第23話 隔たり
月都が蛍子を伴い、ローレライと交渉していた頃と時を同じくして。
「何をそんなに怯えているのです? 現役時代に序列五位止まりだった私とあなた。どちらが強者かは明白でしょうに」
「訳の分からないものは、怖いのですよ。アリシア・グラーティア」
ソフィア・グラーティアの暴走の知らせを受け、奈良から首都までグラーティア家が遣わしたヘリコプターでやって来たのは、勿論あずさも同じだ。
最も部外者である小夜香は着いてくるわけにもいかず、そこで月都達とは別行動になったのだが。
「あずさはあなたに質問があります。答えてください」
「私の答えられる範囲であれば何なりと」
先程の廃ビルとはまた別の、ホテルを模したグラーティア家の表の世界での拠点の内の一つ。
「どうして今更、あれだけ避けようとしていた乙葉家との全面戦争に乗り気になったのですか?」
白兎あずさとグラーティア家当主にして学園の理事長――アリシア。広々とした造りの豪奢なラウンジにて、交渉に向かった二人の帰りを彼女達は待っていた。
「……あぁ、なるほど」
ふとこぼれ出たあずさの疑問。それを受けたアリシアは緩やかに首を縦に傾かせた。
「あなたはいくつか、勘違いをしているようですね」
「勘違い? あずさがですか?」
心外だと言わんばかりにあずさは眉根を寄せる。
「乙葉の当主があなたの娘に撃たれ、意識不明。この混乱に乗じて邪魔者を叩き潰し、裏の世界の覇権を握ろうと画策したのでは? 穏便に事を終わらせたいのであれば、ソフィア・グラーティアを贄に差し出し、切り捨てるのが手っ取り早いでしょうから」
「魔人としての常識であれば、百点満点の正解をあなたは言っている」
疲れを滲ませた面持ちでそう言った後、
「よろしい。どうやら私とあなたの間には深刻な価値観の隔たりがあるようです。これを機に空白を埋めて見るのも悪くはないかと」
されどアリシアの双眸には何らかの覚悟の光が宿ったのだ。
「何故、そんな必要があるので? あずさとしては、質問にさえ簡潔に答えてもらえれば済む話なのですが」
「あなたが求める答えをより分かりやすくするためでもあるのですよ。そもそも敵対していた立場とはいえ、今の私達は月都君の味方という点においてであれば、結託出来るではないですか。無為な衝突は避け、歩み寄るべきかと」
「……確かに、その意見にも一理ありますね」
にべもないあずさの言い分に、けれども流石は魔人の名門の当主ということか。相互理解を目的とした話し合いのテーブルに、頑ななメイドを引きずり出すことには成功した。
「まず、私がこれまでは何としてでも避けようと苦心していた乙葉家との全面戦争に、今踏み切る決意をした理由です」
努めて淡々とした調子で、逸る焦りを押さえつけるかのように、アリシアは語る。
「私は娘を、ソフィアを守りたい。理由にしてみればそれだけの、単純なもの」
「――は?」
表の世界ではありふれていて、されど裏の世界では切り捨てられる、真っ当な感性から吐き出された子を想う親心に、あずさは言葉を失う。
あずさの直感は最初から告げていた。アリシア・グラーティアは、魔人の中でも一際闇の部分で生きて来た彼女にとって相容れないどころか、理解不能の存在であるのだと。
ゆえに怯えの感情は全身を這い回る。
「ソフィアが乙葉麻里奈を撃ち殺そうと試みたこと。立場的には反対と言わざるを得ませんが、心情的には賛成でした。あの女は私の親友を卑劣な策謀にて奪った怨敵なのですから」
だとしても、せめて相談くらいはして欲しかったものではありますけどね――ため息のようにアリシアは呟いた。
「ですが、もしも家格で劣る我らグラーティアが乙葉家の人間へと迂闊に手を出せば」
「悪くて全面戦争、良くても血族審判の幕開けですね」
何とか怯えを握り潰し、魔人として当たり前の常識をあずさが告げたと同時、
「それの何が良いものか」
「――!?」
眼前の魔人から濃密な殺意が放たれる。
「……コホン、失礼。私だけが犠牲になるならばまだしも、あんな人の命をドブに捨てるようなデスゲームに、家族を出せるはずがありません」
やはり眼前の女も魔人であるのだとの認識をあずさが改める頃には、アリシアは元の穏当さを取り戻していたのだ。
