第10話 姉妹揃って変態

「――あなたは、」


 目を見開いた月都。彼の目線はアリシアの背後から進み出た女性に釘付けとなった。


「誰かに似とった?」


 関西弁と思しきイントネーションで答えた女性は、たおやかに微笑む。


 見た目もそうではあるが、どこか古式ゆかしい品のある立ち振る舞いは、彼の初めての友人を想起させる。


「お初にお目にかかりますなぁ、旦那さん。ウチは一ノ宮紫子いちのみやゆかりこと申す者や。血族審判の支援をするにあたって、一度お話させてもろたら嬉しいんやけど」


 やはり――と。月都は女性の名乗りを受け、密かに納得していた。


 和服を纏い、短く髪を切り揃えた美女は、確かに蛍子の面影が見て取れたのだ。


「こんにちは、その……ルコのお母さんですよね?」


「ルコ……ふふふ。そういうことになるはずや。最もそう名乗れるかどうかの資格は別やさかいに」


 微笑みを崩すことはないものの、こめられた感情は複雑であることを、その口振りからありありと感じさせた。


「桜子。あんたも挨拶しぃ」


「はいですわ、母上」


 紫子の声に、彼女の背中からぴょこんと跳ねるかのような足取りで、十歳前後の少女が飛び出して来る。


 長い紫の髪をツインテールに、上品なワンピース姿が愛らしい少女は、お転婆な部分を感じさせながらも、良家の子女らしくスカートの端を掴み、優雅なお辞儀をなすのだ。


「初めまして、月都お兄様、あずさお姉様。わたくしは一ノ宮桜子いちのみやさくらこと申し上げますわ。以後お見知りおきを」


「ちっちゃい! 可愛い!」


「――まぁ」


 発作のごとく叫ぶ月都。その様を間近で眺めておきながら、蛍子の異父妹である桜子は月都の奇行に怯むことはなく、何故だか怪しげに目を輝かせた。


「月都お兄様はわたくしのようなちんちくりんではなく、蛍子お姉様のような熟れた女性がお好みかと思っておりましたが……そちらのあずさお姉様も、非常に大きなものをお持ちになっておられるようですし」


「ん? 姉ちゃんは結構小さいぞ?」


「月都君」


 桜子の流れるような弁舌と、月都のあまり深く思考していないがゆえの本音。


 しかし彼はもっと考えるべきであった。紫子と桜子をテラス席にまで連れて来たのは、いったい誰であったのかを。


「我が娘を侮辱するのは止めて欲しいわね」


 はしっ、と。肩に女性の手が載せられる。


 ぎこちない動作で後ろを振り返ると、アリシアが眼鏡の奥で柔和な瞳を細めていた。無論、笑顔のままで。


「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


 確かに娘を愛する母の前では断じて言ってはならない暴言であった。月都は慌てて謝罪する。


「おまけに随分と目の色を輝かせてたようだけれど。ひょっとしてロリコンだったりする?」


「俺って姉ちゃんくらいしか関わりなかったから! 小さい娘が物珍しくて!」


 あずさからは甘いと評価を得ていたアリシアではあるし、月都も彼女は慎重な性格で尚かつ人の情を持った女性であると見做している。


 けれど、学園時代に友人だった母から月都は度々聞かされていたのだ。本来のアリシアは暴君として振る舞う娘のソフィアよりもおっかない、狂犬じみた女性であったという過去を。


 ガクガクブルブル震えながらも、アリシアがまぁいいでしょう――と、呟いたことで、身から出た錆とはいえ月都は危険が去ったことを喜ぶのだ。


「あらあら、まぁまぁ」


 頬に手を当てて、桜子はのんびりとした態度で一連のやり取りを眺めていた。


「限られた時しか咲かぬ花を想うかのごとく、一時の少女時代を愛でる素養がおありとは、月都お兄様は風情のある御方ですわね」


 本当に話を聞いていたのかと思わず問いただしたくなる物言いではあるが、桜子の柔らかな語り口を前にしては誰もが不用意に口を挟めるわけもなく、おまけに保護者の紫子が楽しんでいる様子なので手に負えない。


