第25話 パンチラ、再び

 蛍子と一旦別れた月都は、あずさを探してホテルを模した拠点の内部、その廊下を彷徨っていた。


(正式に処刑人の役割から手を引くって書面が、ウェルテクス家から一ノ宮家に届いたみたいだし、とりあえずローレライに関しては安心していいだろう)


 いったいローレライが何故ああまでして自分に入れ込んでいるのか、疑問は多い。だが、今はソフィアを救うことが先決であると定めた。最もこのことからも分かるように、平静を装っているようでいて、月都の中の焦りは決して小さくなかったのだが。


 落ち着かない心を抱えて廊下を進み、丁度曲がり角を折れたところで、


「え?」


「おっ」


 キョトンとした風に目を丸くさせたあずさと目が合う。


「うにゃん!?」


 避ける暇もなく激突。あずさは驚異的な身体能力を誇るものの、普段は固有魔法によってそれを縛めているので極端なドジと化している。


 百八十近い背丈の月都と百五十にも満たないあずさ。どちらが派手に吹っ飛ぶかは、結果を見る前から分かりきっていた。


「あたたたたなのです……」


「悪い。あずさ、大丈夫――」


 そこで月都は思わず目を点にしてしまう。


 彼の視線の先には涙目のあずさが転がっているのみならず、メイド服の裾が派手にまくれ上がったことで見えてしまったパンツまでもが圧倒的存在感を放って鎮座しているのだ。


 女嫌いとはいえ月都とて健全な男子高校生。懐の中にいる異性に対しての反応は一般の範疇から然程逸脱していなかった。


「はうあっ!?」


 清楚な白のパンツが丸見えになっていることに遅ればせながら気が付いた、あずさ。


 瞬時に顔をタコのように真っ赤にして、慌てた様子で立ち上がる――が、スカートの中身を月都が見てしまったという観点からすれば、そのリカバリーは甚だしく手遅れなのだ。







「ご主人様! こちらにお戻りだったのですね!」


 頭のてっぺんから生えた兎耳をピコピコとうごめかせることにより演出される、小動物めいた愛くるしさ。


 メイドに相応しい立ち振る舞いを意識しているあずさの姿をじっと眺めた後、


「珍しいな」


「ふぇ?」


「人の、しかも俺の気配に気付かないなんて」


 月都は端的な違和感を告げた。


「考え事でもしてたのか?」


「いっ、いえ! あずさとてたまには上の空になってしまうものなのですよー!」


 思いっきり目が泳いでいるあずさだが、あくまで彼女が塞ぎ込み、苛立っていた事実を認めることはないのだ。


「反省ですね。えへへ」


「……」


 暫し無言であずさを観察。


 だが、愛らしいポーカーフェイスに阻まれた彼女の内心は、月都とてそう簡単に読み取ることは出来ない。


「あずさ」


 されど自分のメイドが決していつも通りでないことくらいは大雑把には察せられるのであった。


「俺はあずさが本当は優しい奴だってことを知っている」


 何を言うべきか散々迷った挙句、先程まで蛍子と交わしていたあずさについての所感を、良いタイミングだということで改まって語ることにした。


「!?」


 ひとまずその言葉に硬直で驚愕を示してから、思い出したかのようにあずさは首を横に激しく振った。


「そんな……滅相もございません……」


 メイドのかしこまった態度に、ちょいちょいと手招きを一つ。


 あずさにとっては敵地でしかないのだが、元々グラーティア家と親交のあった月都にとっては勝手知ったる他人の家ということらしい。近くにあった椅子に腰掛けるよう言外に勧める。


