第8話 お見舞い

「おかしなことがあるものよね」


「はい……わたくしも思わず驚いてしまいました」


 吸血鬼騒動の次の日。学園内に設けられた医療施設の廊下を二人の少女が並んで歩いていた。


「そのわりには妄想を爆発させてたって、つー君から聞いたわよ? 肉欲とか情事とか何とか」


「わたくしは変態でございますので」


 横を向いた蛍子がニコニコと微笑み、それを受けたソフィアがジト目のまま肩を竦める。彼女の変態性を論じるのが無駄であることを今更ながらに思い出すのだ。


「監視カメラには旧校舎側に向かった蛍子は映っていない。逆に門から真っ直ぐに旧学生寮に向かった姿は映っている。そもそもつー君とあずさがアナタに出会ったって証言した時間は、私と電話していたわけだし」


「さらにわたくしがソフィア様と電話をしていたのは、一ノ宮の家人が運転する学園へ向かう途中の車の中。どう足掻いても時間が合いません」


 先日の夜遅く、旧校舎前で月都とあずさは蛍子に出会ったと証言している。


 けれども数多の客観的証拠から、蛍子本人が一切旧校舎側には向かっておらず、彼らと接触していないことは、疑う余地なく証明されていたのだ。


「月都様にはわたくしの無実を信じていただけて何よりでした」


「【絶対服従】がかけられているのだから。嘘なんてつけるはずがないもの」


 最後の確認として月都が固有魔法【絶対服従】にて嘘を禁じた後、蛍子に事の是非を問うたものの、やはり彼女は本当に何も知らないことが判明。嫌疑はすぐ様晴れたのだ。


「偽物がつー君に直接的な危害を加えたわけでもないのだし、アナタは悪くないのだから、気にする必要なんてないわ」


「有り難きお言葉。心より感謝を申し上げます、ソフィア様」


「えぇ、それはそれとして――蛍子。アナタどうして私のことをソフィア様って呼ぶようになったの?」


 と、そこで。ソフィアは唐突に話題の矛先を変えた。


 しかし前々から気にはなっていたのだ。何故、蛍子は月都を月都様と呼ぶように、自分にも様をつけているのか。その理由を。


「ソフィア様はソフィア様でございますので」


 やけにキッパリとした調子で蛍子が端的に答える。


「理由になってないわよ」


 ソフィアに様をつける呼び方に、蛍子なりのこだわりや頑なさがあることは知れたとしても、求める答えになってはいない。


「確かに私は学年がアナタの一つ上ではある。それでも今はつー君に従う奴隷同士、関係は対等なはずでしょ。かしこまらずもっと気楽にソフィアとかでもいいのに」


 そこまで言ったところで、不意にソフィアの表情が曇るのだ。


「あ……それとも、私のこと嫌いだったりする?」


「いえ、わたくしはソフィア様に現在多大なる好感を抱いております」


 ソフィアの懸念は杞憂であるのだと、蛍子は即座に首を横に振る。後ろに縛った紫の長い髪も遅れてついてくるのだ。


「わたくしにとってソフィア様は特別視すべき女性です。月都様のように人間ではなく豚であることに違いはありませんが、しかし、やはり、尊い」


 両の手を組み合わせ、優しげな微笑をたたえた蛍子は、ソフィアの碧の瞳を見据えて言い切った。


「だから何が?」


「それは内緒でございましてよ」


 唇に人差し指を重ねた上で、このように言われてしまえば問い詰めることも難しい。ソフィアは追及を苦笑いと共に打ち切った。








 病室のネームプレートには周防小夜香の五文字が刻まれている。


 扉を軽くノックして、返事が中から返ったのを確認、ソフィアと蛍子は病室内に立ち入る。


「お加減はいかがでしょうか? 小夜香先輩」


「吸血鬼に襲われるなんてついてないわね。でももう安心なさい。つー君が退治したから」


「……全く、こんな物騒な時期に無茶な真似をする」


