第11話 親馬鹿

「成功にせよ、失敗にせよ。どう転んだところでウチにとっては利になる。せやから一ノ宮は旦那さんを支援するけど、旦那さんにこれ以上何かを求めるつもりはない」


 紫子から立ち昇る負の情念は、一拍の時を置いて、傍目からは消え去っているようにも感じられた。


「安心して、血族審判に励んでもろてええからな?」


 けれども月都には分かる。彼女が当たり前のように飄々とした笑顔の仮面で本心を覆い隠せることを。


 他ならぬ自分自身も程度の差こそあれ、そうであるのだから。


「強いていうなら、桜子含めてこのまま娶ってくれたら嬉しいんやけど」


「めとっ、めとる!?」


 また異なる方向性での爆弾発言に、月都は声を上擦らせてしまう。


「ウチに似て二人とも美人やろ? 損はさせへんと思うで?」


「二人が綺麗なことは否定しませんが……」


 先程のただの女としての顔はどこへやら。すっかり母と当主の顔が入り混じるモノに戻され、月都は困惑するのであった。


「お言葉ですが、先輩」


 そこで横合いから声が挟まれる。


「ソフィアがいるのもお忘れなく」


 眼鏡の縁を押し上げながら、アリシアが紫子を見据えた。


「あー、あんたとこの長女も別嬪さんやけどなぁ。如何せん胸が足りんのとちゃう? 母親によう似て」


「何おう!!」


 完全なる挑発に、日頃の穏当さをかなぐり捨て、アリシアは紫子に食ってかかる。


「胸だけが女の価値ではありません! 包み込みたくなるようなささやかながらも柔らかな胸! スラリと伸びた美しい脚! 私の娘とて蛍子さんや桜子さんに負けているとは到底言い難いかと!」


「ほんまにぃ?」


「私が世迷言を吐いているとでも?」


 段々と対する二人の空気が冷ややかになりつつあることを、月都は察していた。


「ウチの娘達の方が可愛いに決まっとるさかいに」


「いいえ、先輩。私の娘達の方が愛らしいに決まってます」


「旦那さん」


「月都君」


「あんたはどう思う?」


「あなたどう思うかしら」


「えぇと、その」


 そんな折に結論の出せない問いを投げかけられたところで、目を白黒とさせるしかないのだ。


「姉ちゃんにもルコにも、それぞれ良さがあって――」


「だそうですよ、先輩」


「せやな、アリシア」


「――え!?」


 思わず日和った答えを出しかけて、月都はとうとう驚愕の声をあげざるを得なかった。


「何で魔導兵器を出すんですか!?」


「旦那さん。あんたも学園の生徒なら分かっとんやろ」


 紫子は薙刀型の魔導兵器をあろうことか室内でブン、と。重低音を響かせた上で振り回す。紫の火花が薄っすらとではあったが散っていった。


「意見が割れ、互いに譲る気はない。そういう時はコレに限るわ」


 アリシアは内向きにカールしたセミロング丈の金髪を高い位置で縛り上げ、白を基調としたスーツのジャケットを脱ぎ捨ててシャツ一枚になった後、レイピア型の魔導兵器を召喚した。


「何十年ぶりやろなぁ。こうしてサシで戦うの。大丈夫なんか? 男が出来て娘が出来て、あの狂犬も随分と丸うなったって聞いて心配やわ」


 紫子の煽りに、アリシアは眼鏡を外した上でこう答える。


「そういう先輩こそ、一線を退いて近頃はご息女の教育と家の運営に精を出しているようだけれど、準備運動はよろしくて?」


 至っていつも通りに笑顔の奥に凄みを感じさせる紫子とは対照的に、今のアリシアは邪悪で粗暴な普段なら決して見せない種類の表情を、ソフィアそっくりの顔に浮かべていたのだ。


「はっ、後輩が。口の聞き方がなっとらんで!」


「うるさいわね、先輩。敬うところがないんだから、仕方ないでしょ!」


 言っておくがここは室内。応接室である。


 大の大人が親馬鹿をこじらせて、魔導兵器を振り回すなど大人げないと文句の一つでも言いたいところではあった、月都。


(でも、人のことは絶対に言えねぇんだよなぁ)


 だがしかし、以前空の上でブラコンをこじらせたソフィアとシスコンをこじらせた自分が激突していることで、彼女らの乱痴気騒ぎを止める資格はおおよそ失ってしまったのだ。


 よって諦観に支配された月都は、紫子とアリシアの激突を黙して見守ることにした。








 一介のメイドに過ぎぬ自分が同席する意味はない。そういったせめてもの主への気遣いから、あずさは桜子を蛍子の元に送り届ける役目を自らに課した。


(……気まずいです)