「根拠はこれまでにも色々あるが、そもそも、おまえは遊園地で表の世界の住人の無事を優先したそうじゃないか」


 先にあずさを椅子に座らせ、月都はすぐ側にある自販機で飲み物を購入した。


「誠に申し訳ありませんでした! あの時点では、ご主人様も園内にいると考えておりましたので……っ」


「いや、頭下げんなって。責めてるわけじゃねぇし。むしろすげぇなって、誇らしく思ってるくらいだぞ?」


 抹茶オレを半ば無理やり渡すことであずさの顔を上げさせる。


「ルコから聞いた時、ああやっぱりなって思ったよ。そういうのはふとした拍子で出るもんだって」


 その上であずさの隣に自分もカフェオレを携え、ドカリと座り込んだ。


「あずさは、優しくなんかありません。殺すことしか能のない女。現にすぐ誰かと衝突だってしてしまいます」


「そういう生き方しか出来なかった、させてもらえなかった人間なら、多少は物騒になってしまうだろ」


「あの、その。蛍ちゃんの方が、物腰が柔らかで穏やかですし、きっとあずさなんかよりも優しい――」


「――それはない」


 振り絞られる、あずさのあどけない声音。だが、月都は彼女の言葉の上からさらに己の言葉を反射的に被せてしまった。


「ルコが優しい人間だって言いたいのか? いいや、ないない。絶対ない。天地がひっくり返ってもだ」


 あまりにも思い詰め過ぎたことで、あずさは本来見えるものすら見えなくなっていたらしい。


「だってあいつは俺だから」


 月都はキッパリと言い切った。


 自分が優しくないように、似たもの同士である蛍子もまた、他者に対して優しくあるはずがなかったのだから。


 既に壊れた人間に、他の人間をおもんぱかる余裕など皆無。


「それを自覚しているからこそ、遊園地でのことをルコはわざわざ俺に語ってみせたんだろうぜ」


 そこでまくし立てていた気勢を一旦鎮め、カフェオレを一気にあおる。


「姉ちゃんもなんだ。強く在ろうと気を張っているだけで、本当は争いごとを好まない優しい人。だから仲良くなって欲しいって思ってたけど、自分が大好きな人と大好きな人が仲良くなれるってのは傲慢な考え方だったのかもな」


「……ご主人様」


 チビチビと抹茶オレに口をつけながら、あずさが口を開いた。


「確かにあずさとソフィア・グラーティアは気が合いません。お互いに生きて来た場所が、環境が、違い過ぎる」


 そのことについては月都も苦々しくはあるが同意せざるを得ない。


 名家のお嬢様と研究所出身の暗殺者。両者共に優れた魔人であるとはいえ、共通する要素は乏しかった。


「だけど……」


 唇を噛みながらも、どこかあずさの双眸には冷静さが戻りつつあったのだ。月都が寄り添って、親身に話をしてくれている。これらの要因が大きく占めているであろうことは想像に難くない。


 罪悪感に同情心、嫉妬に自己嫌悪。様々な負の感情を一旦脇に置いて、あずさはふと一つのことに思い至る。


「彼女はきっと、何かを知って、怒ったのでしょうね」


 何故、ソフィアが暴走したのか。当人の口から明かされていない以上、現時点で第三者は推測しか口にすることは出来ない。


 だがしかし、首都に大量発生した使い魔の対処のための拠点とされた廃ビルの一室。映像再生機器が置かれた部屋に、ソフィアが出入りしていたという目撃情報が寄せられていたのだ。


「だとすれば――」


 あそこには共同作戦という都合上、乙葉家の人間も大勢いた。そこから察せられるのは、何者かが何らかの意図をもって、月都が虐げられていた証拠映像を突きつけたのではないかという一つの推測である。


 確証はない。第一そんなことをして乙葉の利益になるとも思えない。けれどもソフィアが乙葉麻里奈を撃ち殺そうとするまでに大きく心を乱した原因は、それくらいしか思い当たるものがないのもまた事実であった。


「ご主人様はソフィア・グラーティアを救うのですよね?」


「あぁ、そのつもりだ」


「今度はもう少し、歩み寄ってみようかと思います」


 もしも過去に月都が虐げられていた映像を一度見ただけで、我を忘れるまでに怒れるような女であれば、


「少なくとも尊敬に値するものが、一つだけありました」


 かつてその光景を生で眺めていながら、道具としての態度を最後の最後まで崩さなかった愚か者よりも格段に、尊敬に値すべき相手であるのだから。あずさは初めて、ソフィア・グラーティアという女に思いを馳せた。

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