「であれば存分に使って頂いて構いませんのよ? 姉妹揃ってというのも、また乙なものでございましょう」


「何か……うん。ルコの妹って感じがする」


 月都の率直な感想に、傍らのあずさも大きく首を縦に頷かせていた。


「――いえ、わたくしは尊敬すべき蛍子お姉様程に優秀ではありませんわ」


 しかしここに来て桜子の声音が、この時だけは、不甲斐ないとでも言わんばかりの己に対する嫌悪感が滲み出る。


「母上。大人のお話は未熟なわたくしにはまだ早いかと思われますわ。先に蛍子お姉様にお会いしに行ってもよろしいでしょうか?」


 それでも、負の感情を打ち消すかのように、桜子は蛍子の名を確かな親愛をこめて発した。


「構へんよ」


 そう言って、紫子はその背中をポンポンと優しげに叩いた。嬉しそうに桜子は顔をほころばせる。


「蛍ちゃんは旧学生寮にいるはずです。あずさが案内しますよ」


「それじゃあ、後は頼むな」


「お任せを、ご主人様」


 子どもが嫌いではないにしても、あまり関わったことがないからか、苦手意識を抱えるあずさ。


 けれど、彼女は話の邪魔をせぬよう気を遣ったのであろう。月都はその気持ちを有り難いものとして受け取っておくことにした。







 極東魔導女学園は、その八割がグラーティア家の支配下に置かれていると言っても過言ではない。


 アリシアが案内したのは、学園の一角に佇む理事長専用の建物。応接室にて月都と紫子は向き合う。アリシアは彼らの丁度中央で二人を見守る形だ。


「さて、旦那さん」


 艷やかな唇から前置きは発せられる。


「ウチが何でグラーティア家に、間接的には旦那さんを支援することに決めたかは分こうとる?」


 魔人にはよくあることだが、アリシアと同様四十は超えているにも関わらず、見た目の年齢は二十歳そこそこ。精々歳の離れた姉、といった風の美女だ。


 されど笑顔の中に潜む凄味に、月都は思わず圧倒されてしまいそうになった。


「分からないです」


 けれども平静を保つ。それでいて無駄な駆け引きを月都は好まなかった。


「素直な子やな」


「俺は結構、かなり、めちゃくちゃ? 世間知らずでして。探り合いとか交渉とか到底出来そうにないし、あなたとそういうことをしたくもありません」


 そう言って月都は素直に白状する。蛍子を間に挟んでいるとはいえ、これまで色々と便宜を図ってもらった紫子を警戒する理由はさりとてなかったのだ。


「なら旦那さんの好意に応えて、ここはシンプルにいきましょか。理由としては主に三つ、一つ目は旦那さんにも薄っすら予想つくんとちゃう?」


「ルコが俺の支配下にある……から」


「当たりや。ウチは旦那さんに感謝しとるんやで。あの子の自傷癖を止めてくれたことを」


 自傷癖と言われて最も思い当たるのは、死にたいがためだけに毒を呑み続けて失明まで至った蛍子の濁った瞳。


「知ってたんですね、ルコの目が悪くなった原因」


「当然や――それでもウチには止められへんだわけやけど。せやから本当に旦那さんには頭が上がりまへんわ」


 今でこそ改善傾向にあるものの、月都が学園に転校して来て出会った当初の蛍子の有り様は、ひどいものであった。


 おそらく紫子は娘を気にかけていたはずだ。メイドになってから時折挟まれる蛍子との雑談や、今の紫子の真摯な態度でそのことは充分に察せられる。


 しかし所詮は自分と同じ豚であると、蛍子は母を突き放し、彼女がのばした手は娘の拒絶によって届かなかったに違いない。


 月都が現れなければ蛍子はどうなっていたか――それは彼にも想像がつかなかったし、最悪の想定はするだけで空恐ろしくもあった。


「二つ目。一ノ宮と乙葉は昔から商売敵みたいなもんやさかい。夕陽がまとめとった頃までは良かったにしても、あんな卑怯者共をのさばらせておくくらいなら、潰した方が幾らか裏の世界も綺麗になるわ」


 母親の顔から一転。魔人の名門を束ねる長の顔へと切り替わる。引き締められた面持ちは武人のソレだ。


「失礼ですが、母をご存知で?」


 紫子の語りに愛しい名前を見つけたことで、月都の表情が分かりやすく華やいだ。


「学園時代の後輩やよー。勿論アリシアも含めてなー」


「……甚だ不本意ですがね」


 憮然とした態度でアリシアが答えた。二人の話を聞く傍ら、彼女は忙しなく書き物もしているので、理事長というものは多忙なのだとここに来て月都は知る。


「三つ目は、母としてでも一ノ宮の当主としてでもない。ただのウチの私情や」


「私情?」


 首を傾げる、月都。これまでとは打って変わった重い響きをはらんだ言の葉に、紫子の真意は潜んでいるに違いない。


「ウチの男を死に追いやった世界を、旦那さんは壊しなさるんやろ?」


 月都は学園一位の座を奪取し、魔神への挑戦権を獲得。彼女になり代わることを目的としている。


 月都が裏の世界における最大の天敵と化して力を振るえば、男が虐げられる世界を変革することはそう難しくはないはずだ。


 しかし、


「失敗する可能性もあるかもしれません」


「旦那さんが、人魚姫や魔神に敗北すると?」


「いいえ、そのどちらにも勝つ自信はありますよ。俺の言う失敗は自我が保てなくなったケースです」


 月都は夢を叶えるべく、グラーティアからの庇護を拒んででも、戦い続けることを己に定めた。


 けれど彼の夢はハイリスクハイリターン。もしも魔神に成り代わったとしても、得た力に振り回されるようであれば裏の世界だけではない。表の世界すら巻き添えに破滅が撒き散らされるのだから。


 珍しく常識的な懸念を挙げた月都。されど紫子は仄暗い炎を宿した双眸で、不安げな彼を見返した。


「えぇて、えぇて。成功したら男が虐げられる世界が変革されることで、彼はきっと浮かばれる。失敗したらしたらで魔人含めた人類全てが滅びるだけ。その暁にはウチが罰として死ねるんや」


 当初とはまた異なる意味で月都は気圧された。脇に視線を逸せば、アリシアも万年筆を動かす手を止めて身体を硬直させていた。


「な?」


 だが、それでも。あくまで穏やかに、紫子は年長者として月都へと微笑みかけた。


「いいこと尽くしやろ?」


 月都は思い知る。男を虐げる裏の世界に絶望し、尚かつ愛した者を救えなかった己を罰したいと願ってしまった女は、何も蛍子に限った話ではなかったらしい。

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