「だからこそソフィアを筆頭に、娘達には強く言い含めておきました。ソフィアが次期当主として対魔神戦の前線を請け負うローレライ・ウェルテクスをサポートする形で箔をつけるまでは、決して事は起こさないようにと」
「それでもソフィア・グラーティアは先走った。今、ご主人様と蛍ちゃんが交渉に向かっていますが、順当にいけばあなたの娘は処刑人の役割を担った人魚姫になすすべなく殺される。これは戦争が起ころうが起こるまいが変わらない既定事項。処刑人の派遣は魔人全体での取り決めですしね」
あずさは月都がローレライに敗北するとは一切考えてはいないものの、自分と同レベルの実力であるソフィアがたとえ暴走したところで、かの序列一位に勝利出来るだなんておめでたい考えもまた、持ってはいなかった。
「ここからが既におかしいのですよ。穏便に事を済ませたいと、それが家の利益になると当主として判断するのなら、下手に守ろうとせずに、娘すら切り捨てて、乙葉家におもねる覚悟が必要ではないですか」
「その覚悟がないから、私は月都君に縋ったのですよ。恥知らずにもね」
言葉にすればする程に、あずさとアリシアの価値観の隔たりは深刻であった。
「魔神が起床する寸前。こんな不安定な状況下において娘を守るためには、ソフィアを処刑人の前に差し出して乙葉に許しをこうなどもっての他。だからといって、全面戦争は無用な血が流れる。ならばローレライ・ウェルテクスと親交のあるらしい月都君を抱き込んだ上での苦肉の策――血族審判に持ち込むしか道は残されていないのです」
「……」
「改めてお願いします、白兎あずさ。これより先、グラーティア家はあなた方が望む全てを差し出す覚悟です。娘さえ救ってくださるのなら」
そこでアリシアはようやく口を閉ざす。質問に答え、己の価値観をさらけ出し、尚かつ彼女なりの誠意は示したと、そう言った判断があってのことだろう。
無言を断ち切るかのように、あずさは入れ替わりに口を開く。
「ご主人様に敗北の二文字はありません」
彼女の根幹は暗殺者、それすなわち魔人という狂った存在の中でもさらにドブに浸かるような汚れ仕事を請け負う人間だ。
「ご主人様が望むのであれば、あずさもグラーティア側として参戦しましょうとも。全面戦争だろうが血族審判だろうが、相手を皆殺せば済むことだ」
だからこそ他の魔人と比べても倫理観が破綻していることは否めない。
「だけど、今、娘を救うために全面戦争を起こすくらいの気概でいれるのなら……っ」
しかし冷えた心を当たり前とするあずさの中には、僅かなりとも例外が存在していた。
「どうして! ご主人様を助けに来なかったのですか!? 血の繋がりがないとはいえ! 娘の婚約者であれば! ご主人様も家族のようなものでしょう!?」
「遅くとも魔神を撃退し、ソフィアが学園を卒業するまでには――」
「――それじゃあ遅過ぎたんですよ! あずさだって間に合っていなかった!」
かつて乙葉麻里奈の道具でしかなかった自分が、固有魔法でもってその天才的に過ぎる力を封じていた少年。
女達に虐げられ、終いには心を壊した彼を最後の最後の最後まで助けなかったあずさ自身を、誰よりも、何よりも、未だ。あずさは許していない。
「見ましたかあの笑顔! 辛いのに! 無理して……笑って……!」
だからこそ、コレは生産性のないただの八つ当たり。
「こんな! クズの生き見本みてぇな女なんかに! マトモな人間様が! か弱い子どもを! 身勝手にも救わせてんじゃねぇっ!!」
どれだけ月都本人が許すと、そもそもおまえは悪くないと言ってくれたところで、断じて許せやしない。鬱屈とした行き場のない憤りを、赤の他人であるアリシアに勢い余ってぶつけてしまったのだ。
「……言い過ぎました、申し訳ありません」
失態に気付いた時には、もうとっくに吐き出す言葉は尽きていた。
「穢れた女と真っ当で日和見なあなたとの間に埋まるものは何もない。そのことが良く分かりましたよ……失礼します」
肩で息をしながら、口調だけは無理やりにでも冷静に。アリシアの目を見ることもままならず、あずさは宛のない足取りでラウンジから飛び出した。
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