 口調こそぶっきらぼうではあったが、内心では小夜香が後輩達を心配していたであろうことは、ソフィアや蛍子にもひしひしと伝わって来るのだ。


「そう言わないであげて頂戴。学園で血を奪って回ってるのがつー君だって根も葉もない噂が流れたせいで、動かざるを得なかったのよ」


「へー、そんな噂が。そりゃあ初耳だぜ」


 しかし一見すると邪気のない小夜香のこの言葉には、さしものソフィアも片眉を吊り上げざるを得ない。


「周防は生徒会長代理でしょ? どうしてその話を知らずにいられたのかしら」


 月都から電話を受けた際、僅かに抱いた違和感が、今ここになってソフィアの心の中でパンパンに空気を詰められた風船のように膨れ上がる。


 本質的にソフィアは争いを好むタイプの人間ではない。けれども、今彼女の双眸から発せられる眼光は、強烈な猜疑と敵意に満ちていた。


「あたしはおまえじゃねぇんだぞ」


「どういう意味?」


「誰も彼もがグラーティアみたいに優秀で、人の上に立ち、人を使うことに慣れてるわけじゃないってんだ」


 同級生の穏やかならざる視線を真っ向から受け止めて。


「目の前のことで精一杯だってのに、そんな細かい噂まで拾えるわけねぇよ」


 緊張に身体を強張らせることもなく、至って自然体に、刃のごとき鋭い眼光を小夜香は淡々と見返すのだ。


「吸血鬼の出現自体は知っていたのよね?」


「それついては報告が上がってたから流石にな。つっても、おまえさんはもう知ってるものだとばかり思ってたんだよ。だからわざわざ言うまでもないって判断さ」


 ソフィアの詰問に動じる気配は皆無。


「そう、分かったわ」


 未だに疑惑は残る。されどこれ以上問い詰めたところで、何も有用な情報を引き出せはしないだろうと、ソフィアは密かに諦観の息を吐いた。






 気を取り直して、ソフィアは小夜香の病室を訪ねた本来の目的に立ち返ることにした。


「これ、お見舞いの花ね」


「ありがと、嬉しいよ」


「こちらは小夜香先輩のお好きなお菓子でございます。たくさん食べて養生してくださいませ」


「わざわざ買ってくれたのか。忙しいだろうに、すまないな」


 一瞬、張り詰めた空気が病室を満たしたが、それも霧散し小夜香と蛍子は楽しげに雑談を交わしてさえいる。


 両者の仲の深さ――そういえばこの二人は月都と関わる前から先輩後輩の仲だったか――と、ソフィアはひとりでに納得しつつ、持って来た花を花瓶に差し込む。


「あら?」


 するとこれまでは注目の外にあった窓際に、あろうことか鉢植えの花が置かれているのを目撃してしまうのだ。


「随分とまぁ、困った代物ね」


「あぁ、それ」


「縁起が悪いものを見舞いに持って行く……どこの誰だか知らないけれど、非常識も甚だしいのではなくて?」


「おまえの弟が持ってきたんだぞ」


「きょーーーーーーーーーーーーー!?」


「あらあら」


 常識知らずの見舞い客を批判しようとして、それが愛すべき弟であったことに奇声をあげてまで驚愕するソフィア。非常に言いにくそうではあったものの、これ以上姉の傷口を広げぬよう事実を告げるべきかと決意した小夜香。そんな二人の様子を側で眺め、蛍子はおっとりと小首を傾げていた。


「すっ、素敵な花ねぇ! こっ、こんな素晴らしい花を持って来る人は! さっ、さぞかし可愛い男の子なのでしょうねぇ!」


「大丈夫か? 手のひらくるっくるして手首ねじ切れそうなんだが」


 知らず知らずの内に月都を批判していたことに気付いたソフィアの変り身は早過ぎるあまり、当の本人が一番ダメージを背負うハメになってしまったのだ。

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