第21話 偽物
ソフィアの母にして、グラーティア家当主のアリシアは娘の面持ちが緊張に強張っていることを見逃さなかった。
だが、これから夕食会という名の腹の探り合いが始まるのだから、それもやむを得ないものだと、彼女は自己完結的に己を納得させるのであった。
「ゆえに当主殿。何度も申し上げておりますが、あの男を退学させる気はまだないのですか?」
表の世界に存在しながらも、魔人達の息がかかったレストラン。その個室にてアリシアは和服姿の女と向かい合う。
「月都君のことでしょうか」
「それ以外に誰がいると?」
「我が家の女中を
現在乙葉家当主を務める乙葉麻里奈は、眉間に皺を寄せ、神経質な印象を受ける双眸を細めた。
「よりにもよって学園に逃げこませるなど」
「極東魔導女学園は魔人の性質上、基本的には女子生徒の受け入れが中心となりますが、魔人の資格を有する人間であれば、男子生徒であろうとも門戸を開かなければなりませんので」
「アレは男ですよ?」
「だとしたところで、彼に才能があるのは事実ですから」
けれど、アリシアは立場上は上である麻里奈の詰問にも動じず、月都が学園の生徒であるというスタンスを崩さない。
もしも理事長でもあるアリシアが、彼を学園から放逐してしまえば、保護の拠り所を失い、あずさと宛のない逃亡生活を始めるしかないのだ。そんなものが長続きするはずもなく、おそらくその先に待ち受けているのは、ヤケを起こした魔人が、天才的な才能を思う存分にふるい、世界を破壊し尽くす最悪の未来。
月都を友人の息子として親しく想うと同時、アリシアは今の不発弾のごとき状態の彼を援助することで、世界の安寧を保たんと苦心してもいた。
「才能があり過ぎる。世界の災厄と化す可能性をアレは秘めているのです。断じて外に放って良い存在ではありません」
なるべく穏便に事を荒立てぬよう努めるアリシアとは異なり、麻里奈は月都を災厄と主張し、強攻策を崩さない。
「こちらが教育している最中に逃げ出した。もう一度、何としてでも、私直々にアレの男としての尊厳を手折ることで、二度と女に逆らえない身体にしなければならないのです」
「その教育とは」
これまで黙して成り行きを見守っていたソフィアが、ここに来て言葉を発する。
「本当に必要なものだったのかしら」
アリシアは驚愕に目を見開いた。
娘の口調は上位者である乙葉家現当主に向けるには、到底相応しくないものであったからだ。
「当然ですよ。グラーティア家次期当主殿」
けれども麻里奈はソフィアの態度を若気の至りとして聞き流す。
「むしろあの怪物を人並みに押し上げようとした私達に、感謝をして欲しいくらいですね」
その上で手ずから月都を虐げた事実を、正義であるのだと
「もういいわ」
とうとう限界は訪れる。
「死んであの世で詫びても許さない」
ソフィアは我慢することをやめた。
「母上っ!?」
「ソフィア!? あなた――」
軽やかな銃声が鳴り響いた時には、全てがあまりにも遅過ぎた。
「もっと早く、こうしていれば良かった。そう思いませんか? お母様」
悪魔の囁きに背中を押されたソフィア。彼女は月都の無念を晴らしたいと思うあまり、先走ってしまったのだ。
乾いた笑いを浮かべる彼女の見下ろす先には、閃光に心臓を貫かれ、ドクドクと血を流しながら倒れ伏す麻里奈の姿があった。
丁度葛切りを食べ終えたタイミングで。
「おわっ!? え、電話? 姉ちゃんからだ」
月都の保有する老人向けスマートフォン、通称やすやすフォンから着信音が流れ出す。
「あずさ、ここを押したら繋がるんだよな?」
「その通りですよ。ご主人様」
言われるがまま、おっかなびっくりに通話ボタンをタップ。
