第22話 人魚姫との交渉
「さて、大変なことになってしまいましたね」
月都の歩幅に合わせながら、それでいて淑やかさを崩さない足取りで、蛍子は彼の横に並んで歩いていた。
「何故かご乱心された生徒会長様が乙葉家の当主を撃ち殺そうと試み、さらには失踪されてしまった。このことについて、月都様はどうお考えで?」
「たぶん俺のために怒ってくれたんだろ、姉ちゃんは」
二人は現在、私服ではなく極東魔導女学園の制服に着替えている。
「だったら感謝こそすれ、怒る筋合いなんてない。勿論、思うところが何もないってわけではないけどな」
ソフィアの母――理事長にしてグラーティア家当主のアリシアからのお願いを引き受けた月都は、これからとある人物と交渉するために、裏の世界において魔人の正装とも言える衣装を纏うのだ。
「乙葉麻里奈は一命を取り留めたそうですが」
「それこそ良かった。本当に良かった」
蛍子の携帯に今しがた入った連絡。それを受けた月都は、深々と頷いてみせる。
「もう一度、殺せるな」
「あらあら、まぁまぁ」
狂気的に過ぎる宣言は、さりとて穏やかに受け流す蛍子の存在によって程良く中和される。
「ただ、姉ちゃんが殺されるのは絶対に許容出来ない」
拳を握り締め、断固として言い放つ。
月都にとって、姉であるソフィアが彼の復讐対象者に先に手を出したことも、そのことによって乙葉家とグラーティア家の全面戦争が避けられなくなったことも、何もかもがどうでもいい。
ソフィアさえ無事でいてくれれば、月都が姉に望むものは他に何もありはしないのだから。
「しかし暴走した魔人には、対象者よりも上位の魔人が処刑人として送り込まれるのが、裏の世界におけるルールとなっております」
魔人としての力を暴走させた彼女の命を救うため、月都は蛍子を伴い、わざわざ休暇を返上してまでやって来たのだ。
「つまり俺が姉ちゃんを助けるためには」
「ひとまず極東魔導女学園序列一位、【
魔人の名門の一つ、ウェルテクス家。
病院を模した表の世界における拠点の内の一つに、足を踏み入れる。
表向きには完全紹介制、富裕層御用達の病院という触れ込みである。
けれども、実際にはあのローレライ・ウェルテクスをどうしても表の世界に出さなければならない場合、強力な使い魔を彼女自身が呼び出さないようにするための安全弁としての役割が、この建造物の第一の存在意義であるのだが。
「失礼致します」
スカートの端を掴み、蛍子は優美な一礼をなす。
「わたくし一ノ宮紫子の名代として参りました、一等女官の一ノ宮蛍子と申します」
「あぁ」
受付の人間は事前に訪問の連絡自体は受けていたのだろう。納得したような声をあげる。
「蛍子様。ようこそおいでくださいました。一ノ宮家現当主のご息女ですね」
「いえいえ。一ノ宮の名をご当主様より
ご息女という言葉に一瞬、眉の端を上げた蛍子ではあったが、大和撫子然とした微笑みは不足なく維持される。
「わたくしが一ノ宮紫子の娘だなどという事実はございませんので、悪しからず」
そんなやり取りを間近で眺め、背筋に冷たいものを月都は覚えていた。
多少冷や冷やする場面ではあったが、一ノ宮とウェルテクスは敵対しているわけでもなし。よってローレライへの面会の許可は比較的速やかに下りることになった。
「わたくしの仕事はここまでにてございます。後は月都様の手腕に委ねさせて頂くとしましょう」
「絶対にルコの方が向いている気がするんだが……」
「わたくしごとき
蛍子のその言葉が合図にでもなったかのように、
「おにーーーーーちゃーーーん!!」
応接間と思しき月都達が通された部屋の扉をバンと乱暴かつ大雑把に開けるや否や、爆速の車椅子が彼の元に迫り来る。
「序列一位殿」
――が。
「車椅子とはいえ人にぶつかってしまえば、それはとてもとても危険なものでしてよ」
月都と並んでソファに腰掛けていたはずの蛍子が、いつの間にかローレライの背後に周りこんだ上で車椅子を掴み、止めてみせたのだ。月都へと激突する寸前に。
「あうー。ごめんなさいなんだよ、蛍お姉ちゃん」
振り返るローレライと、常と変わらない笑みを浮かべているようでいて、どこか剣呑な眼差しを見せる蛍子。
「よう、ウェルテクス」
両者が交わることで発生する空気の重さに耐えかね、月都は努めて気安く声をかけた。
「月都お兄ちゃん! 会えて嬉しいんだよ!」
両手を広げ、全身全霊で喜びを体現するローレライ。
振る舞いは幼い少女のソレではあるが、実年齢は十六歳。その証拠に車椅子に身を置いた肉体は、蛍子程飛び抜けてはいないにしても、高校生相当に成熟はしていた。
「……随分と懐いておられるようで」
「一、二回。遊んだ程度なんだがな」
「でもごめんなさい。今日の私はつまんないお仕事があるんだよ」
蛍子と月都のひそひそ話をさりとて気に留めることもなく、水色のボブカットをゆらゆらと揺らす学園の最強は、口をへの字に曲げながら、そんな風に言葉を付け加えた。
「何でもソフィアお姉ちゃんを殺さなきゃならないらしくって」
「――それなんだが」
これこそが、わざわざローレライを訪ねた第一の理由に他ならない。
「俺が処刑人の役割を変わることは出来ないだろうか」
やや食い気味に月都は要求を叩きつけた。
