第7話 討伐
吸血鬼は突如行く手を阻んだ隔壁を破壊しながらも、血の匂いに飢え、そして酔っていた。
彼女自身己が何者かは分からない。
だが、土の中から這い出て生まれた時から、自分は強者の血を求めていたのだ。それだけを理解していれば充分であった。
極東魔導女学園の魔人達。芳醇で味わい深く、それでいてどこか懐かしい匂いのする彼女らの血を奪うため、吸血鬼は邁進する。
「こちらに逃げられたようですね」
隔壁の破壊を終え、先に見据えるのは渦を巻くように長い螺旋階段。彼女は重たくなった喪服の裾を翻し、三階へと向かう。
「――来ます」
あずさはその言葉だけを残して暗闇の中にかき消える。彼女が本気で気配を消してしまえば、もう月都には察知出来ない。
教室の扉が開かれる。
ゆったりとした歩調。水を吸って重くなった喪服を引きずる女が、ズルリと滑り込んだ。
その表情はベールに覆われ覗えないものの、上質な血を前に舌なめずりをしている気配だけは伝わって来る。
月都は無防備にも棒立ちで、吸血鬼を待ち構えていた。彼の手には最早拳銃もスマートフォンも握られてはいない。
「俺個人にあんたへの恨みはないわけだが」
いっそ気安い調子で月都は告げた。
「どうしようもない噂の払拭のために犠牲になってくれや」
月都には視認することが出来ない高速移動。吸血鬼は血を奪うべく、彼の首に牙を突き立てようとしたまさにその瞬間――、
魔力の脈動を意図して抑え、闇に隠されていたガトリング砲が一斉に火を吹いた。
月都の背後に佇むその兵器は今や遠く離れたソフィアの手中にある。
動力源は魔力。されど一切弾丸から魔力を発することはない。ただの武力たるソレは全てが月都を避ける形で吸血鬼に着弾した。
「……がっ、」
悶絶する吸血鬼。
彼女の身体に無事な箇所は存在せず、痛々しい傷口が全身を満たし、鮮血が勢い良く噴き出した。
吸血鬼が魔人にとって脅威であったのは、ひとえに彼女らの存在意義にも等しい魔力や魔導兵器、固有魔法が通じなかったがゆえのこと。
最上級の美味であろう月都を囮に、圧倒的火力によって蹂躙してしまえば、再生能力があるとはいえ、最早吸血鬼は敵とはなり得なかった。
「ご主人様の血を卑しくも求めた罪。その罰を身をもって思い知れ」
天井に気配を殺して張り付きながら、ソフィアの目の役割もこなしていたあずさがフワリと舞い降りる。けれど、優雅にも思えた所作は第三者の視点からに過ぎない。
彼女は降り立つ。ガトリング砲の火力をモロに受けた吸血鬼の脳天へと突き刺すように。
「く、ああっ!!」
頭への衝撃で意識が明滅しているのであろう。苦悶の声をあげた吸血鬼が震える。
「じゃあな」
優しげな声音で月都は彼女の心臓と思しき位置に、懐の中から取り出した拳銃を押し当てた。
パンと、軽やかな銃声と共に弾丸は放たれる。
心臓を貫かれ、先程負ったダメージにより再生は追いつかず、ついに吸血鬼は沈黙した。
『この世界は魔力に満ち満ちているわ。表の世界の住人は把握していないようだけれどね』
生け捕りという当初の目的から処分へと切り替えた要因は、事前にソフィアから聞かされていた推測が割合を大きく占めていた。
『地球を巡る豊潤な魔力は、大多数の人々に知られぬ生態系を密かに作り出すことがある』
改めて先程よりも細かなソフィアの説明を聞きつつ、月都は天井をおもむろに見上げた。そこには監視カメラが稼働している。これで生け捕りにはせずとも、月都とあずさが学園を騒がせていた吸血鬼を討伐したという記録は残された形だ。
『周防が世話をしている空飛ぶ兎だったり――』
「――ルコが昔お茶にして呑んでた猛毒のキノコ、とかだな」
よって此度の一件は一応の解決を果たしたのである。
『おそらく吸血鬼と呼ばれた彼女は元魔人。学園内にある墓地に埋葬された魔人が魔力の影響で変異して、血を求める吸血鬼となったのでしょう。ま、細かいことはウチの研究者に調査させて結果が出るまで分からないけれどね。あくまでこれは私の大雑把な推測だから』
ソフィアは自身の推論に信憑性はないと当初より一貫して語るも、おそらく姉の推測は真実に近いであろうと月都は直感で同意した。
