第30話 兎耳メイドの膝枕

 かつて月都を虐げていた乙葉家現当主の銃殺を試みたことで、ソフィア・グラーティアにはさしあたって二つの危機が訪れていた。


 第一に、暴走した魔人として認定されたことで、裏の世界の規則に基づき、学園の序列一位ローレライ・ウェルテクスを処刑人として送り込まれること。


 第二に、暴走状態の行きつく先は本物の魔人、人外と化す未来であり、二度と人間には戻れなくなってしまうということ。


 そのどちらも月都が解決したことで、ようやっと此度の事件は一旦の終息を迎えた。


「お疲れ様でした、ご主人様」


 日本国内における裏の世界の側に置かれた、グラーティア家が保有する別荘の一室。


「当初の予定とは違いますが、それでもご主人様の目論見通り、ソフィア・グラーティアを引き入れることで、グラーティア家を明確に味方につけることには成功しましたね」


「しかも一ノ宮家までもがグラーティア家と同盟を組んだそうだ。これで血族審判までついてくるんだから、ウェルテクスを倒す前にあの女を抹殺するっていう俺の目的は、無事に果たせそうってわけか」


 ソファに倒れ込むような体勢で腰掛ける月都の顔には、疲労が色濃く刻まれていた。


「どこからどう見ても万々歳の結果なんだが……」


「ご主人様の御考え通りであれば、ソフィア・グラーティアに学園にて決闘を挑み、序列二位と生徒会長の座を奪取。その上でアリシア・グラーティアとの交渉に挑む予定でしたからね」


「そう。姉ちゃんに首輪をつけるつもりはなかった」


 戦闘時にも言っていたように、姉に対してだけは固有魔法を用いて支配することを避けたいと、最後まで月都は願っていたのだ。


「でも、今更そんな虫の良い話、あるわけないんだよな」


 手と足を投げ出したまま、傍らのあずさへと向き直る。


「俺は既にあずさにもルコにも首輪をつけて、人生を、尊厳を。現在進行形で踏みにじっている」


 苦笑のような微笑のような。形容し難い複雑な表情をあずさは浮かべていた。


「確かに姉ちゃんは特別で、大好きで、愛しているけれど、心の奥底にある女への憎しみが消えたわけじゃあない」


「所詮、あずさと蛍ちゃんはご主人様にとって赤の他人ですよ」


 自らを多大に皮肉る月都の物言い。


「ソフィア・グラーティアは家族、というものなのでしょう? であれば、赤の他人に【絶対服従】をかけるよりも、肉親に【絶対服従】をかけた方が堪えるに決まっています」


 それを受け、どことなくナーバスになっている月都を慰めるかのように、あずさは隣に寄り添った。


「ご主人様はあずさ達にだって、気を遣ってくださるのですから」


 肩から伝わる体温が、月都にはひどく心地よい。


「まぁ、全面戦争は避けられたわけですし、今は難しいことを考えるのはやめにしませんか?」


 軽快にあずさが手を打ち鳴らす。


「幸いなことに、ソフィア・グラーティアの容態も落ち着いたそうです。彼女が目を覚ますまでにはまだ時間がありますでしょうし、ご主人様もお休みになられた方がよろしいかと」