「もしもし、姉ちゃん?」
『月都君ね? 娘の携帯から勝手にかけてしまったことを、まずは謝るわ』
「あっ、アリシアさん!?」
だがしかし、姉からかかって来たはずの電話口の向こう側で聞こえる声は、ソフィア本人ではなくその母のものであった。
「いやいや、気にしないでください。そうだ。学園に転校生として放り込んでくれてありがとうございます。お陰で捕まらずに済みました」
ペコペコと。そこに相手がいるかのように、月都は何度もお辞儀を繰り返した。
「だいぶキツかったでしょう? あの女が噛み付いて来たんじゃありませんか?」
『そこについては月都君が気に病む必要は一切ない。かつて夕陽の友人だった者として、その息子である月都君にはそれくらいのことをして当然だもの』
言葉が一旦途切れる。
何かしらの逡巡がそこにあるのだろうと察し、先を急かすことを月都はしない。
『……月都君。突然で申し訳ないのだけれど』
「はい」
『ソフィアのこと、好き?』
改まった調子で投げかけられた質問。
「姉ちゃんは姉ちゃんです。大好きに決まってる。勿論、アリシアさん達のことも好きですよ。家族みたいなものでしたから」
迷うこともない。月都は即答で応じた。
『――お願い』
今度はアリシアの側が、先の月都と比べても格段に深いお辞儀をした気配が電話越しにも伝わって来る。
『ソフィアを止めてはくれないかしら。あなたの固有魔法、奴隷化の力を使って』
思わず息を呑んだ月都の耳に届いたお願いは、突拍子のない非現実めいた類のものであった。
ソフィアがレストランにて乙葉家当主に銃を向けた数分後。
「手はず通りぃ……そう言いたいところですがぁ」
乙葉家とグラーティア家の共同作戦本部とされていた、今となってはほとんどの人員が撤収した廃ビルを模しているその場所に、桐生舞羽が未だ自主的に残っていたのだ。
「前々からの付き合いで分かってはいたつもりですがぁ、その予想を上回るまでに人が好いですねぇ」
それでも多少の人員は残されていた。現に通話を続ける舞羽の隣を、乙葉家の人間が通り過ぎていく。廊下の先ではグラーティア家の人間二人が固まって言葉を交わしていた。まだ彼女達はグラーティアの娘が乙葉の当主に牙をむいた事実を、知らされていなかった。
「アリシア・グラーティアは魔人の中でも甘っちょろい、いわゆる穏健派ですぅ。たとえ乙葉家を敵に回すことになろうともぉ、娘をトカゲのしっぽ切りに使うことは出来ないはずですよぉ」
されど不可思議なことに。誰一人たりとも舞羽の存在を認識していないかのように、彼女らは振る舞うのだ。
「旧態依然とした強硬派の邪魔者と革新的に過ぎる穏健派の厄介者を争わせ、利を得るぅ。少々過激な手口にはなりましたがぁ、あなたがたの利益に沿うように、ちゃんと調整させていただきましたのでぇ」
乙葉家分家筆頭当主として乙葉麻里奈の信頼を得た上で、彼女から月都を狙う刺客としての役目を与えられ、極東魔導女学園の生徒指導として潜り込んだ魔人。それこそが桐生舞羽。胡散臭い笑みと喋り方が特徴のスーツを着こなす女であった。
「それではぁ、彼女によろしくお伝えくださぁい――あぁ、そうですねぇ」
そんな舞羽は誰かとの通話を終える直前、おもむろにこんなことを言い出すのだ。
「本物の桐生舞羽の死体の処理、くれぐれも厳重にお願いしますよぉ?」
今ここで桐生舞羽として唇を三日月の形に吊り上げた女が、桐生舞羽の姿。桐生舞羽の声。桐生舞羽の人格を模倣したナニカであることに気付いている者は、彼女の雇い主を除き他には誰もいなかった。
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