 相手はまだ十歳そこそこの子どもである。態度こそ名門の子女らしく大人びてはいるが、手を繋いであげるくらいすべきであったか。いや、自分のような粗忽者にそんな細やかな対応が出来るはずもない――などなど、あずさの頭の中は苦悩でいっぱいであった。


 おまけに母である紫子から離れたからか、途端に桜子の口数が減ってしまう。


 相手は子どもとはいえ、あまりにも不自然な沈黙が続くと、あずさとしても非常に気まずいと言わざるを得ない。桜子が敵意を向けるべき相手ではないと分かっていれば尚更だ。


「蛍ちゃんは、その。旧学生寮にいると思うんですよ」


 何とか話題を探した結果は、ありふれた捻りもへったくれもないただの事実確認。


「はい」


「ですので、すぐにお会い出来ると思います」


「ありがとうございます、あずさお姉様」


 しかしそんなあずさの内心の葛藤を見透かしたかのごとく、並んで歩く桜子は天使のような微笑みであずさを見上げたのだ。


「あずさお姉様は蛍子お姉様と同級生でいらっしゃられますよね?」


「そうですね」


「蛍子お姉様は元気に過ごしておられますか?」


 会話の糸口を彼女なりには見つけたらしい。まだ若干の緊張を残しながらも、気丈にあずさへ話しかけていく。


「元気ですよ。毎日美味しいご飯を作ってもらってもいます」


「良かったですわ」


 胸に手を当てて、桜子はおそらく単一の感情で構成されたものではない表情を浮かべるのだ。


「蛍子お姉様がお元気であれば、これ以上幸いなことはありませんわ」


 桜子本人が異父姉である蛍子を慕っているのは、部外者に過ぎないあずさでさえ理解出来た。


 その上で、無邪気に姉を慕うことの出来ない理由も、かつて主に頼まれた調査から察せられるのだ。目の前の少女は何も悪くないにも関わらず。


「あら」


 旧学生寮に到着。


 最近新設された花壇の前で水やりをしていた人影が、あずさ達の足音に気が付いたのか振り返る。


「目が死んでいない蛍子のちっちゃいバージョンみたいな娘ね。どちら様?」


 中々な物言いではあったが、じょうろを片手にこちら側へと近付いて来るソフィアの感想とあずさの内心はおおよそ同じであったため、否定することは不可能であった。


「彼女は蛍ちゃんの妹さんですよ」


「やっぱり」


 一旦じょうろを脇に置いて、蛍子程ではないにせよ、女子にしては背丈のあるソフィアは桜子の目線に合わせて屈んだ。


「こんにちは。もしよければ、お姉さんにお名前を聞かせてくれるかしら」


 声音がいつもより優しく、それでいて弾んだものになっている。


 ソフィアは日本では大きな弟の、実家のあるイギリスでは四人の妹達の姉だ。姉としての振る舞いは充分過ぎるまでに板についている。


「ソフィアお姉様ですわね。月都お兄様のお姉様であられるとお話に聞いております。わたくしの名前は一ノ宮桜子ですわ。以後お見知りおきを」


 先程と同様に実際の年齢からはかけ離れた淑女のごとき挨拶を、桜子がお辞儀と共にやってのける。


「ちゃんと挨拶出来てえらいわね。いい子いい子」


「はうっ」


 されどソフィアは表向きの仮面に惑わされず、桜子を子どもに対するかのように――実際まだ子どもなのだが――接してみせた。


 初対面の女性に頭を撫でられるというシチュエーションも、ソフィアの人徳を前にしては、若干驚いた様子はあったにしても、さりとて嫌がっている風には見受けられなかった。


「桜子ちゃん。浮かない顔だけど、何か気になることでもあるの?」


「いいえ、そんな」


「ふふーん。それじゃあ、まずはこれを見てもらいましょうか!」


 そう言って、ソフィアは手のひらを大仰に広げた。


 閃光が手の内でほとばしったかと思いきや、光の奔流は様々な形へと姿を変えていく。


「わぁ!」


 まるで小規模な花火。ハートや星型、あるいは雪の結晶とバリエーションは豊かで、見る者を飽きさせない。


「すごいですわ!」


(こういうところも、ソフィアさんの強みですよねー……)


 魔力を巧みに練り上げ、多種多様な見た目に変じさせるソフィアの技量もさることながら、相手に寄り添うことを念頭に置いた彼女の真心に、あずさは感嘆を示すのであった。

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