「そう……だな。言われてみれば眠たくなって来たような、そんな気が」


 言われて初めて、まぶたが重たくなっているのを実感する。あまりの疲労のせいか、睡魔までもが正確に認識出来てなくなっていたようだ。


「ちなみにですが」


 微睡みかける月都の耳元を優しげな吐息がくすぐった。


「この部屋には寝具がありませんので、代わりにあずさが枕となりますね」








 あずさに膝枕をしてもらい、たっぷり五時間程仮眠をとった後、同じ別荘で治療を受けているソフィアの意識が戻ったとの報告を受けた、月都。


「姉ちゃん、具合はどう?」


 一瞬で起き抜けの眠気も吹っ飛び、月都はソフィアのいる部屋へと駆けつけた。


「……身体に問題はないわ」


 顔色こそあまり良くはないが、手や足の先から始まっていた人外化は治まり、病衣から覗くのはいつも通りの華奢な肢体であった。


「結局、全部私のせいなのよね」


 ため息を吐き出すかのごとく、悔恨に満ちた声音がソフィアの口から漏れ出る。


「人間上手くいかない時だっていくらでもあるさ」


 強張ったソフィアの肩をほぐすべく、ポンポンと撫でるように手を置いた。


「それに夕食会? で、あの女が俺のことをけなしていたのがトリガーだったって、アリシアさんは言ってた。その怒りは自分のためではなく、弟である俺のためってことだろ」


 ソフィアはビクッ、と。身体を揺らすも抵抗するだけの体力はないのであろう。されるがままに身を委ねる。


「ルコの図太さを見習おうぜ。あいつは俺に殺されたいとか何とか超ド級の告白かました次の日の朝、俺の部屋で意気揚々と裸エプロンでだし巻き卵作ってたからな」


「……一ノ宮よりもひどいわよ」


 場を和ますためのジョーク――ではなく本当にあった変態の奇行ではあるのだが、意気消沈したソフィアをクスリともさせることが出来ない。


「つー君が望んでもないのに突っ走って、お母様達にも散々迷惑をかけた挙句、みんなの優しさに甘えてこうも恥を晒し、生きながらえるだなんて……」


「じゃあ、こうしよう」


 切り口を変える。普通に励ますだけでは立ち直れないのだと、月都は理解した。


「俺は姉ちゃんを手元に置いて、グラーティア家を味方につけたかった。本来の計画からは逸れたが、グラーティア家の娘の生殺与奪を固有魔法によって握ったことは、男が虐げられる世界において逆襲するための大きなアドバンテージとなる」


 学園で通常の決闘をして、ソフィアから奪った立場を元にグラーティア家と交渉するよりも、今回の顛末てんまつの方が月都にとっては格段に都合が良い。


「血族審判もそうだ。俺は乙葉の中枢にだけは何としてでも復讐したい。そのためには、血族審判の勝者に与えられる命令権を行使して、のうのうと後方に座しているあいつらを俺が制裁するのを、周囲に黙認させるしかない」


 何しろグラーティア家現当主にして、極東魔導女学園理事長アリシア・グラーティアの愛娘を救ったという事実によって、彼女に多大な恩を売れたのだから。


「姉ちゃんは確かに突っ走ったけど、結果として俺にはプラスしかもたらしてないんだ」


「結果論よ」


「結果論? 大いに結構。俺は敵の暗殺者だってたぶらかして、側に従者として置いている男だぜ」


 唇の端を吊り上げて、ニヤニヤと笑う。


 嘘をついていないとはいえ、敢えて露悪的に語り、振る舞うことでソフィアの心のモヤを晴らす心積もりであった。


「血族審判には四人が必要だ。それもとびきりに腕の立つ」


 多少の効果はあったようで、陰鬱に過ぎたソフィアの纏う空気が、僅かではあるが薄らいでいくのが感じ取れる。


「グラーティア家と同盟を結んだ一ノ宮家からは当然ルコが、名目上グラーティア家ってことで、俺とあずさが出るのは確定になってる」


 ゆえに月都はここに来て、ソフィアを戦力として欲していることで、彼女の価値が此度の一件で全てが無に帰したわけではないという考えを言外に示すのだ。


「勝つか死ぬかしかないデスゲーム。危険なことは承知の上だ」


 最も月都の本音は、生きてさえいてくれれば、他に姉に求めるものは何もない。


「だけど俺は、あずさとルコ以外に信頼出来る魔人が姉ちゃんしかいない」


 けれども、そんな甘い言葉だけで立ち直るようなソフィアではないからこそ、現実的な観点から彼女の背中を押そうと試みるのだ。 


「だから頼む。どうか、仲間の少ない弟に手を貸してくれ」


「……」


 長く、深い沈黙が訪れる。短い時計の針が一周程回ったところで。


「……つー君は魔神と戦って、なり代わることが最終的な目標なのよね?」


 か細くはあるが、しかし確かにソフィアの発した声が聞こえるのであった。


「あはは……やっぱりバレてたか」


「私、手伝うわ」


「えっ」


 姉の指摘が的を射ていたがために脱力気味に苦笑いをしたのも束の間。思わず月都は驚愕に言葉を詰まらせてしまう。


「乙葉家との血族審判に勝って、ウェルテクスを倒して、魔神と使い魔を蹴散らして、無事につー君を神をにする。それがお姉ちゃんの役割なのよね」


 これまでは月都の安全を考え過ぎるあまり、魔神と戦うことを強固に反対していたソフィアから、まさかの積極姿勢を引き出すことに成功したのだ。


「もしも私が姉としての役割をちゃんとこなせたら、その時は聞いてくれるかしら」


 不安げに揺らめくソフィアの双眸が、月都を覗き込む。


「私の姉としてだけではない。女としてのつー君への気持ちを」


「……姉ちゃんの、俺への、気持ち?」


 その様は、暴君として対外的に示す苛烈さからはかけ離れている。


「アナタは白兎あずさに恋をしているでしょうから。元婚約者であるとはいえ、今更、私なんかが入り込む余地がないのは分かっているけれど」


 ただの儚げで、弱々しい、一人の少女がそこにいた。


「それでも、せめて私はつー君のお姉ちゃんでありたい。もう二度と足を引っ張らないようにする」


 そう言ってソフィアはうつむいてしまう。金色の長い髪が彼女の横顔を覆い隠した。


「だから……お願い。見捨てないで。私、一人じゃ、生きていけないの……」


 ソフィアは本来、争いに向かない穏やかな気性の少女だ。


 姉の久しぶりに見せるか弱い様子に焦り、だがそれ以上の愛おしさがこみ上げて来たことで、何も言わずに彼はソフィアを抱きしめた。

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