「うにゅん? つまり月都お兄ちゃんがソフィアお姉ちゃんを、私の代わりに殺すってこと?」
「いいや、殺すんじゃない。俺がねぇち……生徒会長を止める」
「うーん」
腕を組むことで、思考のポーズをローレライは示す。
「私って、ほら。一応伯母様に逆らえないようにされてるんだよ」
今日は比較的血色が良いために、考えている最中に体調を崩すことはなかったようだ。
「毎日決められたお薬を呑まないと、私の肉体は死んじゃうように、あらかじめ設定されてるから。言いつけられたお仕事は、どれだけつまらなくても、どれだけめんどくさくても、基本的には守らなくちゃならない」
顔色一つ変えず、さも当たり前であるかのように語るローレライを前にして、月都の表情が
「だけど大丈夫。心配しないで欲しいんだよ」
ドン、と。勢い良くローレライは胸を叩くのだ。少なくともソフィアよりは格段に豊かな胸で。
「もしも私が伯母様に逆らったとしても、すぐに死ぬわけじゃなくて、時間がある。その間にめいいっぱい暴れるって宣言しておけば、交渉の余地はあるから。ね?」
月都を安心させるために吐いた言葉は物騒でしかないのだが、そんな指摘をする常識人は、現在この空間に一人たりとも存在していなかった。
「つまりその物言いだと、ウェルテクスが処刑人の役から降りてくれるってことでいいのか?」
「構わないんだよ。他ならぬ月都お兄ちゃんの頼みだもの」
天真爛漫な微笑みでもって、月都の要求を全て受け入れる。
「……月都様。いったいどうやって好感度を稼がれたので?」
「むしろ俺が知りたい」
学園最強のあまりにも聞き分けが良い様に思わず蛍子が耳打ちするも、月都とて何故こんなにも自分がローレライに好かれているのか、いまいち理由を把握していないのが現状であったのだ。
「タダってわけにはいかないよな」
だが、人に興味を持たないはずのローレライが、妙に月都に対しては距離を詰めてくる要因についてを、今ここで論じる必要性は皆無。
「これは何?」
優先順位は他にあると切り替えた月都。彼は土産物屋の袋をローレライに差し出した。
「表の世界に遊びに行ったお土産だ。ウェルテクスのために、買ってきたんだぜ」
「本当!? 嬉しいんだよ!」
元より輝かんばかりであったはずの笑顔が、さらに華やぐ。
「開けてもいい?」
「是非見てみてくれ」
そわそわとした様子でお伺いをたてるローレライに、月都は微笑ましい気分で応じる。
「これは……鹿さん?」
「そうだ。奈良公園ってところに行って。そこで売ってたんだ」
「ナラコーエン? そんなところが世界にあるんだね」
袋の中に入っていたのは、とびっきりにデフォルメされた鹿のぬいぐるみ。交渉用ではなく元々本当にお土産のつもりで購入したものが思わぬ役に立った形だ。
「ありがとう、月都お兄ちゃん。えぇと、今から戦いに向かうってこと?」
「あぁ」
「頑張って! なんだよ!」
愛おしげに鹿のぬいぐるみを抱きしめながら、ローレライは月都に激励を授けた。
「ローレライ様、恐れながら申し上げますが、ご当主様のご命令を、男という下等生物のために反故にされるのは、あまりよろしくないのでは――」
「――うるさい」
ローレライの前に現れたのは、これまでの一連のやり取りを監視カメラで確認していたウェルテクス家の従者であった。
「私は今とっても気分がいいんだよ」
しかしそれまで見るからに上機嫌であったローレライの表情が憤怒に歪んだと同時、
「お邪魔虫がいたとはいえ、月都お兄ちゃんに会えて、月都お兄ちゃんにプレゼントがもらえて、月都お兄ちゃんがお願いしてくれた」
水流が突如発生。
「あなたはそこに水を差すの?」
一瞬にして女はローレライが固有魔法によって生み出した水の奔流に呑み込まれていった。
「どうして私をいじめるんだよ」
魔人であるとはいえ長期間息の出来ない状態が続けば先に待つのは死、ただそれだけ。
「そこまでです。落ち着きなさい、ローレライ」
「――伯母様」
結果的にそんな従者を救ったのは、ローレライと共に所用で病院内に控えていた、ウェルテクス家の当主であった。
「此度の件、グラーティアの娘が暴走してくれたお陰で、随分と我が一族に利益が生まれました。引き金を引かせた以上、最早あの娘自体に価値はない。わざわざ仕留める必要もないでしょう」
「難しいお話はよく分からないけれど、折れてくれてありがとうとは言っておくんだよ」
白衣を纏った研究者とも女医とも見て取れる青髪の女は、最強の力を誇る姪っ子に睨みつけられようとも意に介さず、淡々とした態度を崩すことはなかった。
「可愛い姪っ子の多少のワガママくらいは目を瞑りますとも。あなたは近い未来の内に、魔神と戦って死ぬ運命なのですから」
知らないことが多いローレライではある。
けれども、その運命は最初から知っていた。
「……黙って泡になるくらいなら、私は、」
「何か言いましたか?」
「別に? 何でもないんだよ」
これ以上話はしたくないと言わんばかりに、もう一度力強く鹿のぬいぐるみを抱き寄せる。そのままローレライは車椅子を走らせて、咳き込む従者とため息を吐く伯母には目もくれず、病院内のどこかへと走り去って行った。
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