ」
やはりと言ってはなんだが、紫子はアリシアよりも一つ歳上であり、アリシアは月都の実母である夕陽と同い年。
つまり目の前に立つ女性は、先程当人が語った通り、生きていた頃の月都の母を知る者なのだ。
「つかぬことをお聞きしますが」
努めて表情を笑顔の形に固定したまま、月都は紫子を仰いだ。
「俺って母さんに似てますか?」
「ここよ」
「ここです」
「ここですわね」
ソフィアとあずさの先導の元、ついに桜子は愛しき姉の住まいへとたどり着いた。
桜子は蛍子の部屋を目前に、手鏡で髪や服装の乱れを
「桜子ちゃん、インターホン押す?」
ふるふる、と。激しく首を横に振った。ソフィア達の言葉に励まされはしたものの、心に渦巻く緊張が全て吹き飛ぶわけではなかったらしい。
苦笑を浮かべつつ、桜子側のタイミングを慎重に見計らい、ソフィアはインターホンを鳴らした。
『どちら様でしょうか?』
「私、ソフィアよ。あずさもいるわ。アナタに会わせたい人がいるの」
『あら、ソフィア様にあずさちゃん。わたくしに、でして?』
困惑の滲む声が返されながらも、蛍子は部屋の中から扉を開けた。
「……あらあら、まぁまぁ。桜子お嬢様ではありませんか」
眼鏡の奥に置かれた光の無い紫の双眸が、意外感と納得感という二つの相反する要素を織り交ぜた上で見開かれる。
「お久しぶりですわ、蛍子お姉様」
桜子の喉はカラカラに渇いている。
それでも彼女は異父姉へ向けて気丈に挨拶をしてみせたのだ。
小夜香の見舞いが終わり、ソフィアと別れた蛍子は自室でレシピ本を読んでいた。そのため普段はかけていない眼鏡を現在着用している。
料理人の娘である彼女は既にかなりの種類の料理をモノにしているものの、月都の良きメイドであるために、日夜研鑽を欠かしてはいなかった。
そんな折にソフィアとあずさが連れて来た幼き少女は、蛍子にとってよく知る人物であり、また長きに渡って会えずにいた存在でもある。
片目は失明、残ったもう片方も視界は狭い。だがしかし眼鏡をかけていることで、奇しくも蛍子は平時よりもはっきりとした視野で、会えなくなった日から格段に成長した桜子を見据えることが叶ったのだ。
「桜子お嬢様」
もう一度、蛍子は妹の名を確かめるかのように呼んだ。
その声音には親愛の情が多大に含まれている。
馴れ馴れしく接することは立場上許されず、使用人としての振る舞いは骨身に染み付いている。だからこそ、コレが蛍子の精一杯。
「長らくお会いしたいとの旨をお聞きしていながら、頑なに拒んでいたことを、どうかお許しくださいまし」
膝をついた上で蛍子は桜子を抱き締めた。丁度彼女のたわわな胸が、桜子の顔の辺りに押しつけられる形となる。
「わたくしは偉大なる人間様であらせられる月都様から生きる指針を授けられました。何も心配することがなくなったわけではございませんが」
そこで一度、蛍子は言葉を区切った。
淑やかな微笑みの裏側に数多の複雑な感情を覗かせて。
「最初から、何一つとして、わたくしとわたくしの父について、桜子お嬢様が気に病む必要などないのですよ」
だが、妹への愛情は心の奥底で、根を張って生きていた。
かつて悲劇を目の当たりにしたことで摩耗してしまったはずのソレは、月都の
蛍子は月都と同じく壊れてしまった人間である。ただし残された家族への愛を完全に捨ててはいかった。それだけは、月都とは異なるのだ。
「おねえさまぁぁぁぁ。おねえさまぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
わんわんと声を上げて、桜子が泣いた。
蛍子は優しげな微笑みを向けながら、桜子が満足するまで、その身体を離すことはなかった。
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