第20話 平和が一番

 ひとしきり鹿と戯れた後、月都達四人は近場にある茶屋に腰を落ち着けていた。


「平和だなー」


 注文した葛切りを待つ間、のほほんとした表情で月都がぼやく。


「それが一番だろ」


 早々に飲み干した湯呑みをテーブルに置いた小夜香が、やれやれと肩を竦めながら、そんな言葉を口にする。


「あらあら、まぁまぁ」


 と、そこで。


「小夜香先輩、何やらお疲れのようではありませんこと?」


 隣の席に座る蛍子が、眼鏡越しに彼女の顔をじっと覗き込んだ。


「昨日から女同士の争いをおっ始めるわ、海の上を後輩共が駆け抜けるわ、九州から奈良にまで即日向かうことになるわ、疲れる要素しかねぇぞこんちくしょー」


 今回の外出に付き合ってもらった側の月都としては反論することなく、ただ苦笑するしかなかったのだ。





 実に平和である。


 そもそも月都が夏期休暇にわざわざ表の世界を訪れた半分の目的は、自らを排除しようとする勢力との接触、撃破を狙ったからであった。


(……嵐の前の静けさでないことだけは、祈りたいものだな)


 されど姉が使い魔退治に東京へ呼び出されたこと以外は、何事も起こっていない。


 奇妙なまでの平穏さに、月都はそれを有り難いものであると享受すると同時、どこか胸騒ぎをも覚えていた。

 






 モニターを食い入るように見つめる、ソフィア。


「……」


 直視することすら心を削る現実が流されているにも関わらず、ソフィアの双眸が正面から逸れることは決してなかったのだが。


「如何ですぅ?」


 程なくして数十分程度であった映像は停止。


「知りたいものはちゃんと見つかったでしょうかぁ?」


 頃合いを見計らった舞羽が、消していた電気を再び点灯させ、ソフィアに語りかけるのだ。


「……見つけられたわ。そのことについてだけは、感謝してあげてもいいくらい」


 未だソフィアは呆然と、何も映らなくなったモニターを放心状態にも似た心地で眺め続けている。


「でも一体、アナタの目的は何?」


 されど思考自体は、沸騰する瀬戸際でありながらも、今はまだギリギリ冷えているようだ。


「真実を私に突きつけて、乙葉家に何の得があるって言うの? いいえ、何ら乙葉家に利なんてないに決まってる。だとすると、独断? それこそ本当に狙いが行方不明だわ」


 乙葉月都が実母亡き後の現乙葉家当主に虐げられていた決定的証拠。


 ソフィアを混乱させるための偽物ではないかと当初は疑いもしたが、その疑念はすぐ様払いのけざるを得なかった。


「同じことを何度も言わせないでくださいよぉ」


 たとえ映像であるとはいえ、弟の真偽が分からぬ姉などいないし、いてはならない。モニターから聞こえて来る痛ましい悲鳴は、最愛の弟が過去に刻んだ苦痛であるのだと、即座に判別出来た。


「ワタシは教師ですのでぇ」


 そもそも、月都がファミレスで女性達に逆ナンされた際に見せた殺意という判断材料があれば、今まで流されていた映像が嘘であるなどと到底思えるはずがなかったのだから。


 長らく掴めずにいた弟の苦しみの片鱗に、思わぬ角度から触れる。


 月都は女を憎んで当然のことをされていたのだ――と。ようやくソフィアは腑に落ちた。


「後輩のぉ、そして生徒が迷う心に道標を授けたかったぁ。ただそれだけのことですってばぁ」


「胡散臭いにも程があるわね」


 思考を一時中断。ジロリとソフィアは傍らに佇む舞羽を渾身の眼力で睨めつけた。


「グラーティアさん。あなたは乙葉月都の憎悪の根源をついに知ってしまったぁ。ならば、これからどうされるおつもりでぇ?」


 だがしかし、舞羽に構っている時間はないのだと、腕時計が指し示す刻限を見ることで思い直したらしい。ソフィアは刺々しさはそのままに目線を外し、座っていた椅子から立ち上がった。


 万が一、これより始まる乙葉家との夕食会をすっぽかそうものであれば大変なことになってしまう。


「わざわざ答える義理はないと言いたいけれど……私がこれからやることを、アナタは本心において望んでいる。違って?」


 滅多に表舞台へと姿を見せない乙葉家当主。学園の序列四位【双剣鬼アスモデウス】乙葉麗奈の母であり、月都の叔母にあたる女を問い詰める貴重な機会を失うわけにはいかなかった。


「ワタシの意図をある程度までは理解してみせる聡明さがありながらもぉ、敢えて理性を捨てますかぁ。いやはや、お優しいといいますか、純粋とでも呼ぶべきか」


 嘆息混じりの舞羽の声がソフィアの背中に向けられる。


「捨てなければ、私は姉としてつー君に合わせる顔がない。そのことがハッキリと分かったのよ」


 既にドレスアップは済んでいる。名家の令嬢として相応しい可憐なる高貴さを、見てくれだけではない。地に足のついたものとしてソフィアは纏うのだ。


「たとえ今まで積み重ねた全てをドブに捨てる、愚かしい行為だとしても」


 けれど、それらを上回る殺意をも発せられていることに、焚き付けた張本人の舞羽が気付かないわけもなく。


「頑張ってくださいねぇ」


 まるで教師のように、それでいて至って無責任に。殺意にたぎる生徒を冷ややかに観察しながらも、にこやかな笑顔で見送った。

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