極東魔導女学園は対魔神戦における要塞にも用いられている。直接魔神と相対するのは序列一位だけであるとはいえ、援護にあたった魔人が流れ弾で死亡することもさりとて珍しくはない。
力の足りぬ無念を秘めた死体が、学園内の墓地から這い出て強者の血を求めたというのは、持つ者である月都には理解し難い感情ではある。
そもそも彼は女が、魔人が、大嫌いな人間だ。だがしかし死んでも尚、化物と化してまで足掻こうとした者を侮辱することは流石に出来なかった。
(生け捕りにして研究機関に弄くり回されるよりも、死なせてやった方が花だろ)
実に傲慢な理屈。しかし月都は死ぬべき時を逸した人間を知っている。心を壊したまま、屍のように逆襲を掲げる愚か者ならここにいた。時と場合によって終焉は救済以外の何物でもないと彼は自身の経験を元に判断したのだ。
『つー君』
「ん?」
『信じてくれてありがとう』
改まった姉の様子に月都は思わず姿勢を正す。
『失敗してばかりの、役立たずな姉なのに、つー君はつー君自身を囮にする策を受け入れてくれた』
「――何言ってるんだよ」
姉の弱気な発言に月都は勢い良く言葉を覆い被せる。
「姉ちゃんを信用していないなら、わざわざあんな切羽詰まった時に電話なんかするはずないだろ。俺は姉ちゃんに助けて欲しかった」
『……つー君』
嘘偽りのない本心。そのことをソフィアも電話越しに受け取ったのであろう。声音が感激で揺れていた。
『大好き!』
「おう! 俺もだぜ!」
「お二人とも、実に仲がいいですねー」
あずさが苦笑するも、これはこれで随分とソフィアに対して当たりが柔らかくなったものであると、月都は声に出さずとも微笑ましさを覚えていた。
あずさと共同で用いている旧学生寮に戻ると、合鍵を使って中に入ったと思しき蛍子が台所で料理の仕込みをしていた。
束ねた紫の長い髪は料理の邪魔にならぬよう後頭部でまとめ、結わえられている。彼女は和装とエプロンを組み合わせた和風メイドスタイルで、黙々と作業を続けている。
「ルコ、ただいま」
「ただいまなのです、蛍ちゃん」
「あら、あら。ご無沙汰しておりました、月都様、あずさちゃん」
月都達が声をかけたことで、蛍子はようやっと顔を上げた。相当集中していたらしい。
「月都様」
楚々とした振る舞いで蛍子は月都に向き直った。
「長らく暇を頂きましたが、これより血族審判が始まるまで月都様への忠誠心を糧に、メイドその二としていっそう務めていきたいと思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます」
大和撫子さながらに深々とお辞儀をした。その様は実に洗練されており、思わず見惚れてしまう程の出来ばえではあったのだが、
「え?」
月都はいっそ場違いなまでに間の抜けた声をあげてしまう。
「どうされましたの? 狐につままれたような顔をしておいでですが?」
主の反応を訝しく感じたらしい。前髪で隠されていない右の瞳を蛍子は細める。
「だってさっきも会っただろ? 旧校舎の前で。何で二回も同じようなことを言ってんだ?」
そう、月都のみならずあずさも。旧校舎付近で二人の後をこっそりつけていた蛍子を取り押さえる形で彼女と遭遇しているはずなのだ。
にも関わらず、今ここにいる蛍子はまるで先程の遭遇がなかったことのように振る舞っている。
「わたくしは学園に戻って一直線に月都様のお部屋に参りました。旧校舎になど向かってはおりませんよ?」
「……っ」
言葉を失い絶句する。ちらりと後ろを振り返ると、月都と似た呆然とした表情であずさも佇んでいた。
「そもそもこんな夜更けにあずさちゃんと二人きりで何故旧校舎などという、人気のない場所に向かわれ……はっ!!」
大き過ぎる衝撃に黙り込む月都とあずさを順番に見やった後、蛍子は突如興奮した面持ちで、細めていたはずの光の無い瞳を見開かせた。
「もしや! 日頃溜まりに溜まった肉欲を発散すべく! 寮ではなく敢えて外で! 情事に耽っておられましたのね! あぁ! もう少し早く学園に帰還していれば! 出歯亀は元より! わたくしも混ぜて頂くという僅かな希望がございましたのに!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます