第3話 招かれざる客人

「マズいことになった」


 ローレライの自宅から旧学生寮へと帰宅し、月都はあずさに自分が吸血鬼であるという間違った噂が学園内で広まっていることをすぐ様相談した。


「ご主人様が吸血鬼だとか、見当違いも甚だしい。これだからゴミはさっさと処理してしまうに限るのでしょう」


 相変わらず愛らしい顔立ちでとんでもない毒を吐くメイドである。


「まぁまぁ。女は憎いが逆襲劇の観客がいなくなるのは困る。今回も不要な犠牲はなしだ」


「ご主人様がそうおっしゃられるのであれば、メイドたるあずさは従うまでです」


 それでもあずさは月都を盲信しているがゆえに、彼の言う事に対してだけは甚だしく素直であるのだが。


「本当は後一月くらい大人しくしておきたかったんだけどな。流石にこんな噂を残したまま、血族審判になんて専念出来ないわけだし」


 血族審判の準備で蛍子は長らく不在。ソフィアも先日の朝から所用で学園の外に出ているので、現在月都の身内はあずさしか側にいなかった。


「俺達二人で吸血鬼とやらをとっ捕まえよう」








 夜の二十二時を過ぎた辺りからが最も吸血鬼が現れる時間帯とされている。小夜香が襲われたのも実際にその時間であったらしい。


「全寮制とはいえ、夜は本当に人がいねぇな」


「今は吸血鬼騒動もありますし、そのせいで余計に人の足が遠のいているのかもしれませんね」


「俺としては女と顔を合わせなくて気が楽なわけだが――」


 学園の制服に身を包む月都とメイド服のあずさ。主従は最も直近の被害者である小夜香が血を奪われた現場とされる旧校舎付近へと向かおうとしていた。


「あずさ?」


 けれど、あずさが険しい面持ちで勢い良く後方に振り返ったかと思うと、


「曲者っ!!」


 月都の動体視力では到底追いつけない速度で、薄暗く視界の悪い茂みの中に飛び込んでいく。


「って、蛍ちゃん!?」


「あらあら、まぁまぁ」


 気配を限界まで殺した人影を瞬時に組み伏せて、されどその正体はよく見知った人物――蛍子であったのだ。


「びっくりさせないでくださいよー。ご主人様を狙うゴミと勘違いしたじゃないですかー」


 張り詰めた敵意は霧散して、あずさは拗ねたように唇を尖らせつつ、蛍子に覆い被さるようにしていた体勢を解いて立ち上がった。


「何でそっちから声をかけなかったんだ?」


 純粋な疑問が月都の口からついて出る。


「何故と問われますと……」


 自分を組み伏せていたあずさがどいたことで、蛍子も遅ればせながら立ち上がった。地面に倒れたことでついてしまった土や葉を払う様子は、優美の一言に尽きる。


「若い男女が二人っきり、人気のない夜道を歩いて、向かう先は旧校舎のある寂れたエリア。これがどういうことか分からないわたくしではございません――つまり!」


 たおやかな笑みを浮かべながら、どことなく興奮した面持ちで、蛍子は人差し指を一本立てた。


「月都様とあずさちゃんは溜まりに溜まった肉欲を発散すべく、敢えて外で情事に耽るおつもりでしたのね!」


「ちげぇよ!」


「違いますってば!」


 慌てて月都とあずさが主従揃って否定するも、この状態に陥った蛍子を止めることは困難を極める。


「わたくしは卑しい卑しい豚ですので、どうしても出歯亀をしたいという衝動。そしてあわよくば混ぜて頂けないかという欲望が抑え切れなかったのです」


「変態が! 変態がいる!」


「あら、あら、あら。わたくし本当のことをおっしゃられたところで、堪えるような身ではありませんゆえ」


 最早お馴染みとなったやり取りを終え、蛍子は姿勢をピンと正した。ただでさえ長身の彼女なので、その様は傍目から見てもよく映える。


「月都様」


 その上で深々とお辞儀をした。顔半分と見えなくなった左眼を覆い隠す長い前髪も、遅れてついてくるのだ。


「長らく暇を頂きましたが、これより血族審判が始まるまでの間、月都様のメイドその二として、改めて誠心誠意仕えさせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます」


「おう、よろしくな」


「それでは。わたくしは先に寮へと戻り、明日の仕込みを始めます。お二人はどうぞごゆっくりしけこんでくださいませ」


「だから違うって言ってるじゃないですかぁ!?」


 大和撫子のごとき風格を醸し出しておきながら、やはり不変であった変態さ加減に、月都もあずさも脱力感を覚えざるを得なかった。







 蛍子と別れた二人は小夜香が吸血鬼に血を吸われた現場に到達していた。しかし事前に聞かされていた通り、現場には血も何も残されてはおらず、目ぼしい手がかりは特に見当たらない。


「薄気味悪い場所だな」


 周囲を見回して月都は率直な感想を口にする。


 極東魔導女学園の旧校舎は新しい校舎と同じく現代日本に似つかわしくない城塞めいたこしらえであったが、まだ人の気配があるあちらよりも、寂れ朽ち果てつつある旧校舎の方が夜という環境も相まってより不気味さが増していた。


「色々と怪談話があるところらしい。姉ちゃんが言ってた」


「幽霊ですか? あずさはあまりそういった非科学的なモノは信じないタチなのですよ」


 鋭敏な五感を研ぎ澄ませ、僅かな手がかりも見落とさぬよう努めるあずさが珍しく月都の意見に同調しなかった。


「死ねば、無です」


「……そうかもな」


 魔人の中でも特に人の死と近い暗殺者らしい返答に、月都もただ頷くより他はなかった。


 そうして二人は暫くの間無言で、吸血鬼が残した何かはないか、もしくは吸血鬼の側からの接触はないかと近辺をうろつく。


 けれども彼らは遭遇したいと願う者ではなく、先はともかく今は会いたくないと望んでいる招かれざる客と、不本意極まりないことに邂逅してしまう。


「やぁ、こんな夜更けにお仕事とは。精が出るね、兎のお嬢さん?」


 何もなかったはずの暗闇から人が生まれい出たかと思いきや、あろうことかソレは絹糸のようなプラチナブロンドの髪を揺らし、あずさの肩を親愛に満ちた態度でもって叩こうとしていた。

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